「古代日本の迸る生命感」もののけ姫 かせさんさんの映画レビュー(感想・評価)
古代日本の迸る生命感
日本の神話時代、火を扱い山を焼く大和朝廷の力が、出雲(イズモ)、蝦夷(エミシ)、熊襲(クマソ)といったまつろわぬ民を平定し、各地八百万の神々を殺してまわる、そんな背景の物語。
【ストーリー】
エミシの民である主人公アシタカの村にタタリ神が侵入した。
どうにかこれを鎮めるも、アシタカはその身に呪いを受けてしまう。
巫女が言うにはその呪いは肉体を真っ黒に喰い荒らし、やがて死に至る恐ろしいもの。
宣託をうけ、アシタカはタタリ神が生まれた原因を探るためにその足跡を追う。
たどり着いたのは、人と神とが争う戦乱の地。
犬神モロの君に育てられたサンと、タタラ場を操業するエボシ、互いを殺したいほど憎み合う二人の女の間に入り、アシタカは調停に乗りだした。
だがそれを好まぬ大和勢力が、エボシを裏から支配し、両者の争いに火を注ぐ。
この地には生死をつかさどる神秘的存在・シシガミがおり、夜にはディダラボッチという巨人になる。
その首を持ち帰れば不老不死となるとの言い伝えがあり、大和の手の者たちは、それを帝にへの手土産にしようと不遜な画策をしていた。
朝を待ち、巨人がシシガミに戻る瞬間、エボシの放つ石火矢がその首をもぎ取る。
暴れ、のたうつディダラボッチ。
その体から生と死が噴出し、大きな塊となって山々、そして谷川の全ての生命を飲み込まんとする。
大和朝廷の間者ジコ坊を説得し、シシガミの首を取り戻したアシタカとサンが朝日の中で選ぶ未来。
果たして人と神は共存できるのか。
原生林の山岳地帯に出雲のタタラ、エミシの民、シシガミ、デイダラボッチ、オッコトヌシ、モロの君、みなぎる生命のイメージを横溢させた世界に、人間たちの思惑と陰謀がうずまく、宮崎駿監督が渾身で創り上げた一大叙事詩。
先日、近所で開催された『山本二三展』にゆきました。
その大半が宮崎駿作品で、細田守『時をかける少女』や新海誠『すずめの戸締り』などのヒット作と並べても、存在感はこちらが圧倒的。
「ブック」とか「組背景」という、近景や遠景を別々に描く背景があるのですが、シシガミの森の4〜5段階にわたる組背景は感動の出来で、鳥肌ものでした。
後年は故郷である五島の風景画をたくさん描かれていて、そこらの画家では足元にもおよばない描画力には、ただ感嘆するしかなかったです。
去年の夏、2023年に残念ながら亡くなられてしまわれましたが、その仕事をふり返る意味においても、とてもよい機会になりました。
共感、コメントありがとうございます。
大連の安いホテルのテレビが見れなかったので、ある方法で鑑賞しました。勿論、違法ではありません。誤解させてしまった事を謝罪致します。