「再視聴でのモヤモヤから新たに気づいた凄み」ラストエンペラー Kazu Annさんの映画レビュー(感想・評価)
再視聴でのモヤモヤから新たに気づいた凄み
ベルナルド・ベルトルッチ 監督による1987年製作(163分/PG12)のイタリア・イギリス・中国合作映画。原題または英題:The Last Emperor、配給:東北新社、劇場公開日:2024年3月8日、その他の公開日:1988年1月23日(日本初公開)、2023年1月6日。
今回は218分のオリジナル全長版を再視聴。劇場公開当時に観た際は、その圧倒的なスケール感と鮮やかな色彩に魅了され、自分の中で満洲国にまつわる史実や文学作品を読み漁るブームが到来した記憶がある。
今回は、そうした背景知識を備えたうえでの再鑑賞だったが、視聴直後、当時のような感動はあまり湧かなかったことに自分でも少し驚いた。
思えば、公開時には関東軍による満洲国建設と崩壊という歴史そのものに惹かれていたのかもしれない。激動の歴史の中でもがき苦しみながら、最後には心の平安を得たようにも見える清朝最後の皇帝・溥儀(ジョン・ローン)の人生。それは確かに劇的でドラマチックだが、十分に気持ちが動かない部分が残った。「なぜ監督はこの人物と時代を映画にしたのか?」
調べてみると、監督ベルトルッチ(1941年~2018年)は、北イタリア・パルマの使用人がいるブルジョワ家庭に生まれた。父は詩人であり、美術史家、映画評論家でもあった文化人。母も文学教授で、オーストラリア出身のイタリア人。さらに祖父はかつてイタリアの革命家としてオーストラリアに亡命した経歴を持つとのこと。
ベルトルッチは若い頃、イタリア共産党に参加し、左派の集会や議論に加わっていたという。1960年代には毛沢東の文化大革命に理想を見出し、中国への強い関心を抱いた。1970年代にはインドを訪れ、仏教やヒンドゥー教の文化、瞑想、儀式にも触れている。しかし、ソ連や文化大革命の実態、イタリア国内での極左テロ組織による暴力、イタリア共産党の穏健化、そして個人的な精神分析体験を通じて、共産主義の教条的側面に次第に幻滅していったようだ。
なるほど、監督は溥儀の人生に自身の遍歴を重ねていたのかもしれない。文化大革命を批判的に描いた場面にも、その思いがうかがえる。また、溥儀の教師であり伝記の著者でもある英国人レジナルド・ジョンストン(ピーター・オトゥール)は、愛情と冷静さを併せ持った監督自身の視点的役割を担っていたのだと、理解できる。
こうやって、ベルトリッチへの理解が深まってきたら、意味が分からなかった「コオロギ再登場のシーン」の意図が見えてきた気がした。生きていないはずのコオロギを、ひいては皇帝の物語を、あの少年もそして観客も確かに見て感じた。そうコオロギのシーンは、『自分だけしか知らない物語』の時空を超えた伝達の可能性、言い換えれば、本映画はそういうものであり、映画にはそういう時間も地域も超える力があるという監督の強いメッセージであると感じた。実にお洒落な詩的表現だ、ベルトリッチ監督凄い!
そして今振り返ると、1989年天安門事件のわずか数年前、毛沢東批判とも受け取れる内容を含むこの映画が中国国内で撮影されたという事実に、時代のとても大きな変化も感じざるを得なかった。
監督ベルナルド・ベルトルッチ、製作ジェレミー・トーマス、脚本ベルナルド・ベルトルッチ 、マーク・ペプロー エンツォ・ウンガリ、撮影ビットリオ・ストラーロ、美術フェルナンド・スカルフィオッティ、衣装ジェームズ・アシュソン、編集ガブリエラ・クリスティアーニ、音楽坂本龍一 、デビッド・バーン 、スー・ソン。
出演
ジョン・ローン、ジョアン・チェン。
ピーター・オトゥール
坂本龍一
リチャード・ブゥ
タイジャ・ツゥウ
ワン・タオ
イン・ルオチェン
ビクター・ウォン
デニス・ダン
マギー・ハン
リック・ヤン
ウー・ジュンメイ
ケイリー=ヒロユキ・タガワ
イェード・ゴー
池田史比古
リサ・ルー
高松英郎
立花ハジメ
チェン・カイコー
コンスタンティン・グレゴリー