「エリセ監督の融和への希求が満ちあふれ…」ミツバチのささやき KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
エリセ監督の融和への希求が満ちあふれ…
アナ・トレント出演の「カラスの飼育」
を図書館レンタルで観れた勢いで、
36年前にシネヴィヴァン六本木
で鑑賞した以来のDVDでの再鑑賞。
最近はよく理解出来なかったがために
2日連続で鑑賞することもあるが、
今回も多少その要素はあったものの、
それ以上に、名画の世界に再び浸りたい
がための2度の鑑賞になった。
ヴィクトル・エリセ監督は
10年に1作との寡作作家に相応しく、
緻密な構成と美しく且つ繊細な映像で、
子供の生命への興味心エピソードを使って
国民融和への希求を実に見事に描いていた。
内戦で苦しむスペイン国内も、
夫婦愛の冷めた両親の関係
(内戦のしわざと解説にあった)も、
人間が純粋でいられる時には
出来たはずの融和が
何故次第に出来なくなってしまうのか、
永遠のテーマなのかも知れない。
しかし、その中でも、妻が手紙を焼いたり、
眠る夫にショール?をかけてあげたり、
これは2つの勢力の融和を期待したシーン
でもあるのだろうか。
エリセ監督は子供に希望を託している
ようにも見える一方で、
「アナは子供なんだ…少しずつ忘れていく」
とも医者に語らせていて、
対立の克服は難しいとの認識でもあるが、
それでもラストシーンで
アナの頭に浮かんだ姉イサベルの言葉
「お友達なればいつでもお話ができる」は、
内戦に苦しんだスペインの
融和の希望に繋げるべく、
皆がアナのような気持になってもらえたら
との、監督の切なる願いのようにも思えた。
共感いただきありがとうございます。
おっしゃるように融和ができなくなってしまうことについて、フランケンシュタインの映画の引用で想像させながら非常に丁寧に描かれていることがわかり感嘆しました。
素晴らしい作品でした。
遅くから失礼いたします。
共感コメントしていただきましてありがとうございました😊
私の拙いレビューに共感していただくのはしのびなく申し訳ありません。
多分、『エル・スール』のレビューにどうコメントしようか考えていて抜けたようです。失礼いたしました。見直して良かったです。
『カラスの飼育』観たいです。
またよろしくお願いいたします🤲
こんばんは♪
共感コメントしていただきましてありがとうございました😊
やはり博識でいらっしゃいますね。
『エル•スール』は本サイトでまだ掲載されていません。劇場で鑑賞されたとは⁉️スペイン内戦とその後の知識が必要なので、また勉強します。
貴重なレビュー、一読しただけでは、なかなかで、ゆっくり拝読させていただきます。同日に、同じ監督の『エル•スール』も鑑賞しました。これも内戦後で、父と祖父が対立していたようです。父は、
後に自ら命を断ちます。一度観ただけでは分かりにくい世界です。
こんにちは♪
さすがのレビューでございます。
先月『午前十時の映画祭』を見逃しでしまい、TVで放映予定があるので視聴しました。
スペイン内戦というのも、だいぶ大きなものだったようで、肉親でも憎み合い戦って、勝負つけば、負けた方が悲惨だったようで。
終結後の作品ですね。
お返事ありがとうございました。
”冥婚”という、”死”に関することをもてあそぶような発言、
ちょっとググれば誤解が解けるようなことを、確認もしないでSNSに乗せる姿勢に、大変腹が立ちました。
これで終わりにしたいと思います。
お返事ありがとうございました。
誤解が解けて良かったです。
『野菊の如き君なりき』鑑賞されていてうらやましいです。見たいと思いながらまだ叶わず。
ただ、この映画をご覧になっているのに、野菊=お墓の花というイメージを持たれたのなら、見ない方が良いのかしら。
『冥界』、食いついていらっしゃいますね。詳しくは北山先生のご著書『見るなの禁止』をお読みください。見ることをタブーとすることに関しての考察を、伊弉諾・伊邪那美神話を使って論じています。(私は本は積読。講義で概要を聞いただけ)
ちなみに、その神話の部分は、死んでしまった妻(伊邪那美)を追いかけて夫(伊弉諾)が黄泉の国に行き、黄泉から連れ出そうとするのですが、そこで伊弉諾が約束を破ってしまう(オルフェウス神話と同じパターン:”見るなの禁止”)。そのことに怒った伊邪那美が「毎日千人殺す」というと、伊弉諾が「それでは私は毎日1,500人産ませよう」というオチで終わる話で、生と死に関わる話です。
(精神分析の祖・フロイトや、フロイトと袂を分かったユングが、神話等を使って心理の理論を展開していると同じ方法をとっている)
そういえば『帰ってきたヨッパライ』という歌もありましたね。
北山先生が内科医等ではなく精神科医になられた理由を聞いたような気がしますが、忘れました。
私も心理職として働いていて、だから精神分析の北山先生の講義を受講していたのですが、精神科医・心理職はどうしても、自死等”死”を扱うことが多いので、他の方よりは”死”が身近になります。
私のこの映画でのレビューに”死”に関することが多いのも、その影響なのか、元々”死”に親和性があるからこの職業を続けていられるのか。
精神療法の世界では、”死と再生”がテーマになることが多いです(河合隼雄先生がたくさんの著書を残していらっしゃいます)。
そんなこの世ともう一つの世界の境目の揺らぎを描いた映画として、『ミツバチのささやき』に、私は魅了されてしまったのかもしれません。
また、長々と失礼しました。
お返事をありがとうございました。
共感にポチっとする基準は、似たようなものです。「共感」していただいても、その方のレビューに反対意見を持っているときは、大変失礼ながら、私はお返し共感は致しません。
今回、KENZO一級建築士事務所さんの『ミツバチのささやき』へのレビューには、『カラスの飼育』を鑑賞していないので全面共感できていませんが、『ミツバチのささやき』部分に関しては、共感いたしましたので、私も、共感を押させていただきました。
ただ、いただいたコメントの『花嫁』への解釈、野菊=お墓の花にびっくりしてしまい、私にとっては、友人の結婚式で合掌した思い出の歌であり、こんな恋をしてみたかったという大好きな歌でしたし、野菊への誤解を解きたくなりました。
野菊と皇室は、私だけでしょうね。皇室からお𠮟りを受けそうです。
『野菊の墓』の映像化はここに列挙すると字数制限超えそうなほどたくさんあります。その中で民を演じた役者の一部を挙げると、岡崎友紀さん・山口百恵さん・松田聖子さんです。松田聖子さんは、この民を、映画デビューに選びました。百恵さんがTVで演じてすぐのことです。度胸ですね。
映画だと、私はまだ鑑賞していませんが、木下監督の『野菊の如き君なりき』が有名です。
『花嫁』の話を北山先生から聞いたとき、淡路から本土へ行く。和歌山か神戸のどちらを目指したとおっしゃったか忘れました。まだ終戦直前で神戸なら空襲に見舞われていた頃。死地に赴く覚悟でというお話だったかとおぼろげな記憶はあります。空が真っ赤だったとお母さまがおっしゃっていたという話をされたような気はしますが、はっきり覚えていません。私の記憶違いなら申し訳ありません。
『花嫁』を北山先生が作詞されたのは、大学生の頃ですね。
医者になって、九州大学の教授になったころ、治療された患者さんの心性を、伊弉諾・伊邪那美の冥界の神話を使って、精神分析の理論を打ち立て、精神分析会では世界的に知られました。『見るなの禁止』と言います。本は積読になっているので、内容を正確に語れませんが。
”冥界”というのなら、こちらの理論だと思います。
長々と失礼しました。誤解が解けると良いのですが。
お返事ありがとうございました。
『花嫁』Wikiだと、駆け落ちの歌とされていますね(笑)。
野菊。確かに、いろいろな花が輸入・品種改良で栽培されて、売買されている今だと、野菊=お墓の花のイメージなのでしょうか。なかなか枯れないので、お墓に飾る花って、菊が多いですね。告別式とかにも菊が多用されています。
ただ、今のように花の種類が多くなかった時代では、決して”お墓”の花ではなかったと思います。有名な『野菊の墓』では、政夫が民を称えて「民さんは野菊のようだ」という台詞もあります(初恋の決め言葉で「民さんはお墓の花のようだ」と言ったら、コメディですね。一発で振られます)。菊祭りに出品される菊も、品種改良されたものから、野菊を集めて作られたのかなという菊人形もありますし。何より、これは私の独特な感覚だと思うのですが、皇室を示す菊の文様も、野菊か、食用の菊をモチーフにしている?と見えたりして(笑)。菊は薬用、重陽の節句にも使われるので、そこから皇室のシンボルなのだと思いますが。
素朴さを暗示させる野に咲く花として、北山先生は野菊を使ったのかなと思いました。シロツメクサやハルシオンだとゴロが悪いし、女郎花だと”女郎”という感じが入るし、蒲公英だと根差しはしますが、種は飛んで行ってしまうし。ヤマユリの群生地は武蔵野丘陵ですし。菫でもよかった気はしますが、毒をもつ種類もあるとか。怖いですね。
「細やかな鑑賞力」というお言葉、ありがとうございます。
DVDについていた解説や新聞記事、KENZO一級建築士事務所さんをはじめとする、いろいろな方のレビューを参考にさせていただいてます。ありがとうございます。
ちなみに、たまたま手にした1992年10月11日の朝日新聞によると、フランケンシュタインとアナがあった場面は、夜中に撮ったので、アナは寒さと怖さで、本当に震えていたとか。イサベルとアナは姉妹になっていますが、実年齢は同じだったという話でした。
また、宜しくお願い致します。
共感とコメントありがとうございました。
『花嫁』にそんな都市伝説的な解釈があるのですか?それとも、私のトンデモ仮説になぞらえて?
作詞をされた北山修先生の講義の中ででた話では、『花嫁』はお母さまをうたったのだそうです。淡路島から、船を漕いで、京都で医者をされていたお父様に嫁がれた情景だそうです。「夜汽車ではなくて実は船なんです」と。北山先生1946年のお生まれだから、戦争末期か終戦直後の混乱の中、お母さまは嫁がれたのでしょうね。歌のような決死のお気持ちだったのだなあと、その話を聞いて思いました。
「イザベルが死んでいる?」
「『となりのトトロ』のトトロは死神で、さつきとめいは実は死んでいる。だって、影がない。」という都市伝説は、ジブリが真面目に「違う」と説明していましたね。作画上の兼ね合いで、影を省略しただけだと。
私のイサベル死亡説もそんな揚げ足取りかしら?でも、レビュー本文でも書いたように、ラストの場面で、イサベルのベッドが片付けられているのがどうにも腑に落ちないのです。
アナの看病のため?イサベルは客間か何かに寝ているのでしょうか?ベッドごと移すのではなく、マットレスと掛け布団だけ移す?
死亡説をとると、朝食の場面で、イサベルがカップを抱えていたのが説明できなくなりますが。
映画の原題は『ミツバチの巣箱の精霊』からの印象も引きずっているのかもしれません。