許されざる者(1992)のレビュー・感想・評価
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本作はまさにイーストウッドの集大成と言えるだろう。
俺の中では紛うことなき最高の映画だった。
表向きは西部劇なのだが、あまり激しいアクションはなく、複雑に絡み合う人間ドラマを主軸に、広大な自然を背景に描ききったまさに傑作だった。最後の西部劇と言うだけあってイーストウッドの集大成とも言える作品だった。(なんでも当時は本作で引退するつもりだったとかなんとか。)彼の2人の巨匠、レオーネとシゲールに捧げているとあるが、映画本編と本作のバックグラウンドを見ればその姿勢が容易く見てとれる。西部劇をメインに、激しく大作思考の点をレオーネから、そして人間ドラマの複雑さや、アクションの立ち回り、制作に至っては効率よく作るという点でシゲールの影響を色濃く見られるのだ。
今までのイーストウッドの西部劇の良いところを全て採り入れているのにも関わらず、ガンマンが人を殺すことに対して否定的で、ある意味西部劇自体に対するアンチテーゼであるとも言える本作は、西部劇としても面白いのだが、人間ドラマとしても深みがあってかなり見応えがあった。タイトルが許されざる者(forgiven)であることも、誰が許されざる者だったのか、みんなだったのか、それても主人公か、それとも西部劇で人をいとも簡単に殺すことに拍手喝采を送る我々観客にか…と色々考えさせられるし、よくできている。
イーストウッドだけではなく、モーガン・フリーマンもジーン・ハックマンもみんな確かに銃の腕前はよく、強いのだが、重い過去を抱えており、それを自分で肯定して生きている哀れで滑稽な人物と書かれているのも見どころだ。特にジーン・ハックマンが最高に好きで、イングリッシュボブに偉そうにしているシーンや、その後の最期のシーンなんかはとても人間味溢れていて良かった。
イーストウッドの弱々しい演技がグッときた。最後のシーンなんかは、また彼の西部劇が見れて良かったという、安堵感や興奮を感じた。
所々出てくる雄大な背景である自然が美しく、そして力強く、目を奪われた。西部劇の影の主役とでも言うべき、当時のアメリカっぽい風景をしっかりとフィルムに納めていて満足だ。余談だが、最近マジで西部劇の作品を見ないなと思う。本作の当時ですらハリウッドでは時代遅れとされていて、その意味でもイーストウッドは最後の西部劇と表していたのだから、かなり骨董品であることは言うまででもないかもしれないが、それでもやって欲しいものだ。最近見た西部劇と言えば”ローンレンジャー”だが、あれももう8年前。あれは興行的に失敗したし、西部劇はもう見限られていて、ハリウッドで作られることはないのかもしれない。
無法者の地で生き残る厳しさ
主人公はサンフランシスコで“正しく”成功したのだろうか?
NHKBSで放映されたので何度目かの再鑑賞。
私はクリント・イーストウッドの作品では
「マディソン郡の橋」「グラン・トリノ」
「ジャージー・ボーイズ」が好きだが、
この作品は好みではない。
暴力が連鎖する世界を見せられて
心穏やかにはいられないが、
ジョン・フォードが描く西部劇よりも、
ある意味、当時の真実を描いたとの観点は
理解出来る。
しかし、主人公の妻からの影響の貫徹性と
彼女への想いについての描写は疑問だ。
ラストシーンでの主人公の妻の母の
モノローグ「娘が何故悪党と結婚したのか
分からなかった」については、
一人一人の、特に男女間の心はなかなか
うかがい知れるものでは無いし、
この世の中ではいくらでもある人間関係で、
妻がどこまで主人公にプラス影響を
与え続けられていたかについては疑問だ。
サンフランシスコで成功したという主人公
が、「再生は妻のおかげ」と言い、
彼の人生にとって意味ある妻だったと
言いたいのなら、
彼が妻の墓を訪れた様子が感じられない
義母のモノローグは何を意味するのか。
サンフランシスコで本当に“正しく”成功した
のか等、彼の心の中にまだ妻がいて、
悪党を超える人間性が
本当に芽ばえていたのかは分からない。
この時代では度胸と恫喝力だけが
社会を支配する源だったかも知れない、
保安官でも、賞金稼ぎでも、同じように。
周りに恐怖を植え付けて優位に立つ、
そんな非人間的な社会は当たり前のように
あったのだろう。
そんな時代に生まれてなくて良かったと思う
と共に、少しでも油断をすると、似た輩に
この世を支配される時代に成りかねない。
戦前の日本がそんな世界だったろうし、
現代でも良く似た国家や社会が
多数存在しており、
そんな時代にならないことを願うばかりだ。
アメリカ映画だけど格調高くなったマカロニウェスタンだ
私の西部劇の原点がマカロニウェスタンなので、西部劇を観るとどうしてもそれと比べてしまう。この映画はマカロニウェスタンを彷彿とさせて、しかもより格調高い作品に仕上がっている印象を持った。
クリント・イーストウッド監督作品は後味の悪い映画が多いが、これは例外的に気持ちのよい終わりかただ。悪者達をたった一人でやっつけ、自分はその町から去って行くヒーロー、まさにマカロニウェスタン的ハッピーエンディングだ。ヒーローは絶対殺されないというのもそうだし(撃たれるのではないかと最後まで緊張感はあったが)、顔を傷つけられた娼婦と一緒になってもおかしくない展開だったのに(個人的には期待したが)、孤独に立ち去るのもやはりマカロニウェスタン的だった。
エンドロールの最後に、「セルジオとドンにささぐ」となっているが、多くのマカロニウェスタンを監督したセルジオ・レオーネと「ダーティハリー」を監督したドン・シーゲルのことかな?
僕の頭では深くは理解できませんが・・
主人公が最も輝く作品
新年一発目、おかしな作品を見る訳にはいかない。大好きなイーストウッ...
Make my Day!
クリントイーストウッドの作品を何本か借りてきてみ始めたが、この映画はダーティーハリーの西部劇版、Make my Day や Do I feel lucky? Well, do you, punk? などハリーの使った流行語がこの映画にぴったりだし、差別用語も出てくるし、、、、途中までみたけど、嫌になった。グラントリノを見た後にこの映画を見たので、結構疲れた。
この映画を見るのを休み、BBCのクリントのドキュメンタリーを見た。このクリント監督は有名だが、あまり俳優として活躍した時をマカロニウエスタンの俳優でしか知らない。黒澤明の『用心棒』をリメイクしたセルジオ・レオーネがジェームズ・コバーンを使いたかったが、忙しくて契約できなかったし、契約料が2万5千ドルで高すぎて払えず、クリントに決めたと。クリントに1万5千ドルで契約したと。クリントは台本がイタリアの英語で書かれていたし、撮影の仕方も不思議に思い、セルジオに聞いたけど?そのまま続行したと。
でも、この映画で、クリントは有名になったし、これらの映画も有名な映画になったのではないか。私は映画界を良く知らないが、多分そう思う。
そして、この西部劇版、ダーティーハリー『許さざれる者』だが、1880年の話で、金がないから二人の子供を食わしていけない。賞金1000ドル目当てで、娼婦を傷つけたカーボーイ二人を殺しに行く。妻と結婚して殺し屋業から長い間足を洗っていたが、妻は三年前に他界し、豚の疫病などで、生活がニッチもサッチも行かなくなり、昔の殺し屋仲間と共にワイオミングのビッグウィスキーという町に出かける。子供二人に、『食べ物がない時はチキンを殺せ、病気とそうじゃない豚をわけろ。困ったら、ネッドに相談しろ。二週間家をあけるから。』といって、父親のマニー(クリントイーストウッド)は出かける。当時は、子供だけをおいて行ったんだ?馬で二週間でカンザスからワイオミングまで往復することができる?ネッドはマニーと一緒に組んでワイオミングに行く。子供は?ネイティブアメリカンのネッドの奥さんとマニーは面識かなさそうだったし、などと思いながらみていた。おいていく二人の小学生ぐらいの子供が気になってしまった。ひとまず、勧善懲悪映画だと思うから、マニーは子供のところに死なないで戻ってくるだろう。でも、ネッドは?などど思った。(11/23/20)
キッドという青年が持ちかけたカーボーイ殺しに出かけるわけだが、この道中から最後保安官を殺すまでの行動のなかで好きなシーンがある。一つだけ書くと:
キッドは今までに五人殺したと粋がっていたが実際のところ人殺しをしたのが今回初めてで、木の下に座ってアルコールを飲みながら、過去の話をマニーにする。マニーは『飲め』というが、キッドの心の中は罪悪感に悩まされる。もう人殺しはしないと賞金を持たされ帰っていくが、この傷はキッドの心に一生残って悪夢に取り憑かれてしまうかもしれない。人殺しからすでに足を洗ったネッドは銃をもつことに恐怖感を感じ、パニック症候群になってしまう。岩陰から銃の引き金を引くことができず、動けなくなってしまっている。それに、マニーの動きや考えかた、それぞれ、三人三様の描写が良くできていると思う。
印象からかけ離れた実態
やっぱり西部劇、痛快感があった
まず最初、娼婦を傷つけたカウボーイはクイックマイクだし、あいつだけ賞金かければ良かったんじゃないかと思った。もう1人のデービーボーイはトバッチリでは?
クリントイーストウッド演じる元悪党マニー。生活難から再び殺しに手を染めようとする。引退から10年以上経っているため、馬にもちゃんと乗れず、銃もマトに当たらない、保安官にボコられる。なんか情けなさも感じる。
しかし、ネッドの復讐のために、街の治安を守るため過激な暴力、見せしめをした保安官、娼婦の意思を尊重しない酒場の主人を撃ち殺した銃撃戦は痛快感があった。
勧善懲悪ではないし、マニーのこれまでの行いが許されるものでは決してないが、蔑まされた立場の弱い者(娼婦)にとっては恐ろしくも尊敬するダークヒーローなんだと思った。
全員悪者・・・なのかな?
往年の殺し屋が、娼婦の顔を傷つけた賞金首を狙う物語。
クリントイーストウッドが、モーガン・フリーマン、ジーン・ハックマンを従えて製作した西部劇。
西部劇は殆ど鑑賞しないのですが、オスカー作品ということもあり鑑賞。
派手なガンアクションはなく、「殺されることの痛み」「殺すことの痛み」を真正面から描いた作品のように感じます。
ただ、ラストはどう捉えれば良いのでしょうか?
勧善懲悪でしょうか?イーストウッドの格好良さでしょうか?それとも「人は変われない」という教訓めいたものしょうか?敵役のような立場になった保安官が、決して悪者でなかっただけに、私の拙い映画脳では上手く咀嚼出来ませんでした。
それ以外にも、ラストでは前述の「痛み」の描き方が雑になったようにも感じられ、私的評価はやや辛口の標準点としました。
ザ・西部劇
客の牧童に顔を傷つけられた娼婦が賞金稼ぎを募って復讐を果たす。単純なストーリーだけど
娼婦、保安官、賞金稼ぎそれぞれのプライドとか
思いが感じられ味わい深い。人を殺めてしまう事は一生消えない刻印を心に刻む。
長年酒を絶っていた老ガンマンが殺しのあとで
酒をあおるシーンは印象深い。
また昔のイーストウッドの西部劇が観たくなった。
結局
結局は人殺しという道を歩むのか。。
何がテーマなのかハッキリしないというか、、
人を撃つこと。人を殺すこと。これを軸に死んだ妻や友人、新しい相棒、敵の保安官やイングリッシュボブを通して描いている、のかな。
人物としての成長が伝わらなかった。物語が何か前に進んだのか。分からず。
タイトルの意味を考える
元殺し屋、女子供も殺す残虐な男が
娼婦にキズを負わした漢を賞金のために殺しに行く。
シンプルなストーリー、シンプルな展開に、
何でこれがアカデミー賞獲れたんだ?
と疑問が湧いていた。
ジーンハックマンは嫌なヤツではあるが、
謂わゆるガンマンではなく暴力的な男。
何故コイツが西部劇の敵役なのか?
銃を撃てない黒人ガンマン
殺した事のない若いガンマン。
そして賞金のために殺しに来た下殺し屋。
キッドが初めて人を殺した後のやり取り、
殺されるモーガンフリーマン
ラストの銃撃戦で全ての疑問が吹き飛んで、
物語はひっくり返った。
許されざる者とは主人公の事だと思った。
良い殺しなどない。
と言うメッセージなんじゃないかと思う。
顔に傷をつけられた娼婦がいつの間にか
性器以外剥ぎ取られたみたいな噂話がもうフリになっていた
のだと思う。殺しにヒーローなどいないという
斬新な西部劇だったんだとラストに分かった。
だけど、この感想が正しいのか分からない。
傑作と言われる所以が分かるにはもう少し時間がかかりそうだ。
完全にイーストウッド西部劇のファン向け
今まで観た映画の中で1、2を争うほど好きです。
しかし本作の肝は、昔ながらの西部劇の根底を覆しているところにあるので、”そもそも西部劇の伝統やお約束を知らない”という人にはおすすめしにくいです。
できれば、ハワードホークス的な伝統的な西部劇、イーストウッドがブレイクさせたマカロニウエスタン、さらにイーストウッド監督西部劇を一通り観たあとに集大成として観るのが断然おすすめです!まさに終着点なので。
監督の功績を歴史に残すという意味でも、本作のアカデミー賞受賞はとても意義のあるものだと思います。
ちなみに、最近の映画でいうとスリービルボードが近いテーマを扱ってると思うので、同作のファンなら西部劇好きじゃなくても楽しめるかもしれません。(あれも現代舞台の擬似西部劇的ではありますが)
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