恋恋風塵のレビュー・感想・評価
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台湾ニューシネマの登場
ホウ・シャオシェン監督の自伝的四部作(『風櫃(フンクイ)の少年』『冬冬(トントン)の夏休み』『童年往事 時の流れ』)の最終作となる青春映画で、1960年代に台湾の山村で育ち、共に中卒で大都会・台北に出て就職した幼なじみの少年と少女の淡い恋が切ない別れに終わるまでを描いている。初めて観たホウ・シャオシェン映画で、劇場公開時に映画館で観た。僕が大学に入り故郷を離れて一人暮らしを始め、映画館で幅広く映画を観始めた年のことです。
この頃のホウ監督の映画はいわゆる1シーン1ショットの長回しで、音楽は無く台詞も少ない上に俳優の話し声が小さいという静謐な印象の映画のため、観る側にある種の集中力を要求するタイプの映画だったが、台湾にはこういう映画もあるんだと鮮烈な印象を受けた。それまで台湾映画といえばジャッキーがゲスト出演した『ドラゴン特攻隊』とか、テンテンちゃんのキョンシー映画『幽幻道士』のイメージしかなかったもんで。当時、中国のチャン・イーモウと共に中華圏映画のニューウェーブとして非常に鮮烈な印象だった。
素人っぽく見える俳優を多く使っていたのも印象的で、今になってみるとネオ・レアリズモっぽい。特にこの頃のホウ・シャオシェン映画のミューズだったシン・シューフェン(辛樹芬)は、ホウが前作『童年往事 時の流れ』のヒロインを探してる際に街で見かけてスカウトしたという本当の素人だったんだよなあ。これが2作目ですが、まだまだ素人っぽさを良い意味で多大に残してました。
淡い想い
名作らしいけど…
あらすじ読まず、タイトルと台湾の映画って情報だけで、ジャンルすら認識せず観たこともあり、分かりずらかった。
主人公の男の子と仲のいい女の子が恋人なのか妹なのかイマイチつかめなくて、どっちなんだ?どういうこと?と混乱し、
冒頭の電車の中の男女は、この主人公たちだよな…?と引っかかりつつ、
2人の名前がワンとホンで、似た名前の為こんがらがりつつ、
文化の違いもあり分からない、霊能者っぽい?神主っぽい?人に引っかかりつつ、
あまり起伏がなく、大きなことが起きることもなく、いったい何を観せられていて、いったい何を描いている映画なんだ?と困惑しながら鑑賞。
ただ、最後まで観たら概ね理解できた。
観終わったあと、ここの皆様のレビューを読ませて頂いたり、他にもネットで調べてみたら、すごく理解できて、もう1回観たくなった。
もう1回観たら、この評価も上がると思う。
2人は幼馴染みだったのね…すごく腑に落ちた。
タイトルの読みは“れんれんふうじん”で、
意味は“恋は塵のように風に散ってしまう”や“塵のように風に散ってしまう恋”みたいな意味らしいです。
話の内容は違うけど、1983年の原田知世さん主演版『時をかける少女』を思い出しました。
空気感や純朴な感じ、ノスタルジックな感じ、幼馴染みの男女の話などから。
薄味なので人を選んだり、よく分からないって僕みたいな人もいると思いますが、理解できると良さが分かると思います。
もう1回観たい!!
良質な青春映画
大家講台語的世界
何も起きないのに目が離せない
野菊の如き君なりき、か
素朴さに癒された
大傑作
映像はどうすれば、透明で純粋な、途絶えることのないメロディを超えた「語り」を創り出せるのか。全ての答えがこの映画にあった。
カメラと人物の距離感と、ゆっくりとしたカメラワークに、監督の奥ゆかしい視線を感じた。
あるがままの風景にも、人の心にも、カメラは決してズケズケ入っていかない。何人たりとも、そこにある風景や個人の尊厳を侵害してはいけないという、自然や人間への敬意すら感じた。
トンネルの多い単線。スーッと夢の中へ導かれるように本編は始まる。
愛を自覚する前から兄妹のように育った若い二人の日常を、鑑賞者がそっと見守るように物語は進む。
たったワンシーンだけ小津安二郎ショットがある。体調を崩して寝込んでしまった彼を看病する彼女は、唯一「彼の目線」で描かれていた。彼女は新妻のように美しく、世界の全てのようだった。
ラストで、昼寝する母を横目に、爺ちゃんとサツマイモの話をする。松葉杖も手作りする爺ちゃんは、自然や精霊に働きかけながら生きている。
すると私は、まるで全ては夢だったような不思議な感覚を覚えた。人間の小さな営みと、魂で感じた愛。一体どちらが夢なのだろう。
忘れられないショット
謝文遠
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