もののけ姫のレビュー・感想・評価
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そなたにサンが救えるか
久しぶりに金曜ロードショーで観ました。
何度も観てるのですが、やはりもののけ姫は良いですね。
宮崎ジブリ映画の中で一番に好きな作品です。
物語序盤にダラダラすることなく、ストーリーの目的がすぐに定められるのでそこは何も考えずに追っていくことができると思います。
目的(呪いを解く方法)を目指す中で人と自然と動物との共存、憎しみや悲しみやプライド、生産性や利便性につきまとう自然破壊など現状我々が生活していく中での避けては通れない道をファンタジーを通して伝えていると思います。
最後にまたゼロからやり直して新しい良い村にしようというセリフが、やはりどこか後悔しながらも突き進んでしまっていたのかな?と思いました。
また同じ過ちを繰り返してしまうバッドエンドなのか、自然との共存を目指すハッピーエンドなのかは、この後の物語の人々次第なのかもしれませんね。
追伸、カヨちゃんを忘れないでいてください…
『生きろ』の重み
古来より日本には沢山の神々がいた。その中のひとつに生と死を司る神として獅子神がいた。此れは即ち自然そのものである。そして自然に対して畏敬と畏怖の念を忘れた人間に対する警告である。
日本アニメの最高峰であり日本映画の不滅の名作である。当時の歴代日本映画興行収入を記録し日本アカデミー賞最優秀作品賞まで受賞した。そして社会現象となり伝説となった物語り。此れと"千と千尋の神隠し"が双方である。
この作品は当時劇場で1年以上の超ロングランとなっておりその存在を知らない者はいなかった。今の鬼滅のように各シネコンで時刻表上映では無く達成したものだった。シネコンは今の約半数で残りは昔ながらの単館や有っても数館の小規模な映画館達であったのだ。その中で達成した記録なのだ。
また若者の自殺が社会問題となっていた時代でもあった。そんな時、宮崎監督は若者達に「生きろ」とのメッセージを込めてこの作品を創った。物語りの中でタタラ場が破壊された時に登場人物の甲六の妻のトキが言っている「生きて居りゃ、何とかなる」これを伝えたかったのだ。
20回目くらいの鑑賞だがいまだに面白すぎる
こんな複雑でエンタメでアクションでアニメーションの嘘を詰め込んだ作品を作って、国内外で評価されまくったら、そりゃあその後あんな感じのフィルモグラフィーになるかも、いやなるよなぁと今回見て思いました。
隙がない、全てに気が巡らされていて血圧高い!と2025年の今思います。
一瞬2倍速くらいになるアニメーションの動き(アシタカやサンが走る、登るシーン)、たくさんのイノシシ達がそれぞれ全力で命を削って走っている動き、この映画のマジックが宿っている瞬間が絶え間なくありました。
このあとの宮崎駿は、この映画以降語るべきストーリーを無くしていくわけですが、確かにここまで詰め込み、なおかつエンタメに仕上げる力量を見せつけられれば、仕方なしか、とも思ってしまいます。
2025年の私たちから見れば、シシ神はあまりに原子力発電所のようであり、新型ウイルスのようであり、簡単に生と死を体感させるSNSのようでもあり、もうすげぇのなぁ、とため息でした。
台詞も映像も記憶に残るアニメのひとつ
魅力が無い…
つまらんかったです
面白い
もう何度見たか知れない作品。
ラピュタの「すべてを見せる」構造から、「すべてを描くが表現しない」構造へと変えたのは、作り手宮崎駿さんのすべてを描いてしまうと描きたいものがなくなってしまうということに気づいたからだということだ。
だからこの作品の裏設定は凝りに凝っている。
視聴者も感じる矛盾点のようなものを探すために何度も見てしまう。
村というのか小国の王になるはずだったアシタカヒコ
タタリ神によって呪いを受けるが同時に神々の聖痕を受ける。
村を出ることになる際に恋人カヤから受け取った黒曜石のナイフを、いとも簡単にサンへ渡してしまう。
「私はたたらばで暮そう」
さて、
単純に見て楽しめる作品だが、現代人の感覚と当時の人の感覚の違いという視点から見ることでこの作品の裏の顔が見えてくる。
この物語の視点はすべてアシタカによる。
しかし、彼が感じたこと それさえも押し殺していることでアシタカが感じているはずの葛藤のようなものがあまり見えないことが、この作品を別物にしているようだ。
宮崎さんに影響を与えたのが司馬遼太郎さんで、「人間というのは本当に不条理を抱え込んでしまうとき、礼儀正しくなるんです」という言葉が効いたようだ。
この視点によってこの作品がまったく違ったものになり、さらにタイトルがそれに輪をかけてしまった。
アシタカせっ記
これこそがこの作品の本当のタイトルのようだ。
しかしそれでは売れない。
このジレンマ
風の谷のナウシカを「巨大虫オーム」とするようなものだ。
このあたりは岡田斗司夫さんが解説している。
岡田さんは宮崎さんや鈴木さんなどたくさんのアニメーターたちと交流があるので、「実は」というのをよく知っている。
彼の語るこの物語の「実は」は、一般的には追うことなどできないだろう。
さて、、
一般視聴者の私が感じたもののけ姫
縄文文化を受け継いできた小国
豊かな森 自然との調和を崩さない生き方
ここに突如として現れたタタリ神 呪い
少女たちを守り国を守ったアシタカが追放される。
彼の本当は感じていたであろう不条理との葛藤を描かないことで、この作品が万人ウケすると同時に別物になった。
ヒイ様の呪い返し
西の国で起きた不吉なこと 呪いを受けたアシタカをそこへ向かわせることでその呪いを返す手法。
アシタカがたたらばへ残ったのはやはりサンがいるからだろう。
黒曜石のナイフをサンに贈ったのもカヤというたった一つの心残りを捨てたように思った。
それだけ国から追放されるというのはアシタカにとっては重いことだったのだろう。
マゲを切り落としたのは儀式だったが、黒曜石のナイフこそ自分自身をまったく別の世界の人間として生きることの決意だったように思った。
この物語に登場するたくさんの対峙軸
鉄という資源を得るために森を破壊し続けるエボシたち
その鉄を奪いたい侍たち
森の破壊を許さない神々
シシ神の首にあるという強力な力
彼らは巨体で言葉を遣うが、その他の特別な能力はない。
怒り狂い、人間を呪い、心を腐らせるように土蜘蛛のような妖怪タタリ神になるだけで、呪う以外の力はない。
アシタカは「人間の手でシシ神の頭を返したい」と言った。
日本各地に残るダイダラボッチ伝説
エボシには彼女らの言い分が存在する。
捨てられていた女の子を拾ってくる。
病気の人を人として扱ってくれる唯一の人
この多角的な面を考えると、人それぞれの生き方もまた多角的であっていいように思った。
考え抜いた上の生きる術 たたらばと鉄の生産
このたたらばに子供たちがいないのは何故だろう?
捨てられた子供は拾うのに、子供を産むことをエボシは嫌っているのだろうか?
サン
山に捨てられた子供をモロが育てた。
捨てたのが、あるいはエボシだったのだろうか?
目的のためには犠牲もいとわない女エボシ
たたらばの女たちの見たとは全く違う一面をのぞかせる。
シシ神の首 未知なる力 不老不死の力 繁栄の力
「シシ神は活かしもするし殺しもする」
破戒された自然はまた元に戻ろうとする。フクシマのように
人間の行き過ぎた破壊は、結局自然の元に戻ろうとする力によって戻されてしまうのかもしれない。
それを人間は知っていて、または感じることで終末論などが湧き起るのだろうか。
隕石の落下も、大地震も大洪水も自然の元に戻ろうとする力かもしれない。
もし、
サンがエボシの子供だったら、エボシはその罪滅ぼしのために捨てられてる子供を拾ってくるのだろうか? それとも単なる人工か?
既に山犬に育てられていたサンを、エボシは見つけることができなかったのだろう。
逆に山犬と一緒になってたたらばとエボシを狙うようになってしまった。
その娘と戦うときは、娘を殺すこともいとわない。
これこそエボシに降りかかった呪いだが、自作自演とも取れる。
「共に生きる道」
アシタカの提案
この時代 磁石を袋に入れ海岸の砂浜を行ったり来たりすれば、たくさんの砂鉄が取れるが、当然そんなことは無理な時代。
力対力では力のあるものが勝つ。
この構造は未だに変わらないし変えようとしないが、アシタカのような提案をすることはできる。
結局最後は未来少年コナンのように自然の力が勝つ。
この繰り返しが人類の歴史でもある。
様々な対立軸と視点のある物語
もっと書こうと思えば書けるが、キリがない。
だから、何度見ても面白い。
ナウシカがオーバーラップ
共生とは。
宮崎駿氏は一時期、照葉樹林文化論に傾倒していたらしい。
(照葉樹林文化論とは…)日本の生活文化の基盤をなすいくつかの要素が中国雲南省を中心とする東亜半月弧に集中しており、この一帯から長江流域・台湾を経て日本の南西部につづく照葉樹林地域に共通する文化の要素は共通の起源地から伝播したものではないかという仮説であり、この中にはブータンも含まれるとか。この説は現在ではこの文化論そのものを否定する意見もある。諸説ありという事だそう。
衣装はブータンを参考にしていたとか。
かつて西日本に繁茂していた照葉樹林の原生林も今ではほとんどなくなっている。残っているのは屋久島など僅かだと言う。
自分で食べる分だけ獲る。生きるために食べるのであって、娯楽のためなどでは無いこと。
自然VS文明の映画NO1
ざっくり言えば「自然VS文明」「精霊VS人間」のバトルなんだけど、
人間サイドの中でも色んな立場、思惑、信仰が違っていて、自然サイドでも種によってスタンスが全然違っている
派閥が乱立していて、勢力図にすると矢印が絡み合っていてややこしい
さらに人間の営みを悪と描いていないから余計見方が難しい
これ結局どっち応援すればいいの?って見てるまま終わっちゃった
悪者がいない。強いて言えば人間と自然が存在することの世界の歪みが悪。この歪みが祟りの正体なのかな?
アシタカはこの争いに巻き込まれたんだけどアシタカのお節介感が面白かった
僕がアシタカだったらどういうスタンスを取るのがいいんだろう。
とりあえず猪集団には入りたくないよね。臭そうだし。大将の目ヤニすごいし
たたらばも重労働だろうし怪我とかしても労災降りなそうだから嫌かな
しし神様の付き人がいいな。マネージャーみたいな。しし神様のスケジュール管理して、ギャラの交渉とかしたいな
履歴書どこに送ればいいんだろう?TOEICとかやっぱりあったほうがいい?漢検3級じゃ厳しい?
ジブリの中でも、モロに社会貢献を謳った作品。
人間と自然との共存をテーマにしており、環境保護や戦争、愛と憎しみなど、多くの深いテーマを扱っています。SDGsが主題となった現代に、正に刺さる作品。
世代ど真ん中ではないですが、現代の若者たちが観るべき映画かもしれません。
久石譲氏が手がけた壮大で感動的な音楽が、映画の雰囲気を一層引き立てています。特に、メインテーマや戦闘シーンの音楽は心震えます。
本作品は、美しいアニメーション、深いテーマ、複雑なキャラクターによって、多くの人々に愛され続ける作品です。人間と自然の関係を考えさせられる感動的な物語であり、観るたびに新たな発見があること間違いなし!
アニメが実写を越えた日
事実として、興行成績において、邦画のトップになった。
どれだけの日本映画が束になって掛かっても、『もののけ姫』にはかなわなかった。それほど素晴らしい出来のアニメーションで、ジブリは年を追うごとにクオリティをアップさせ、とうとうこの領域にまで到達したのだ。
『機動戦士ガンダム』の安彦良和氏が『ナウシカ』を見た時に素直に敗北を認め、アニメ界からの撤退を決意したというエピソードの、さらにその先に、この映画がある。安彦氏はどうやら『もののけ』には納得していない様子だが、歴史漫画を描き続けてきたマンガ家として言いたいことがあるのだろう。
神と穢れについて、これほど壮大にファンタジックに、そして物語として美しくまとまった映画は、今まで見たことがない。
そして驚くことに、これ以降も、勝るとも劣らない作品群を生み出し続けていることだ。宮崎アニメに邦画がひれ伏した日だった。
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