劇場公開日 2019年3月16日

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「半世紀かけて時代がようやく映画に追いつく」ラストタンゴ・イン・パリ 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0半世紀かけて時代がようやく映画に追いつく

2021年11月27日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

ソドムの人老たるも若きも諸共に四方八方より来れる民みな其家を環みロトを呼て之に言けるは 今夕爾に就たる人(天使)は何処にをるや彼等を我等の所に携え出せ我等之を知らん ロト入口に出て其後の戸を閉じ彼等の所に至りて言けるは 請う兄弟よ悪しき事を為すなかれ 我に未だ男知らぬ二人の女あり請う我之を携え出ん爾等の目に善と見ゆる如く之になせよ(中略)エホバ硫黄と火をエホバの所より即ち天よりソドムとゴラムに雨しめ其邑と低地と其邑の居民および地に生るところの物を尽く滅ぼしたまへり(創世記19章)

性はこの映画が公開された時代、まだ公に触れることも論じることも、現在ほどには肯定されなかった。
日本では性的表現を行う者が刑法の猥褻図画頒布罪により多数処罰されたし、処罰されないまでも映画の世界ではあまり尊敬されたり、好意をもって迎え入れられなかった。つまり、「ポルノ」という別世界に追いやられたのである。
それは日本だけに限らない。諸外国においても、映画制作上の倫理コードは厳然として存在し、例えばヒッチコックは「サイコ」のバスルーム殺人シーンを撮影するのに、大変な労力を支払っている。その延長線上にある頃に本作は作られた。

こうした倫理規範にベルトルッチは戦いを挑み、旧約聖書のソドムとゴモラの性的悦楽を描いて見せた――それが本作のすべてである。
現代社会への風刺、ポップがどうしたとか現代人の孤独とか自殺云々とかは、ソドムとゴモラの悦楽をあれこれカモフラージュしただけの話だ。

あれから私たちはずいぶん遠くまで来た。ネットが世界を覆いつくし、共同体的なるものが空洞化し、あらゆる規範が希薄化する中、匿名性の下で単なる男と女として出会い、日常を共有することもなく性的悦楽に耽る人々が多数存在することを、今や誰でも知っている。そう、日本ばかりか世界中にソドムとゴモラが蔓延しているのだ。
本作はこのような世界を先取りし、匿名の関係が日常に侵出しようとする瞬間に、関係は破綻することまで描き切っている。今、新聞には出会い系で知り合った男女関係の縺れや、それに起因する殺人事件が、日常的に取り上げられるが、それは本作が現実化した光景だといえる。
半世紀も経って、時代がようやくこの映画に追いついたのである。マーロン・ブランドとマリア・シュナイダーの素晴らしい性的悦楽シーンの数々は、ニ人の記念碑として、時代を超え永遠に生きるに違いない。

本作に対する感想は、評価者の性的倫理を反映すると思われる。しかし、本作を否定したとしても、性風俗が変革されるわけではない。監督は人間を直視し、未来を予見した。観る側も決して偽善の道徳家などにならず、映画の捉えた関係を直視すべきだろう。本作は現在を生きる私たちの性的現実なのだから。

徒然草枕