郵便配達は二度ベルを鳴らす(1946)のレビュー・感想・評価
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どうしてもヴィスコンティ版と比べてしまう
3度目の映画化らしいです。
原作のジェームズ・M・ケインの小説を読んでいないので何とも言えませんが、ヴィスコンティの1942年版に比べるとサスペンス要素が加わり、途中、弁護士の活躍?もあって法廷ドラマにも展開していきます。
自分としては、ヴィスコンティ版(1942年版)の方が好みでした。1942年版も1946年版(今作)も、ストーリーの骨子は同じですが、1942年版の方は「人間の究極の欲望」のあぶり出しみたいな追求がありドラマとして深く考えさせられる点がありました。また、映像も砂埃が舞う田舎の広い道が大きく映されており、陰影もはっきりしていました。同性愛者を匂わす男との出会いなどのエピソードの入れ方もうまいなあと思いました。良い悪いではなく、あくまでも好みの問題かもしれませんが。
ラナ・タナーの最初の登場で驚きました。UFOから出てきた宇宙人みたいにピカピカしてました! ファム・ファタールは美女であって当然でしょうが、ちょっと浮いてました。私のイメージでは、コーラはあくまでも大衆食堂の女給仕さんなのです。(原作はどうなんだろう)
ラスト、フランク(ジョン・ガーフィールド)が、ニック殺しとコーラ殺しのダブルの容疑で死刑を言い渡されるのですが、フランクへ宛てたコーラの手紙が発見され、フランクは「ニック殺し」のみの罪を受けることに。フランクは神父に向かって「コーラは自分の命をもって、ニックへの償いをした。自分はコーラ殺しではなくニック殺しで処刑されるので安心だ」みたいなことを言うのですが、妙に物わかりが良すぎるというか、純愛路線になって、白けてしまいました。「あれ?」と思って意味がわからず、ラストの場面をもう一度観てしまいました。郵便配達が「二度」ベルを鳴らすというフランクの解釈?も説明的すぎました。
なじみのストーリーの作品なので、星は3個にします。ジョン・ガーフィールドのちょい悪いな感じもまあまあだったし。
これを観たのち、ヴィスコンティ版の作品の星を増やしました。笑
「二度目のベルは聞き逃さない」
ルキノ・ビスコンティ版(1942年)と勘違いしての鑑賞(さらに1939年のピェール・シュナール監督版と1981年のボブ・ラフェルソン監督の作品もあるよう)。
「心待ちの手紙を待ってるとするね。ベルを聞き逃すまいと玄関前を動けない。でもベルは2度 鳴る。コーラのために二度そして俺にも二度。皆 二度目のベルは聞き逃さない。 裏庭に居てもね。」
原題 ”The Postman Always Rings Twice”も邦題「郵便配達は二度ベルを鳴らす」と同じタイトルがついているが、物語の核心にせまる部分である二度目でつく決着(レジに入れられた手紙、二回の殺人、二人の殺人に対する裁判)という考え方は非常に福音主義(キリスト教の一派)的。
一度目は過ちを犯すが二度目は過ちを改める。アメリカ的な精神いわゆる「ボーン・アゲイン」(個人の罪が赦され新たに生まれ変わること)がテーマのため、この部分は日本人にはわかりにくいだろう。
「神父さん あんたの言うとおり うまくいったよ。神様は何でも お見通しだな。コーラはニックの命を自分の命で償った 次は俺だ。」
コーラに本当に愛されていたのか?という疑念に対する答えを最後に受け取るフランク。愛の存在(それによって神の存在)を確証したフランクはニック殺害の罪を認め、自分の命で償おうと悔い改める。そして、ついには映画を見ている我々までもが彼を赦すことができる。
91点。
愛憎と疑念の行き交う物語が良い
総合70点 ( ストーリー:80点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:65点|音楽:65点 )
犯罪を犯した男女2人の愛憎と疑念の行き交う物語が良い出来だった。犯罪現場をはっきり見せないし、演出は古い映画だけあって迫力があるものではないが、現実に起きた話を基にしたという原作の小説からの物語の出来が作品を引っ張っている。
子供の頃に、再映画化された天然色のもっと新しいものを最初のほうだけ観たことがある。そちらのほうはさらに良い出来栄えかもと期待させられる。機会を見つけて観てみたい。
面白い! さすがに何度も映画化されている話だ、男女の愛憎が巧みに描...
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