リリイ・シュシュのすべてのレビュー・感想・評価
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映像と音楽と中学生のリアルの科学反応らしい
中学生のリアル、ということで、「ヒミズ」に対抗するならこれだろ、ということで半笑いで鑑賞。
いきなり近視殺しのワープロが走る。ひたすら走る。
全部読めってか?
いきなりのハードルの高さにさっそく不機嫌。
読んでやるさ、ぜってえ意味あるんだろな、こら。
こんなん、自分からハードル上げてるようなもんだぜ、覚悟しとけよ。
リアルかあ、なんか言葉にすると、恥ずかしいね。
なんか映画でやってることも、「スコラ」の真ん中へんの特集記事の単語並べました、みたいで懐かしくもあり、あまりに「記号」。
というか、リリィシュシュ。
こんなめんどくさい音楽、いつの時代の中学生聞かないんじゃないのか?
ああ、エヴァね、はいはい。そういう世代かあ。
映像はとてもきれい。正直、腰抜かすほどきれい。
だけど音楽がかぶさるととたんにキモくなるのはなぜだろう。
結構長い映画だが、意外と観れる
しかし中学生だけに段々相手にするのがめんどくさくもなる。
ガラスの様に研ぎ澄まされた時代
緑鮮やかな田園風景は青春の始まりを現している様だ。印象に残ったのは、其々、残酷な迄のこの時をどの様に乗り越えて行くか。一人は毅然と何事も無かったかの様に見えるけど…
自分の好きな男の子が好きな女の子は毅然と強い子だった事が、より弱い自分を追い詰める事になったんだろうな。雄一、もう少し早くどうにか出来んかったんかい‼︎って気分です。でも、音楽が見事に合ってました!
かつて中学生だった皆さんに観てほしい一本
<映画のことば>
自然は、生と死とが隣り合わせにある場所
「学校」という、ある意味での閉鎖社会にあり、社会的な経験がまだまだ乏しい中で、成長に伴って、肉体的には大人へと変わりつつあるという不安定な状況の彼・彼女たちが活写されていた佳作だったと思います。本作は。
評論子のように馬齢を重ねてしまい、生きてきた時間の長さに比べて、これから生きていく時間は圧倒的に短いという者ならいざ知らず、人生の竿頭に立ったばかりの青少年は、肉体的にはともかく、まだまだ精神的には未熟で(社会的な常識に基づくような)「歯止め」が効きづらく、いじめなどもエスカレートしてしまい勝ちでしょうし、(充分な社会的経験を積んだ大人にしてみれば)些細なことからも大きな影響を受けてしまう―例えば、有名人の自殺報道などに影響されてしまって、簡単に自死を選び取ってしまったりすることも、世上、よく見聞きもすることだと思います。
実経験に世界がまだまだ狭いだけに、外界から受ける影響も、それだけストレートなのだと思います。
本作のリリィ・シュシュから受ける影響のように。
その意味では、上掲の「映画のことば」のとおり、生と死との境界が曖昧で、両者が隣り合わせになっている世代とも言えるのかも知れません。
1970年から80年頃にかけては「荒れる学校」とか言われて、特に中学生の非行や校内暴力、そしてそれに対抗するための厳しい校則や教員による熾烈な体罰など、大きな社会問題にもなりました。
今は、そんな風潮も耳にはしませんが、彼・彼女らの「不安定さ」は、何も変わっていないのだろうとも推測もされます。
少女(少年)を描かせたら、右に出る者がいないと評される岩井俊二監督ですけれども。
本作でも、その世代の「瑞々(みずみず)しさ」を余すところなく描き出したという点では、同監督の魅力が遺憾なく発揮されている一本とも評することができると思います。
評論子的には、以前に中学生だったことのある大人には、ぜひ観てほしいと薦(すす)められる佳作であったとも思います。
(追記)
「パソコン通信」というのは、令和の今では死語になっている言葉だとは思うのですけれども。
思い起こして見れば、MS-DOS(このWindows全盛の時代に、それ自体がもはや死語か?)の黒い画面に、カーソルに導かれて白い文字が次々と現れて、それなりにコミュニケーションができたのも、懐かしく思い出されます。
「パソ通」という略称とともに、久しく脳裏に埋もれていた感慨を思い起こすことになった一本でもありました。評論子には。
意味不明
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ワケのわからんいじめや売春や、色々。
ようわからんままに突然終わるが、長い長い。
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何が言いたかったのか分からんかった。
あと目的もないのでダラダラ徘徊的に続くだけだし、
気分の悪くなるような映像も多かった。
特別公開していたので2回目だったが視聴 「キリエのうた」上映記念 ...
特別公開していたので2回目だったが視聴 「キリエのうた」上映記念
イジメオナニーさせる万引き管理売春レイプ バンドSNS
感化される 悪に魅入られる 悪に走る快感 星野(忍成)適役すわりのわるい顔立ちみにくい宇宙人みたい 家庭環境が崩れたからといってあそこまで悪に走るのか?すごく疑問になったがとにかく星野がかっこよく描かれている
津田(蒼井優)は輝いてる アホで流されるかわいい子携帯にジャラジャラキーホルダーいっぱいつけてる
女の子は自分と同レベルの話やすい男の子が好きになる 男の子は憧れの子を好きになる
これは影響受けた人多そう 朝井リョウとか
芸人うしろシティの阿諏訪 壮絶いじめ すごい顔整ってる+ね暗+頭よさそう
蒼井優や市原隼人ら出演俳優達の好演により、中学生による酷いいじめにリアリティを感じた
岩井俊二 監督による2001年製作(146分)の日本映画。配給:ロックウェルアイズ、
劇場公開日:2001年10月6日。
かなり意欲的というか実験的な映画だが、あまり成功しているとは自分には思えなかった。また、結構退屈なところ(沖縄旅行のとことか)もあった。
実は見ている時は気づいていなかったが、蒼井優(援助交際をやらされる女子高生役で、飛び降り自殺してしまう)のデビュー映画とか。
まあ蒼井に限らず、中学生の主人公市原隼人(いじめられっ子で、歌手リリイのファンサイト運営)も忍成修吾(優等生だったが、不良グループのボスとなり、市原を虐める)も好演で、彼女彼らの演技は印象に残った。また忍成等に強姦されるが、髪を切り坊主頭にして授業に出席し続ける伊藤歩(本当にバッサリ切ったらしい)演ずる女生徒にも、随分と驚かされた。根性の座ったキャラクター設定に感心すると共に、いじめへの斬新な対抗策かとも。
映画としての構成は今ひとつとは感じた一方、学校におけるいじめの嫌らしさや、しつこさ残酷さを、非常に良く描いていた気はした(自分は体験していないので、娘から聞いた範囲での理解だが)。市原がリリイ・ファンサイトで親しく交流していた相手が何と忍成で、コンサート会場でさえ嫌がらせを受け、結局刺し殺すの流れには、凄く可哀想だっただけに、カタルシスの様なものを覚えた。
音楽は、「キリエの歌」で再度組むことになる小林武史。「夢」「月の光」「亜麻色の髪の乙女」「アラベスク第1番」等、ドビュッシーの曲使用が素敵ではあったが、オリジナル曲は殆ど印象に残らなかった。
監督岩井俊二、原作岩井俊二、脚本岩井俊二、撮影篠田昇、録音滝澤修、編集岩井俊二、
音楽小林武史、スタイリスト申谷弘美。
出演
市原隼人、忍成修吾、伊藤歩、蒼井優、大沢たかお、稲森いずみ、市川実和子(ツアー案内)、勝地涼(主人公の友人)、高橋一生(剣道部部長)、樋口真嗣(恐喝されるポルシェの男)。
コナンよりは
映画本体以外は全スルーで鑑賞。
中学二年生の時に見た憂鬱な妄
【一度しかない”残酷な青春”を斬新な手法で見事に切り取った作品。現代邦画を牽引する多くの俳優を発掘した、岩井俊二監督の慧眼にも瞠目した作品である。】
ー 地方都市で暮らす少年を主人公に、イジメや援助交際といった中学生たちが抱える問題を描く。エスカレートしていくいじめと、美しい田園風景の対比がせつなさを醸し出す。ー
◆感想
・かつて親友だった星野(忍成修吾)からイジメを受けるようになった中学2年生の雄一(市原隼人)。
自ら主宰するカリスマ的歌手リリイ・シュシュのファンサイトでの交流に唯一の安らぎを感じていたが、星野のイジメは日増しにエスカレートし、やがて悲劇的な事件が起こってしまう。
・不安定な心持を持つ中学生時代を”リリイ・シュシュ”という歌い手に思い入れる事で、凌ごうとする祐一の姿。
・変貌してしまった星野に援助交際を強要される詩織(蒼井優)も、決して自らの人生を悲観する訳ではなく、飄々と生きる。
・雄一が密かに思いを寄せる陽子(伊藤歩)の同級生の女子たちからの嫌がらせに、屈しない姿。
<今作は、主演の俳優さん達が中学生という設定ながらも、余りにもシビアな日々を過ごす姿を描き出す。
だが、私は中学生離れした彼ら、彼女らの必死に生きる姿が響いた作品。
付け加えるならば、今作で主要キャストを演じた若き俳優さん達が、今や邦画を代表する堂々たる俳優として活躍している事を鑑みても、このやや難解な作品が現代邦画に及ぼした影響は多いと思った作品である。>
誰も描かなかった反転された青春の光と影
中高生の時期は坩堝の様に、学校的現実の中にいやおうなしに味噌もクソも一緒に放り込まれ、人間関係の炎で炙られる。それがある者には天国で、ある者には地獄となる。
そのような青春期の日々を、我々は普通に体験してきている。例えば私の高校時代は、クラスを支配する少数の暴力グループによる精神的被虐の色に染められており、集中的にイジメの対象となった生徒は夥しい骨折を負った後、学年末を待たずに退学し、イジメたグループも退学させられていった。授業中に性的虐待を受けていた生徒さえいる。
青春期にとって世界はあまりに美しく見える。それだけに、学校的現実の秩序にひれ伏し、イジメにより理想など蹴散らされ、自分を何ひとつ信じられぬ無価値な人間と思い込まざるを得ないのは過酷というしかない。美しい世界と自分は無縁であり、そこに自分の居場所は用意されていない。幼年期の終わりと同時に人生に絶望していく子どもたちが、現実に多数存在するのを我々は知っている。
こうした現実を「青春」という甘いフィクションにくるみあげるのが、従来の映画や小説のお定まりのルールで、そこにはリアルなど欠片も描かれていなかったといってよい。
本作は、「青春そのものが地獄だ」という中高生の日常の一面を初めて映像化した、画期的な「青春映画」だと思う。
本作の主人公の少年は、手ひどいイジメグループの末端の被害者でありながら、同時に同級生の少女の売春やレイプの手引きを行う加害者であり、もはやあらゆる理想に手の届かないクズの日常を過ごしている。
現実に居場所がない彼は仮想空間に逃避し、リリイ・シュシュの楽曲やネットによる書き込みを通じた自己解放で、かろうじて「エーテル」を獲得することだけに救済を見出している。「エーテル」とは生きる理由である。したがってそれを失うことは、生きる理由を失うのに等しい。
ところが恐るべきことに、同じ「エーテル」を共有していたはずの仮想空間の友人が、実は現実空間のイジメグループのボスであることが判明してしまう。もはや彼は仮想空間からも追い立てられざるを得ない。生きる空間を確保するため、最後に彼は決死の覚悟で自分の生の障害を除去する賭けに出る…。
これは何という、反転された青春映画だろう。しかし、明らかなリアルがここに存在する。それが観客を怒らせ、目を背けさせるのだ。
光と陰影のコントラストを多用した映像と、「印象主義的」と評されたドビュッシーの煌めくようなピアノ曲が、これら青春の光と影を強調している。
この作品を何度も見るのは気が重い。でも、あの美しいシーンたちにもう一度出遭いたいと、また見てしまうだろう。
ふわりと
一生に一度の映画体験
岩井俊二監督を知ろうと思い、軽い気持ちで見ましたが、とんでもないものを見てしまいました。
結論から言うと、素晴らしいという言葉では収まらないほど素晴らしくて、映画なんだけれど、映画じゃない。なんとも言えず、うまく表現できないモヤモヤが漂うような感じで、普通の作品とはだいぶ異質な作品でした。
今までこんな映画体験をしたことはなかったし、今後も二度とこんな思いになる映画はないと思います。
主演の市原隼人さんはじめ、びっくりするようなキャストで、皆さんとても若い。市原さん可愛かった笑
忍成修吾さんの原点のようにも感じました。
星野凄かった。怖かった。
独特のカットの仕方や、展開が早く、次々に新たな登場人物が登場するためかたくさんの短編のオムニバス映画を観ているようです(オムニバス映画観たことないけど…)。
西表島への旅行のシーンをホームビデオ風に撮ったり、久野へのレイプシーンを荒々しく切り取るところに好感が持てました。
とにかく全編通して、映像が綺麗で、音楽もリリイの音楽以外にクラシック音楽から島唄まで多様な音楽がそのシーンの状況をうまく暗示していたと思います。
リリイ・シュシュを軸にして思春期の彼ら彼女らの美しさ、儚さみたいなものが現れていて、観ているのが辛いところもありましたが、また、観たいと思いました。中毒性がありそうです。
ただ、かなり難しいので、私にはエーテルはわかりませんでした。
いつか、分かれるようになりたいです。
中学時代の狭い世界を思い出させる作品
掲示板なつかし
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