遊星からの物体Xのレビュー・感想・評価
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SFホラーの名作中の名作
1982年製作の本作は、今からおよそ30年以上前に製作された作品であり、その存在すら知らない人も多い位である。ましてやこれが1952年公開の作品のリメイク版である事なんて影も形も知らないだろう。悲しい限りである。52年のオリジナル版は、映像的な進歩が無い時代であった事などからかなり苦しいものを感じるが、あまり悪い事をしない異星人を人間らがボコボコにするという、当時の時代背景を色濃く反映させた、中々奇天烈な作品だった。それが「ハロウィン」のジョン・カーペンター監督の手にかかるとどうか。今見ても見劣りしない気持ち悪さマックスの特殊効果の数々。頭が勝手にちぎれ、蜘蛛のような足と触角が生えて動き出すという遊び心とも思えるキャラクターは恐怖を通り超えて愛嬌すら感じる程だ。だが、気持ち悪いだけで終わらせず、エイリアンの擬態能力を活かした疑心暗鬼に陥る展開など、動きは少ないながらも緊張感を持続させたままエンドロールまで引っ張ってくれる。その反面、カート・ラッセル含め、厚着で髭を沢山蓄えた男達が多く登場する本作は人物描写にはそれ程尺は使っていないようで、もはやモブキャラの様になってしまっている役者潰しの構成になっている。古臭く感じるのは時代の移り変わりというどうにもならない物のせいだが、ジョン・カーペンター監督作、あるいは製作総指揮等の作品は近年の作品でもどこか懐かしいというか古い印象を受ける気がする。これこそ、生涯にわたってホラー等を取り続けて来た監督ならではの味なのだろうか。20年以上前の作品でよく感じられることなのだが、あまり要らなそうな演出等が本作でも登場する。こちらはもっと観たいシーンがあるのにと感じる時もあるが、80年代特有の雰囲気はやはり格別である。この雰囲気がより観る者を気持ち悪く、怖くさせているのだろう。
SFホラーの名作
【”凄い特殊造形と、凄い俳優と、凄い音楽があれば凄い映画が出来上がる。他は何もいらない。それは今作によって実証された。映画の基本原理だ。By黒沢清。”今作は、経年劣化しない作品である。】
■1982年の南極。
アメリカ南極観測隊基地に1匹のイヌが逃げ込んできたきた。
そのイヌをノルウェー基地の隊員が執拗に追いかけてきた。
状況を把握するためマクレディ(カート・ラッセル)やコッパー医師(リチャード・ダイサイド)がノルウェー基地に訪れると、そこには無残な死体があちこちに転がっていた・・。
◆感想
・数カ月前に、ジョン・カーペンター監督のレトロスペクティブで、「ザ・フォッグ」「ゼイリブ」「ニューヨーク1997」を鑑賞した。
時代を感じさせぬ、映像及びを大変面白く鑑賞した。
・だが、私はそれらのジョン・カーペンター監督作品群の前の今作を映画館にて、鑑賞していた。
いつものように、夏季連休を、京都で過ごし祇園で呑み過ぎ、二日酔状態で名古屋駅にたった40分で到着。
酔いを醒ますために、名駅近くのシネマスコーレに足を運んだ。
で、私の手元にはこの作品のフライヤーがある。
レビュータイトルはそのフライヤーに記載されていた、黒沢清監督のコメントである。
・今作は、初見時には宇宙から来た、クリーチャーの作りこみの拘りや、クリーチャーが南極隊員に擬態化し、それを見分けるために隊員の血を採り、熱した銅線を付ける事により、誰がクリーチャーに擬態されているかを見極めるマクレディの”選別”シーンが面白かった。
<久方振りに鑑賞したが、面白さは変わらず。
今作はジョン・カーペンター監督が、幼少の頃に衝撃を受けたSFホラーの古典『遊星よりの物体X』をリメイクし、1982年に制作した作品であるが、クリーチャーのグロテスクなビジュアルと共に、隊員同士が疑心暗鬼になって行く様の、スリリングさは秀逸だと思った作品である。>
<2018年8月 シネマスコーレにてデジタル・リマスター版を鑑賞>
<2022年5月18日 別媒体にて再鑑賞>
芸術的なおぞましさ
この作品でSFXを担当したロブ・ボッティンは、当時若干22歳。 この若さで多くのスタッフを指揮し、全世界の映画ファンの度肝を抜いたのだから、恐れ入谷の鬼子母神とでも言うしかない。 仕事の出来には、年齢など関係ないのだ。
これを見る限り、もはや食傷気味のVFXよりも、SFXの方が断然見栄えがいいと言いたくなる。 実際、リアルなCG映像が見飽きし易いのに対し、立体的なSFXは、何度観ても目を見張ってしまう。 写真にはない絵画の魅力と言ったらいいだろうか。 この映画の化け物には、「芸術的なおぞましさ」が息づいている。
これがジョン・カーペンターの代表作と言われるのは、もちろんSFXの凄さだけではない。 恐怖を演出したときのセンスは、やはり頭抜けている。 オープニングで、強い照明に照らされてThe Thingの文字がベリベリと剥がされるように現れるところから、得も言われぬゾクゾク感が伝わってくるのだ。 一番油が乗っていた80年代に、一番気合を入れて作った作品ではないだろうか。
この映画を観たことがない人は、才能に溢れた芸術家の想像力が生み出したこの世界を、是非とも味わって欲しい。 面白さは保証します。
リスペクト精神を持って
評価されるべきはホラー表現よりも心理描写
疑いという恐怖、腹の底に潜む本音
未知の恐怖と対峙する時、皆で力を合わせて挑むということは綺麗事なのかもしれない。ましてその戦う相手が未知の物体が誰かに寄生・擬態するとなれば、誰に対しても疑心暗鬼にならざるを得ない。
公開は1982年と35年以上も経つというのに、クリーチャーは当時の観客の度肝を抜いたに違いないと思えるほどのグロテスクさ。しかし、それをこれ見よがしのモンスターホラーにはせず(しかし、見せるべきところでは惜しみなく見せている)、恐怖下に置かれた人間たちの群像・心理劇に仕上げたところこそが、この作品が長く語り継がれている所以であろう。
仲間の一人が未知の物体が擬態したものと分かるなり火炎放射器で焼き払う者。それをした相手を仲間殺しだと責める者。皆が皆を責め合い、疑い合い、罵り合い、果てには主人公の言動にさえ、我々観客も疑いの目を向けて見始める。従来のモンスターホラーのように、一人、また一人と姿を消していく恐怖とは異なった人間模様の描き方は、その後多くのホラー映画に影響を与えたことは間違いない。
「怖いものは見えないからこそ、怖い」というのはホラー映画の鉄則である。人に擬態した未知なる物体の姿が見えないのと同様に、人間の心理も見えるものではない。そう考えると、この物体の正体というのは誰もの腹の底にある黒い本音のメタファーなのかとさえ思えてくる。そのことを見事に描いているが故に、様々な憶測を呼んだラストシーンも鑑賞後の余韻をもたらせるのだろう。冒頭から流れる不気味なテーマ曲も含めて、“疑い”と“本音”という誰もの腹の底に潜む“物体X”の恐怖を楽しむべき一作である。
久しぶりに鑑賞
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