もののけ姫のレビュー・感想・評価
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【95.】もののけ姫 4Kデジタルリマスター 映画レビュー
作品の完成度
『もののけ姫』は、人間と自然との根源的な対立、憎悪の連鎖、そして共生への微かな希望という、人類が抱える最も困難な問いを、壮大なスケールで描破した叙事詩的傑作である。その完成度の高さは、監督の作家性が極限まで追求されたこと、そして当時のアニメーション技術の粋が結集された点にある。宮崎監督が長年温めてきた構想に基づき、従来の勧善懲悪を超越した多層的な物語構造を採用したことで、観客はアシタカという「第三の視点」を通して、登場人物それぞれの正義と業を理解せざるを得ない。特に4Kデジタルリマスター化により、シシ神の森の木々一本一本の緻密な描写や、タタリ神の禍々しい蠢動といった微細な表現が鮮明になり、作品が持つ「力」が純粋な形で再現された。それは、単なる娯楽作品としてではなく、一つの哲学的な映像詩として、時代を超えて鑑賞されるべき芸術作品としての地位を確立している。
監督・演出・編集
監督である宮崎駿は、本作において商業的な成功と個人的な芸術的探求を完全に一致させた。彼の演出は、物語のテンポを犠牲にすることなく、緻密な情報量を画面に詰め込むという離れ業をやってのけている。編集は、静謐な自然描写から一転して苛烈な戦闘シーンへと観客をシームレスに引き込み、緊張感を緩めることがない。特にアシタカがコダマの導きでシシ神の森深部へと分け入るシークエンスは、映画的な「没入感」を極限まで高めており、映画館という暗闇の空間でこそ真価を発揮する。この緩急自在な演出は、登場人物の感情の機微を捉えつつ、物語が持つ巨視的なテーマ性を際立たせ、観客を深く作品世界へと引きずり込む。
脚本・ストーリー
本作の脚本は、安易な解決を拒否した点に最大の特質がある。アシタカとサン、そしてエボシ御前という三者が、それぞれ異なる倫理と生存原理に基づいて行動し、誰一人として絶対的な「悪」として描かれない。この多角的な視点の提示こそが、物語を単なるファンタジーではなく、歴史的、社会的な重みを持つ寓話へと昇華させている。自然と人間の対立という普遍的なテーマを、「祟り神」「シシ神」といった日本古来の神話的世界観を通して再構築し、現代社会の分断や環境問題へと接続させる手腕は驚嘆に値する。結末で示される「共に生きよう」というメッセージは、勝利でも敗北でもない、苦渋に満ちた受容であり、それがゆえに鑑賞者の心に深く突き刺さる。
映像・美術衣装
美術監督の男鹿和雄と山本二三による背景画は、日本のアニメーション美術の頂点を示す。特にシシ神の森の描写は、緑の深み、水の透明感、光の粒子に至るまで、神々しさと畏怖を同時に感じさせる圧巻の美しさである。4Kリマスターにより、その色彩のグラデーションとディテールがさらに強化され、まるで絵画の中を移動しているかのような錯覚に陥る。また、タタラ場の描写における生活感あふれる美術や、製鉄所のリアルな構造、登場人物の衣装に見られる泥や汗の表現は、このファンタジー世界に確かなリアリティを与えている。手描きアニメーションの温かみと、当時最先端だったデジタル技術(特にタタリ神の表現やシシ神の変容シーン)の融合は、現在においても色褪せることがない革新的な挑戦であった。
キャスティング・役者の演技
主演、助演を問わず、本作のキャスティングは、キャラクターの本質を見事に体現する俳優・声優が起用されている。
• 松田洋治(アシタカ役)
主人公アシタカに命を吹き込んだ松田洋治の演技は、一貫して清廉で、悲劇を背負いながらも希望を失わない青年像を的確に表現している。単なるヒーローとしてではなく、呪いを負った者としての苦悩、そして対立する者たちの間に立って調停を試みる「静かなる意志」を、抑制の効いた声のトーンで表現しきった。特に、憎悪の力に呑み込まれそうになりながらも「黙れ、小僧!」と怒鳴るシーンでは、彼の内面に渦巻く葛藤と、それでも平和への願いを捨てない強靭な精神性が垣間見える。その声には、観客がこの複雑な物語世界に入り込むための、揺るぎない「倫理的な支柱」としての役割が完璧に果たされていた。
• 石田ゆり子(サン役)
山犬に育てられ、人間を憎む「もののけ姫」サンを演じた石田ゆり子の声には、野生の鋭さと、内面に秘めたる純粋な悲しみが共存している。セリフの多くない役柄において、彼女は息遣いやわずかな感情の震えだけでサンの持つ孤独と苛烈さを表現した。人間でありながら人間ではない、動物にもなりきれないという複雑な存在を、力強い発声と、時に見せる繊細な感情の揺らぎをもって立体的に描き出している。特にアシタカと対峙し、互いの立場を超えて惹かれ合う過程での声の変遷は、サンの内面的な成長と葛藤を見事に表現しており、聴く者に深い感銘を与える。
• 田中裕子(エボシ御前役)
タタラ場を統率するエボシ御前を演じた田中裕子の声は、知性と冷徹さ、そして圧倒的なカリスマ性を帯びている。彼女が作り上げたエボシは、単なる悪役ではなく、弱者を救い、新しい社会を築こうとする指導者としての強い信念と、それゆえに自然を破壊することも厭わない業を併せ持つ。田中は、その複雑なキャラクターを、余裕のある低い声と、一瞬の決意を込めた鋭い言葉遣いで表現し、エボシの抱える「大義」の重みを観客に強く印象付けた。彼女の演技なくして、エボシ御前というアンチヒーローの成立はあり得なかった。
• 小林薫(ジコ坊役)
ジコ坊は、物語の裏側で暗躍する謎の人物であり、小林薫は飄々としたユーモラスな調子と、底知れない冷酷さを併せ持つキャラクター像を見事に造形した。その落ち着いた声の裏には、世俗の権力に対する達観と、目的のためには手段を選ばない現実主義的な哲学が透けて見える。小林の演技は、物語の緊迫した瞬間に、人間社会の暗部と狡猾さを象徴する一種の「狂言回し」としての役割を果たし、観客に作品の持つ多面性を再認識させる重要な要素となっている。
• 美輪明宏(モロの君役)
犬神の長であるモロの君を演じた美輪明宏は、その圧倒的な存在感と深みのある声で、森の神々の威厳と怒りを具現化した。人間の愚かさを鋭く指摘し、サンに対する深い愛情と、自然界の掟を守ろうとする強靭な意志を表現した。美輪の独特で荘厳な声質は、モロの君の神秘性と老獪さを際立たせ、登場するシーン全てに重厚な緊張感をもたらしている。その迫力あるセリフ回しは、単なるキャラクターの声を超え、自然そのものの魂の叫びとして観客の心に響く。
• 森繁久彌(乙事主役)
クレジットの終盤に登場するイノシシ神の長、乙事主を演じた森繁久彌は、作品全体に深遠な「古の力」と「悲劇性」をもたらした。晩年の森繁が持つ重厚で威厳に満ちた声は、老いた神の持つ誇り、そして時代に抗うことのできない絶望的な運命を表現している。その発声には、単なる演技を超えた人生の奥行きが感じられ、滅びゆくものの美しさと哀愁を深く印象づけた。短い登場時間ながらも、その圧倒的な存在感は、物語のクライマックスにおける精神的な重石となっている。
音楽
久石譲による音楽は、本作の壮大な世界観を構築する上で不可欠な要素である。彼のスコアは、日本古来の旋律と西洋のオーケストレーションを高次元で融合させ、自然の雄大さ、戦闘の激しさ、そして登場人物の心情の機微を余すところなく表現した。特に「アシタカせっ記」のテーマは、聴く者を一瞬で悠久の時が流れる神々の世界へと誘い込む力を持っている。また、主題歌である「もののけ姫」は、カウンターテナー歌手の米良美一が歌唱を担当し、その唯一無二の透明感と神秘性を帯びた歌声が、物語の根底に流れる哀愁と美しさを象徴している。この主題歌は、その芸術性が高く評価され、第21回日本アカデミー賞協会特別賞として主題歌賞を受賞している。
受賞の事実
本作は、その圧倒的な完成度により国内外で高い評価を獲得している。特に第21回日本アカデミー賞において最優秀作品賞を受賞し、アニメーション映画として初めてこの栄誉に輝いた。その他にも、第1回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞、第52回毎日映画コンクール日本映画大賞・アニメーション映画賞など、数多くの主要な映画賞を受賞し、その批評的・芸術的価値が広く認められている。
『もののけ姫 4Kデジタルリマスター』は、単に過去の名作を蘇らせただけでなく、現代の技術をもってその本質的な力を再解放した作品である。宮崎監督が描いた、今もなお続く人間と自然、そして人間同士の間の闘争と、そこに見出される微かな希望は、21世紀に生きる我々にとって、深く、そして重い問いかけとして響き続けている。
作品 [Princess Mononoke]
主演
評価対象: 松田洋治
適用評価点: S10
助演
評価対象: 石田ゆり子、田中裕子、小林薫、美輪明宏、森繁久彌 (平均)
適用評価点: S10
脚本・ストーリー
評価対象: 宮崎駿
適用評価点: A9
撮影・映像
評価対象: 奥井敦
適用評価点: S10
美術・衣装
評価対象: 男鹿和雄、山本二三 (美術監督)
適用評価点: S10
音楽
評価対象: 久石譲
適用評価点: S10
編集(減点)
評価対象: 瀬山武司
適用評価点: -0
監督(最終評価)
評価対象: 宮崎駿
総合スコア:[95.095]
タイトルなし(ネタバレ)
もののけ姫が大好きでそれを映画館でで観れるなら絶対観たかったがもう最高。
作品自体は何回も観てるが数年振りに改めて観て思ったのが脚本、キャラ造形、セリフ、演技、演出、音楽が全部良い。
やっぱりIMAXだと絵も音の迫力もすごく、感情に直に訴えかけてくる感じで、特に1番最初のアシタカが旅立つシーンの絵や音楽に泣かされた。
作品自体の感想は色々あれどやっぱり令和の時代にデカいスクリーンと音で観れたのは感激。
他のジブリもして欲しい。
凄まじい傑作!
単純に宮崎駿のプロットのままだったら
キャラクターが発するのは台詞ではなく説明
米良美一さんの歌う主題歌「もののけ姫」の記憶ばかりで、内容についてはあまり覚えていない作品でした。2025年のIMAXでの再上映の機会に、せっかくなのでと鑑賞しに行きました。
一般には高評価作品なのでしょうが、残念ながら私個人的には刺さってきませんでした。主要キャラクターが発するのが、台詞というよりは物語の説明にしか聞こえず、感情移入できるほど作品に引き込まれなかったためです。
世界観がシンプルではないので、キャラクターたちに語らせるのは仕方ないところとは思いますが、説教くささが強くなりすぎて受け付けなかったです。勘違いもあるかと思い、念のため3日後にもう一度見直しに行きましたが、理解度・好感度は上がらず、無理して見る感じになってしまいましたので、今の私には合わない作品と思うことにします。
映像は...音楽同様に基本的には素晴らしいのですが、祟り神のまわりのうねうね系がだめでした。以前はもう少しは耐性があったように思っていましたが、映像美を楽しむ前に気持ち悪いの方が勝ってしまうので、他の作品を探します。
映画館で観れることが嬉しい!!
⭐︎4.2 / 5.0
IMAXもののけ姫最高❗️❗️🐺👩🦌👨
ジブリ大好きでキキのコスプレしてジブリパーク行く40代痛い女です。もののけ姫は金ローでも何回も観てるし数年前コロナ禍リバイバル上演された時も観に行きました。ヤックルに乗って。間違えた、電車に乗って。今回のIMAX上演もずっと楽しみにしていました。実はIMAXシアターでの鑑賞初めてでプラス700円の音の違い分かるかな?と心配していましたがIMAX超良いのが分かった!まずスクリーン超大きい、音最高でした。サン&アシタカの寝蔵の洞窟みたいな所でのセリフの響き方、コダマのカタカタ音、ヤックルの爽快時&負傷時の走り方の足音、全てがIMAXでしか味わえないですね。他ジブリ作品もぜひIMAX上演して欲しいです。ナウシカ、ラピュタ、魔女宅希望。人間と野生動物の共存、自然破壊等今の熊被害を考えさせられました。何回も観てるけど首取り合戦最後のジコ坊の言動大笑いしてしまった!!IMAX上演有難うございました!!
生きろ。
“観る”から“聴く”へ。IMAXが変えたもののけ姫体験
おそらく人生で、大袈裟ではなく50回は観ています。
ストーリーの圧倒的な完成度は言うまでもありませんが、IMAXで観ることで、今まで意識していなかった細部にまで新しい気づきがありました。
まず――あの「アシタカせっ記」をIMAXの大音量で聴けるだけで、今回観に来て本当によかったと思える。
そして、ご飯を食べる音、食器の音、弓の音など、効果音の作り込みが完璧。
まさに“音で世界を構築している”ような感覚でした。
さらに、声優陣の演技が改めて素晴らしかった。
セリフの抑揚や息遣いまで、IMAXの音響で聴くと一段と深みが増していて、
「これは映画館で聴く価値がある」と心から思いました。
ジブリ作品は何回観ても新しい発見があり、何度でも楽しめるコンテンツ。
今回のIMAX版はその魅力を最大限に引き出してくれる体験でした。
私はこの期間で最低でもあと3回は観たいと思っています。
それくらい、満足度が高かったです。
作品は懐かしくて最高だった。ただ……
28年前も、劇場で観ました。
その後、TV放送でも何度も見ました。
でもまさか、IMAXで『もののけ姫』が観られる日が来るなんて!最高すぎました!
作品に関しては賞賛の言葉しかありません。
ただ……とても残念だったのが、
通路挟んで横の席に座った男女(多分私と同年代ぐらい)が、ポップコーンを途切れなく食べ続けるため、伸び縮みする腕がずっと視界の端に入り、
尚且つクチャラーだった為"サリサリ、カシャカシャ"と咀嚼音が絶え間なく聞こえ続け、底の方にあるポップコーンを掴む為にカツカツと爪が当たる音、ポップコーンを寄せる為(?)入れ物を振る音などが大変気になり、作品に集中するのに大変苦労しました。
しかも、エンディングのド頭で席を立ち、米良さんの美しい主題歌も、久石さんの壮大な『アシカタせっ記』も聞かずに出て行かれました。IMAXの、しかもプレミアシートで観ている方が『おわり』の文字が出る前に席を立たれた事が……なんか……
通常席ですが、「28年越しに大スクリーンで観られる!」と、意気込んで来た私からすると、残念に思えました。
ポップコーンの音や、離席に関して書くと、
「そんな事ぐらいで…」と非難されるのは承知の上です。
ただ私は……私の人格形成に多大なる影響を与えてくれたジブリ作品に、28年の歳月を経て、どっぷり浸りたかったのです。
作品に没頭したい方は、私以外にも沢山いらっしゃると思います。持ち込みOKな飲食物だったとしても、家で見ている感覚で飲み食いするのではなく、周りに赤の他人様がいる事を頭におき、迷惑にならないような振る舞いをしてほしいな、と強く思いました。
大迫力の音量は見る価値あり
子供の頃、映画館で4.5回は観たもののけ姫。
ジブリ作品の中でも大好きな作品です。
前回コロナ禍で再上映された時も観に行きました。
(公開から◯◯年て書いてあって、その時はそんなにもう経つの⁉️とだいぶビビりました)今回IMAX上映ということで、楽しみにしてました。
ただどこも結構混んでる。日比谷は諦めざるを得ない感じで、さすがもののけ姫と思ったほど。
テレビでも放送されてたから何十回と見てるし、なんなら昔はビデオも持ってたくらいリピートしてみているからストーリーは全部覚えてるんだけど、今回は音がいいからか小さな息遣いのような音までしっかり聞けて、こんなセリフ言ってたんだと思ったシーンもありました。
あと子供の頃とは違う感想になるのも面白いところ。
大人になったからこそ共感できる部分もあるので、その時々の立場,年齢による楽しみ方ができるのもいいですね。
ちなみに,平日の午前の会なのに水曜日だったからか結構混んでました(激混みの日比谷は避けて都内某所です)IMAX上映館数が少ないからかな。あと同世代〜それ以上が多かったw
これが28年前の作品なのかI can’t believe this film came out 28 years ago.
公開の時は、
おそらく忙しくて観に行けず、
テレビ放映も、途切れ途切れにしか観ておらず
IMAXでの再上映が始まったのを聞きつけて
ちゃんと観た。
宮崎駿さんは嫌がるのかもしれないが
今、この今こそ、全世界が観るべき。
期間限定でも良いから、
それこそあらゆるサブスクで
この「もののけ姫」を観るべきだと
正直、そう思った。
IMAXの公開は、どこもすぐ満席で
平日の15時から
万博公園の109シネマズ大阪エキスポシティで
かろうじて空いてた。
他は夜は軒並みほぼ満席になっている。
可能ならばみんな観て。
27年前の作品とは思えない内容。
ストーリーと
多々良場の描写のクオリティに唸ってしまった。
28年前ですら
宮崎駿監督が危機感を持って
この作品を作ったんだとしたら
今はもっとやばい事になっている。
とにかくみんな観よう。
When it was first released, I was probably too busy to see it in theaters.
Even on TV, I’d only caught bits and pieces—never the whole thing.
But when I heard about the IMAX re-release, I finally watched it properly.
Hayao Miyazaki might not like to hear this,
but now, more than ever, this is the film the entire world needs to see.
Even if only for a limited time,
I honestly believe Princess Mononoke should be available on every streaming platform.
Tickets for the IMAX screenings sold out almost instantly.
I barely managed to find an open seat for a 3 p.m. weekday show
at 109 Cinemas Osaka Expo City in Banpaku Park.
All the evening screenings were completely full.
If you can, please—go see it.
It’s hard to believe this film is 27 years old.
The story, the world-building, and especially the craftsmanship
in the depiction of Tatara Ba (the ironworks village) left me speechless.
If Miyazaki made this film 28 years ago out of a sense of crisis,
then things are far more serious now.
In any case—everyone should see it.
新しいもののけ姫
みなさんこんばんわ。
いきなりだが一言申すわ!
「もののけ姫最高かよ!」
はい。
私は元々ジブリシリーズの中でも最上位を獲得していた作品でした。
特にアシタカ君はジブリのメンズキャラクター内1位に輝く推しキャラでふ。( '-' )( '꒳' )( ˙꒳˙ )笑
おっと話が脱線しそうなので本題に入ります。
今回IMAXで私はじっくり鑑賞したかったのでプレミアムシートも予約し、2200円で鑑賞致しました!
昔はIMAXなんてなかったし映画館で見たあとはみんな金曜ロードショーで見ていたかと思われます。
しかしどうでしょう!?
IMAXで見た瞬間
「えっ?これは新しいもののけ姫なんですか?」と言うくらい感動する瞬間や場面が多かった。
特に音楽なんかは挿入歌が流れる度あの頃を思い出し懐かしさが蘇り心地好い空間に包まれた。
そして子供の頃見ていた時はもののけ姫って少し話が難しいなと感じていたが大人になって再度きちんと見ると作品の意味が私にもしっかり理解出来てそこでまた思わず感動してしまった。
みんな!宮崎駿先生と鈴木敏夫さんのタックは最強だと思いませんでしたか?
この頃から2人は忠告してたんですよ!私たちに!
「人間の自分勝手な考えで海や森を汚すな!動物達の居場所を無くすな!人間と動物は仲良く共存して生きなさい。そして自分を持って生きろ」
こんな分かりやすいテーマをあの作品に込め
人々を魅了した訳だ!
天才なのか?
タイトルも良い!
「もののけ姫」だぞ!
サンも人間ですからぁ!いやー。
言葉では言い表せない作品の良さ。
久しぶりに見たから何度も感動して泣きました。
その作品の意味を無視して出来上がったのが今の日本。
獅子神様が最後森を枯らしまくって暴走してたよね。
それが今の日本になってしまったんだなぁ。
残念だ。あの頃から日本が駄目になっていくと
まるで手に取るかのように分かっていたのではないかと感じた。
環境汚染を作り出していたのは私達人間だったのだ。
つまり私達はエボシ様なのだ。
自分達さえ良ければ周りの事や環境汚染問題など
どうでもいい。我が道を貫くぜよ!
この考えが結果今の日本の姿になったのだ。
だから今の日本はおかしくなり熊や猿も地上に出て来て戦う事になってしまったのだ。そのうち、ショウジョウ達が現れて「人間食う。人間たち食べて人間たちの力を手に入れて人間達やっつける」
って言う動物達が新たに現れるかもしれない。
みんなもうこんな手遅れな日本だけどもう一度環境について考えていきませんか?
私は今の住みにくい日本が大嫌いです。
「生きろ」と言うメッセージには程遠い世界である。
生きる、ということ
映画館という、作品に最も没入できる環境でこの作品を観るのは初めての経験だった。
最初に出てくる感想は何回観ても名作は色褪せないという一種の普遍的なものであったが、王道でありながらも魂を真正面から見つめられ、強いテーマ性をもちながらこれでもかと叙情を揺さぶられるような作品には、最高に合う文句であるように思う。
以下映画を振り返っていく中で率直に感じ取ったこと、感想を述べようと思う。
人生において映画レビューは初めてなので、言いたいことが上手くまとまらず支離滅裂であることを留意いただきたい。
本作品の根底には生と死は等価値であるという価値観が前提としてある。
自然の中においては、生も死も分かちがたく、等しく「あるもの」として受け入れられている。
この作品における「自然」を象徴する存在ともいえるシシガミは生と死を同時に司る神として描かれていた。
けれどこの物語は、その等価性をただ説くだけのものではない。
たとえ生と死が等しいとしても、死は新たに何も生まない。一方で、“生きる”という行為によってこそ、生まれる、生命固有の美しさがあることを、神々含む登場人物たちの生き様を通して伝えているのだ。
文明の発展というものは生命としての一種の進化であり、また、生命たる以上、どうしても無くすことができないものである。それを無理やり抑え込むなぞ出来ないのも、エボシ御前やたたら場の人々からも感じ取ることができる。
でも、それゆえに生存本能としての破壊も生まれる。まず己を守ることに必死になるのが生命の性であり、それに伴う暴力の行使は自然の摂理の一部でもあるのだ。「祟り」として表出される憎しみや恨みも「自分の居場所を奪われた」ところから来ており、この摂理に帰結する。
しかし、過剰な破壊は自身にとっても毒となる。自身の居場所を守ろうとするために行使した暴力は、直接でなくとも、そのうちになんらかの形で跳ね返ってくる。
だからこそ、アシタカは曇りなき眼で「共生」という道を見定め、模索する。
自己や他者を傷つけることは生きる上で仕方がない。でも、傷つけ合いながらも共に生きていく、という選択肢である。
これは、自然と共に生き、死ぬことを選びとる、日本古来のアミニズム思想にも繋がっている。
民俗学者である和辻哲郎が著書「風土」にて述べたように、日本は災害が多い国であるからこそ、自然と共に暮らし、神に寄り添う文化が育った。
『もののけ姫』の世界における“共生”の思想は、まさにこの価値観を体現しており、それはアシタカの生き方にも通底している。
縄文的価値観が色濃く残っている蝦夷の生き残りであり、祟り神の呪いと運命を共にしたアシタカだからこそ、文明と森を繋げられたのである。
シシガミは死んでしまったが、森は再生し、新たな命が生きようとする。
どんな状況下になっても、生命は芽生え、生き続けていく。
自然と文明との橋渡しとして、アシタカは再びサンに会いに行くのだ。
どひゃーーー! (2回目の追記も)
今になって評価する必要なんてないよね。というよりできません。
腰据えてみるのはちびっこだった時以来だと思うので30の誕生日に観た時に思ったことを書こう。
大きく3つ
1
冨樫作品を彷彿とされる演出がいくつかあるなって思った。
10人がかりで開ける城門は試しの門みたいだし、たたらばでエボシとサンの間に入る時の呪いの見せ方は厨二病の代名詞のアレだったり。一般的な表現なんだろうか。時代的にはかなり近いみたい。
2
高校生の時から原作ナウシカを何回も見返していてこの度もののけ姫をみて強く思ったのが
「底の見えない絶対的な腐海」と、畏れられてはいるものの大陸からの技術なども入ってきて「少しづつ削られ開発なんかもされてしまっているシシガミの森」
その2つを対比して見てしまったからとても切なかった。人間の飽くなき欲望は神すらも殺してしまう。視聴者、第三者からしたら無粋に見える行動も実際にそこで生きている人間からするとその日を生き抜いてより良い未来を獲得するための最善手でありとやかく言われるものではないのだろうけれど。ままならないものだね。
こだまに焦点当たりがちだと思うけれど森に飛んでる羽虫って大王ヤンマ、、?
3
フルセルじゃないとイカンっては思わないし心が震えればどんな手法だってそれが正解だと思うけれど、それでも安心みたいな感情が出てくるな。ジブリ、駿の狂気について語るのは今更なのだろうけれど。今作は2時間の長編ということもあって、お子ちゃま連れでご観覧なさってるお客様の影が野を駆けるアシタカさながらにトイレへ急ぐ様子が何回か見られた。そんな長時間全く退屈させない密度感はさすがとしか言えない。
劇場で見るのはそれはそれは特別な体験なのだろうけれどリモコンで止めながら画をゆっくり舐め回すように見たいシーンが矢継ぎ早で溺れてしまいそうだった。そんな中でも導入の祟り神のうねうねと四つん這いで走り回る冒頭の1カットに衝撃を受けた記憶はある。しかし具体的にどのカットか思い出せないし文字に起こすことができないのは悔しいから、明日また見に行こうかと考えている。
私が見たシアターは2kって注意書きがあったけれど、後ろのブロックの最前列で見ても全くつぶれてるようには見えなかった。4kかどうかは取ってつけた付加価値みたいなものなのかなって思った。この時代ブラウン管で見たとしても十二分に楽しめるだろうし、かえってローファイ感があってエモいって言葉を当てがわれるのだろうな。
とにかく素晴らしい体験でした。
2回目の感想
曇りのないまなこは見なくてもいいものまで見通してしまうのかもしれない。
今回は腐海との対比よりもこの前気になったカットを探すのに集中してた。問題のシーンはオッコトヌシにサンが飲み込まれた時の表現だった。完全に自分を見失った時大きな羽の生えた化け物になってる時のハウルだ。とするならばアシタカがソフィあるいはナウシカとも言えるかもしれない。「まなこ」って言葉が何回か出てくるから目の表現に注目ひて鑑賞してたら、上記の2人とエボシが同じ目をしてる。オッコトヌシに飲み込まれてるサンの腕自体からモニョモニョが生えてた。あの呪いは呪われたんじゃなくて自分を呪ってるんじゃないのか?アシタカも清廉潔白純真無垢とは考えられないし、2人の女性の中に夜叉がいると看破したということは自分にも似ているところがあるのだろう。駿作品で言うとソフィもポルコも。ナウシカは自分の中に闇があることを認め皇弟と言う呪いに当たる部分も自分の一部だとうけいれている。自分を呪っているって言い方ができる人物は散見されるのでその文脈でこれも見てもいいと思う。
モロの目は特別綺麗だ。石火矢を受けて人間に対しても強い憤りを持ってるから条件が整ってるはずだけれど彼女は祟り神にはならない。何よりサンを特別可愛がってるし人間を盲目的に恨んでない。エボシの石火矢を受けたのは本来はかすりもしないだろうが胸に受けたのということは自らを試したのかもしれないし、罪滅ぼしみたいな側面もあるのかもしれない。タタラ場を攻められてるのを知らせに来たモロの子供とアシタカは正面から臆せず突っ込んでもなんともないような表情なのだからモロなら避けれるあるいは当たらないような襲い方をするはずだ。メタ読みするなら本来ルパンに弾が当たるはずないのに当たるということは何かしら意味があるみたいなかんじ。総じてあの深い藍色の眼を持つものは業を背負って言い切らせてくれ。
あえて社会批判を描いてるとするならば環境破壊というより宗教戦争、代理戦争の要素が強く感じた。ベトナム戦争とかね。呼んでもないのにシシガミの森へ来たオッコトヌシの一族にモロは苦言を呈してた。動物たちはシシガミを自分たちを救済する神だと信じてたけれどそれも手前勝手な話だ。描きたかったのは批判じゃなくて諸行無常なのだろう。
キャラクターの美
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