「大いなるまわり道」まわり道 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
大いなるまわり道
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なんとなく集まった人々が、なんとなく旅を、なんとなく散歩を、なんとなく生活をする。物語といった物語は存在せず、焦点のぼやけたレンズを覗き込んでいるかのような浮遊感だけが空間を漂っている。ロードムービーと呼ぶにはあまりにも動線がない。
主人公の小説家は小説家であるにもかかわらず他者に対する興味を喪失している。そのことは彼も自覚していて、それをなんとかするために旅に出た。
彼と彼の周りに集まった人々は、なんとなく人間関係らしいことをやってみる。集まった人々とリビングで昨日見た夢について語り合ったり、散歩をしながら一人ずつと向き合って会話するシーンには、彼が自閉性を乗り越えて他者へと開かれていくのではないかという微かな希望が瞬いていた。
しかしこの茫漠とした関係性は実業家の唐突な自殺によって最も簡単に断ち切られてしまう。
それでも小説家のことを愛していた女優の女は、彼との関係をなんとかして修正しようと努めるのだが、小説家は彼女を鬱陶しいと感じてしまう。彼はけっきょく自我の殻の中から出ることができないでいた。
しかし終盤、小説家が元ナチス将校の老人の襟首を掴むシーンがある。ほとんど静によって支配されていた画面が突如として動に転変するこのシーンは、小説家が大いなるまわり道を経た果てに、ほんの少しではあるが他者との関わりの中に踏み出せたことを示唆している。
やがて成員のすべてが散り散りになり、小説家はまたもや孤独に追いやられる。しかし誰もいない山の頂上で彼が感じた孤独は、冒頭で彼が感じていたそれとまったく同じものだっただろうか?旅は単なる空転に過ぎなかったのだろうか?
「また会える?」
「もちろん」
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