メリー・ポピンズのレビュー・感想・評価
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義足のスミス
最初に日本で公開された時、父親に抱かれて、初めて映画館で観た映画だと、親に言われています。もちろん覚えていません。その後、幼稚園、小学校高学年でリバイバル公開した時に見ていて、小学校高学年の時には、平行して原作本を読みましたね。家にはサントラ盤があって、よく聴いていたので、今回の上映は非常に懐かしかったです。
「義足のスミス」は、映画のオチとして非常に重要な話ですが、日本語にすると理解しづらいかなり微妙な小噺。義足をつけている男の名前がスミスという意味なんですが、英語だと「1本の義足に名前がつけられていて、その名前がスミスだ」ともとれる言い方なんだとか。だから、「もう1本の名前は」というのが笑いにつながるようです。日本版は、いっそのこと日本語でわかりやすい、違う小噺にしてしまえばよかったのにとも思います。
「ウォルト・ディズニーの約束」で、この映画を制作する裏話が映画化されましたが、ディズニーとしては、それまで著作権が切れているものをベースにしていることが多かったのが、映画製作に際して、恐らく初めてキチンと原作者と向き合った作品のようです。冒頭のクレジットでは、明確に「原作」とは書かれておらず、「P・L・トラヴァースの著書を基にした」という言い方をしているところが、原作者との交渉の落としどころだった感じですね。キャラクターの設定は原作とは違うところが多いですし、トラヴァースはミュージカルになることは反対だったようですし。
当時珍しい実写とアニメの融合で製作され、シャーマン兄弟による曲も印象的ですし、これはこれで楽しい映画だと思っています。
「午前10時の~」は、リバイバルということもあり、通常よりも料金が安いはずですが、割増料金のスクリーンでの上映だったので、その割増分が追加されたので、あまり安くなかったですね。
60年前にこのクオリティ、ディズニー映画 恐るべし
午前十時の映画祭15で鑑賞
素晴らしい往年の名作だとは思いますが、個人的には主役のジュリー・アンドリュースさんが同じような役で主演し、ほぼ同じタイミングで作られた『サウンド・オブ・ミュージック』(1964)の方が圧倒的に好みなので本作ではちょっと物足りなさを感じました
本作の話題は大きく2つでしょうか
①原作者パメラ・トラバースさんと製作者ウォルト・ディズニーさんが揉めに揉めてバチバチで作った作品、原作者は全く納得いってない、というのだが、作品は映画史上に残る傑作・名作という評価
これは映画『ウォルト・ディズニーの約束』(2013)で詳しく描かれているので興味ある方は観てみてください
②ロンドンの街の俯瞰ショットはマットペインティング、そして絵と実写の合成といった
現代で言うSFX技術がとても60年前のものとは思えず素晴らしい
本作以降、ディズニー映画はもとより、いろんな作品に深く影響を与えることになり、そういった意味でもエポックメイキングな作品として有名です
そして何より、前述のジュリー・アンドリュースさんの歌声が素晴らしく魅力的で、それだけで一見の価値のある名作です
SAVING MR.BANKS
メリー・ポピンズを観て、SAVING MR.BANKS(「ウォルト・ディズニーの約束」)を観ると泣ける。
SAVING MR.BANKSを観てまたこれを観るとより泣ける。
子どもはもちろんだけど、大人(お父さんたち)にこそ観てほしい。バンクス氏にきっと泣く。
オープニングからワクワクが止まらない。
ジュリー・アンドリュースの美貌と歌声、バートと老人の二役を演じたディック・バン・ダイクの芸達者さ、ジャーマン兄弟による名曲の数々を堪能。
煙突掃除屋さんたちによるアクロバティックな群舞は圧巻。
至福の時間。劇場の天井へ舞い上がってしまいそう。
特撮も、子役の演技もこのくらいで充分。
(このくらいって言っても公開当時はすごいことだったんだろうなぁ)
午前十時の映画祭、ありがとう。
(夏休み中、ロビーは人で溢れていたけど、いつもながら午前十時の映画祭の入りはあまりよくない。一組だけ家族連れがいた。あの子どもたちしあわせだな。)
(余談)
初めてメリー・ポピンズを観たのは、中学生の時。今はヨシモトになっている京都の祇園会館が名画座だった頃。
近鉄電車で2時間、京都に着いてからは当時まだ走っていた路面電車に乗って、八坂神社まで。
「マイフェアレディ」「シェルブールの雨傘」「メリー・ポピンズ」の三本立てだった。
中学生の時に覚えたSupercalifragilisticexpialidociousはまだ書ける。
アーティストのライブ、コンサートの類いは、自作絵本のキャンペーンで来日した時のジュリー・アンドリュースのコンサートを観に行ったのが最初で最後。
誰もが彼女を好きになる
子ども向けと侮るなかれ大人も最幸に楽しいミュージカル
夢見る全ての子供たちと、かつて夢見た全ての大人たちへ
恥ずかしながらもういい大人なのに今まで観たことがなかったのですが、午前十時の映画祭で上映されると聞き、初めてはぜひスクリーンで観たい!と喜び勇んで行ってきました。
まずは結論。こちらの作品、まさにディズニー黄金期の最高傑作の1つと言っても過言ではありません。
これまで数多のディズニー作品のビデオを何千回と観てきたはずなのに、なぜこの作品を知らずに生きてきたのか…悔しい…
子供の頃から歌だけは知っていましたが、まさかオープニングから涙が出そうになるとは思いませんでした。
何よりジュリーアンドリュース演じるメリーポピンズの存在感とその歌声のなんと素晴らしいこと!
彼女が微笑み、その美しい声で歌いだす度に、なぜか涙が溢れて止まらなくなってしまいました…
キャラクター達の魅力的でコミカルな立ち居振る舞いと、それを引き立てる色鮮やかでユーモラスなアニメーション。
「そうそう、やっぱりディズニー作品はこうでなくちゃ!」と膝を打ちたくなる。そして思わず手拍子や拍手をしたくなる。
そこにはいつの間にか、テレビに齧り付いて夢の世界に没頭していたあの日の自分がいました。
素っ頓狂なミュージカル?子供向けの映画?いえいえまさか。
本作は、もちろんお子様も楽しめる作品ではありますが、根幹は『ある家族の再生の物語』であり、それと同時に『夢見ていた大人(=観客)達に夢を取り戻す勇気をくれる物語』なのです。
文明社会で必死に生きる大人たち。「現実を見ろ」と言われて育てられた大人たち。そんな私たちでも、たまには夢を見たっていいじゃないか。あの日の夢を忘れずにいたっていいじゃないか。そう思ってもいいんだと勇気を貰える、お守りのような作品です。
そして願わくば(誠に不躾であることは承知の上ですが)、この作品に込められた思いや願いが、「世情を見ろ」と言われてポリコレの波に攫われ続ける現代のディズニーに、どうか届いて響きますように…
今でも色褪せない作品
さすが、ディズニー。
ディズニーによる「資本主義的憂鬱」の表現
ディック・ヴァン・ダイクが存命なこと(2025年7月現在)に驚く。1925年の12月生まれなのでもうすぐ100歳となる。
さて古典的児童文学作品であるトラヴァースの「風に乗ってきたメアリー・ポピンズ」と本作の違いはよく論じられているところである(研究書が多くある)。まず何と言っても主役のメリー・ポピンズのキャラクター設計。原作の彼女は常に不機嫌で、規律を重んじ、時として意地悪である。魔法は使うがそれが自分の仕業であることは一切認めない。謙虚であるわけではなく責任回避的態度なのである。これはメリー本人の性格というよりは当時の職業としての「ナニー」(乳母とか家庭教師と訳されることがあるがニュアンスとしては「子守」が近い)の代表的性格を反映しているらしい。つまり重労働であり(映画ではカットされているが原作ではジェインとマイケルの下にまだ双子がいる)、低賃金であり、休みはない。機嫌よく仕事をしろと言う方が無理がある。原作では彼女に代表される下層労働者や、バートのようなまともな職もない大道芸人などの日常と、上流社会の住人(ブーム提督やラーク夫人など)の馬鹿馬鹿しい言動を対比して、資本主義がもたらした格差、矛盾、悲哀を描き出している。
映画ではジュリー・アンドリュースが演じるメリーは明るく元気で優しいとされているわけだが(子どもたちが広告文案を書く設定は原作にはない)、でもどこか憂鬱な感じを引きずっている感じが面白い。
そして、ウォルト・ディズニーは、マイケルが鳩の餌に使うはずだった2ペンスをシティの銀行頭取が強奪しようとし、そしてそれによって引き起こされた取り付け騒ぎでバンクス氏が解雇されるところを映画での設定に組み込んで、資本主義の非人間性を描いてみせた。
現在の状況に則れば世界有数のコングロマリットたるディズニースタジオが何を言ってるんだということになるが、1964年当時はまだまだ数あるプロダクションの一つでしかなかった映画会社の表現として革新的だったのかもしれない。
当時は画期的だっただろうアニメと実写の合成は今となっては古めかしい。でも筋書きの面白さともちろん楽曲群の素晴らしさは今後も残っていくものだと思う。
そう、最後のメリー・ポピンズが西風に乗って飛び去る直前に、傘の柄のオウムと会話するシーンがあるが、あの声はウォルト・ディズニーその人であるとの説が昔からあった。でも今回、スクリーン越しに確認したところ、あれはバンクス氏を演じたデヴィッド・トムリンソンの声のようですね。何故二役になったかは分からないけど。
ジュリー・アンドリュースの魅力
未来永劫語り継がれる名作
トゥペンス。トゥペンス。・・・沁みる映画。
内容は、1910年代のイギリスが舞台。いたずら好きの2人の家庭教師に来たメリーポピンズと銀行家の父ジョージバンクスともう1人の陰バートの4人が繰り広げる心温まる寓話的物語。
印象的な台詞は、『お父様にも気付かない目立たないけど大切な事』メリーポピンズの鳩にニペンスが挿入される子守唄にも聞こえる場面。何とも優しくもあり寂しくもある哀愁を感じる場面でした。ウォルト・ディズニーが好きだった劇中歌だったそうで、当時の情景を思い描くと彼の贖罪と諦観と郷愁と納得にも似た感情の高ぶりを共に感じます。
印象的な場面は、銀行家のジョージバンクスと影のバートが、ウォルトの内面を映し出していると思います。そして最後に、銀行家として失敗の謝罪をしに行く時の父ジョージの1人歩く姿を寂しく冷たく描かれている場面は、ウォルトの実際の淋しさが痛いほど伝わってくる場面で面白いと思いました。
印象的な立場は、表の父ジョージと影のバートが煙突掃除から帰る時にばったり会う時に交わす会話。
父ジョージ『男は誰でも偉大な人物となり歴史に名を残したいと思うが、人生は上手くいかないものさ・・』
バート『子供に対しても忙しすぎて相手にせず、そっぽ向いてしまう。あんたは何時も仕事しか頭にない。子供時代はあっという間に幼い2人はたちまち大人になり親元を去る。そうなってからでは、愛を与えられない。』
この台詞にこの映画の深さが現れている様に感じた。仕事で、大衆を楽しませ自分も楽しんでいるはずなのに、一番身近にいる子供達を楽します事が出来ない。一緒にいる時間を大切に出来ない歯痒さと諦観がそのまま台詞に魂が込められた様で号泣します。
この映画には語り尽くせない程の愛と思い入れが盛り込まれ完成まで30年の重みとウォルトディズニーの自叙伝にも感じられました。最後のメリーポピンズの言葉で希望を残したかった様に感じます。『完璧な人間は感情に溺れないの。』精一杯の強がりを子供の様に見せる事で溜飲を下げたかった、やらせなかったウォルトの全人生が浮かぶ様な作品でした。
今回の資料は、創造の狂気ウォルト・ディズニーを読んで再度映画を鑑賞したものです。
実写とアニメの融合ムービー‼️
美しい色彩と、まるで "夢を見た" ような映像マジック、そして15曲の素敵なナンバーに彩られたディズニーのミュージカル映画‼️西風に乗ってやって来た家庭教師メリー・ポピンズが、家族の絆を結びつけ、より強くしてくれる物語‼️メリー・ポピンズが傘をさして空から登場するシーンはホントわくわくしてしまう‼️果たしてメリー・ポピンズは宇宙人なのか?妖精なのか?天使なのか?もうそんな事はどうでもよろしい‼️「スプーン一杯の砂糖」や「鳩にエサを」などの名曲を歌うジュリー・アンドリュースの歌声と美しさ‼️この翌年には「サウンド・オブ・ミュージック」でさらに全世界を魅了してしまいます‼️哀感漂う「チム・チム・チェリー」を歌い踊るディック・ヴァン・ダイクもホント素晴らしい‼️みんなが空中に浮かんでしまう「笑うのが大好き」の特撮も当時としてはスゴいと思う‼️そして後の「ロジャー・ラビット」と並ぶ実写とアニメの合成シーン‼️ホントに贅沢で楽しいディズニー・ミュージカルの決定版で、鑑賞してる間、メリー・ポピンズの魔法にかけられてしまいますよね‼️「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」‼️
ジュリー・アンドリュースの為の映画
てっきり「メリー・ポピンズ」のリメイクをエミリー・ブラントがやるのだと思っていたら、まさかの続編。という事で、オリジナルである本作を観てみた。
イギリスだからなのか、思っていたよりメリーが手厳しい!陽気な魔法使いだとばかり思い込んでいたが、なかなかどうして結構なツンデレ女子じゃないか。
ジュリー・アンドリュースが可愛い感じの女性だからか、ツンツンしててもどことなく愛らしい。
あと、何と言っても歌が上手い。
声量・声域・発音、どれをとってもほぼ完璧。さすがメリー・ポピンズ!
そんな彼女だからか、私は「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」が好きだ。早さもキレもダンスも楽しい。
が、自分では歌えない。悲しいなぁ。
この映画を観ていて、少し前に職場の同僚とバーベキューをした時の事を思い出した。
何人か子ども連れだったので、一緒に色々な遊びをしたが、何よりも楽しそうだったのは「探検ごっこ」だった。
何の変哲もない公園の芝生や手すりに、彼らにしか見えない秘密の通路や、宝を示す手掛かり、危険なトラップがあるらしく、何も見えない私を懸命に守ってくれる。
そして最後には大満足の表情で「いかに実りある冒険だったか」を語ってくれるのだ。
彼らの世界が見えなくなったおばちゃんには、体力的にもなかなかしんどい遊びだが、興味深くもあった。
何より、彼らの豊かな世界の広がりが尊く感じられたものだ。
メリーが導いてくれた冒険もまた、大人になった私が見えなくなった世界なのだろうと思う。
どうしても今は夢中になれないけれど、あの世界が最高の遊び場だった頃を懐かしくも思う。
♪♪♪♪スーパーカーリーフラジリスティックエクスーピリアリド———オオ————シャ————————アッス!!!!♪♪♪♪(すごい勢い)
原作はイギリス児童文学の『メアリー・ポピンズ』。
作者はパメラ・リンドン・トラバース。
ディズニー初の実写とアニメの融合映像として、アカデミー視覚効果賞を獲得した特殊撮影(ナトリウム蒸気法)と、アメリカ国立フィルム登録簿にも保存された映像美が話題に。
【ストーリー】
ロンドンのジョージ・バンクス邸。
手のつけられないイタズラ姉弟ジェーンとマイケル。
どんな乳母を雇っても、皆が辞めてしまう。
そんなバンクス家に、メリー・ポピンズと名乗る若き女性がやってくる。
あろう事か彼女は雲の上から彼らをのぞき見し、空からパラソルで軽やかに降りてきた。
床においた手提げカバンから、着替えやエプロン果ては身長ほどもあるコート掛けまで取り出すメリー。
ジェーンとマイケルが仕掛けるイタズラも、魔法のように打ち消したり仕事に利用したりで、まるで通用しない。
マナーに厳しくも常ににこやかで、不思議な魅力をハツラツとはなつ新しい乳母は、だんだんと姉弟のお気に入りになる。
だが銀行家でかたくるしい父親のジョージは、明るい家庭内がバカ騒ぎのように思えてならず、彼女を叱責しようとするのだが……。
さて、メリー・ポピンズといえば『スーパーカリフラジリスティックエクスピリアリドーシャス』です。
これ言うと、みんな「え、何それ?」というリアクションされます。
「メリー・ポピンズなら、アカデミー歌曲賞を獲った『チム・チム・チェリー』だろう?」と。
でも自分はこのスーパーカリフラジリスティックエクスピリアリドーシャスをすすめたい。
煙突掃除夫たちがチムチムする場面も素敵ですが、狂ったようなハイテンションで周囲を昇天に巻き込みながら甲高い声で歌うスーパーカリフラジリスティックエクスピリアリドーシャスは、ちょっと頭がおかしくなりそうなエネルギーに満ち満ちた名曲。
辛いとき、悲しいとき、みんなこの曲を聴くのだ。
そうすれば、どんな苦しみもスーパーにカリフラジリスティックしてエクスピリアリにドーシャスしてしまえるでしょう。
魔法の言葉、スーパーカリフラジリスティックエクスピリアリドーシャスがどんな意味かって?
や、意味なんかないみたいですよ。
ただ長々しく単語繋げただけの言葉らしいので。
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