幻の光のレビュー・感想・評価
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人生の意味は言葉にできない、感じるもの
平穏な日常から、ふっと消えるようにこの世を発つ人たち。
主人公のゆみ子は、釈然としない死に対する印象を記憶に抱えることになります。
この作品は、彼女の曖昧模糊とした死生観を踏まえた世界認識や心情を描写すべく、何気なく映る光景に対してまで、非常に繊細な意図を持たせていると感じられました。
私が特に感銘を受けたのは、表情やセリフといった明快な説明は廃し、むしろ現実の風景と人物との画面上の関係性から、人物の心情を浮き上がらせるような演出です。
表情やセリフで語る感情表現は分かりやすいですが、明瞭な表現は時として、記号化・言語化できない繊細な情報を覆い隠してしまうものでしょう。
現実の風景は、つまりゆみ子の内面と連続した環境でもあるのです。周囲の環境を見つめることで、彼女の繊細な感情の在りかを探るような演出がされています。
しかしそのため、村や町や家の中に対して、どこからどう見るのか、とても鋭い視点の観察がされていると察せられました。水平垂直、明暗の利用、場合によってはやや構成的なまでに画面を整理し、画面全体をもって意味のある一枚絵としているかのようです。
その結果、一見何気ない無意味に思える要素、ストーブの灯り、家の角の陰、それから、鈴や自転車ベルといった音など、場面ごとに一見些細な様々なものが力を得ています。
途中、平穏な生活の描写は、ゆみ子の日々の時間感覚を体験する事ができますが、そんな続いて行く日常の流れの中で、不意に死が訪れかねないという認識を度々思い起こさせられ、不安とも不可解ともつかない特異な感覚をもたらしていると思われました。
人は生きる意味を探求することが生涯のテーマである、などと言う人がいます。しかし私はこれに若干の疑問を感じます。
「生きる意味」の「意味」というのは、言語化できる意味に過ぎないのではないでしょうか。
哲学的な問題に対し、何か簡潔な言葉で言い表そうというする態度を見ると、私はその人の感性を疑ってしまうことがあります。
言語化できない、しかし強烈な意味というものは確かに存在し、それは安易な言葉で捉えようとすると、忽ちこぼれ落ちてしまう。
ゆみ子に共感するかは別としても、彼女の環境世界を想像することで、何か貴重な体験を得られた気がしています。
リアリティはある
が映画としてはインパクトに欠ける。是枝監督らしく、ドキュメンタリーのように物語は進み、出演者の演技も自然。冒頭、祖母が失踪するシーンがあるが、短いシーンのため、その後の人生にどれだけ影響を与えているのか、わからなかった。愛する夫・浅野忠信が自殺してしまう。数年後、一人息子を連れ、奥能登に住む内藤剛志と再婚する。夫や近所の人々も良くしてくれ、息子も馴染んでいる。弟の結婚式で帰郷した際に、亡くした夫を思い出す。ごく自然にある話。何で自殺したのか、自問するが答えは見つからず、内藤剛志に聞くと、海では漁師も不思議な光が見え、その光に誘われる気がすることがある、不思議な光が見えたのでは?と優しく答える。結局、この優しい答えに落ち着いたのだろうか。もっとこの後きっと何かあるだろうと見ていくが、結局何もなく、おさまって、一緒に暮らす。ちょっと期待外れでした。
奥能登が舞台
次々と愛する人を亡くしてしまったゆみ子(江角)が子連れで向かう奥能登。輪島の小さな村に住む民雄と再婚するのだ。
ゆみ子の息子・勇一と民雄(内藤)の娘・友子が仲良く輪島の自然を駆け巡る。ロケハンの天才!地元の者であっても、こんなに美しい風景は見たことがない。その後、淡々とした家族の映像が続くが、大阪に出て地元には戻ってこないと思っていた民雄の侘しさや、失意の中にあっても民雄を愛していこうと努力するゆみ子の姿が妙にリアル。
半年後、弟の結婚式のために尼崎へ里帰りしたゆみ子は再び前夫郁夫(浅野)を思い出す。輪島に戻ってからも悲しみが増大してくるのだ。折りしも漁師仲間の1人が戻ってこなかったことも相まって、自分の周りの人間がどうして死んでいくのか悲観的になったりする。
「夫郁夫の自殺の原因は何だったんだ」と悩む姿はちょっと危険な雰囲気。能登の寂しい海が不思議と美しい。「光に誘われたりするもんだ」という慰めの言葉はどれだけ効果のあるものかわからないが、ほんのちょっとした一瞬にも死に誘われることがあるのだろう。この作品を観て前向きに生きていこうと考えが変わるとも思えないが、優しく見守ってくれる人さえいれば何とかなるのかな
映画は映像で表現するという強烈な実践
尼崎の若い夫婦、何気ない日常の中、夫は突然自殺をしてしまう。妻に思い当たる理由もない。のこされた妻は幼い子供と能登に嫁ぐ。
能登の海岸沿いの一軒家と海沿いの街の風景が続く。全夫はなぜ死を選んだのか?ふと理由を知りたくなる。
ストーリーよりは映像の美しさで構成される展開。広角の構図を多用し、そこに映る人々も風景の中に溶け込んでいて、そこに包まれているような雰囲気。
ピントがぼやけたような映像が幻想のような雰囲気を与える。映画に必ずしも明快なストーリーも結論も必要ではなく、それよりも映像美で成り立つことを示唆してくれる映画。
幼少の記憶。死にに行く。そう言い残し行ってしまった祖母の背中。自責...
幼少の記憶。死にに行く。そう言い残し行ってしまった祖母の背中。自責の念に囚われ、大人になっても夢にまで見るゆみこ。郁雄との幸せな生活も束の間、理由もわからずに郁雄は自死してしまう。
新しい夫との静かで優しい生活。その優しさでさえ癒えぬ傷。黒い服。遠景で映し出される能登の風景。ただ静かに季節は巡る。自死の理由を問うゆみこに「幻の光」に誘われたのかもしれないな。そう答える夫。その言葉は何を意味するのか。その答えは示されないまま、ただ静かな日々は続いてゆく。
答えはわからない。しかしわからないことに懊悩しながらそれでも生きていくということこそ、生きるということなのかもしれない。
温もりの光
今や日本が世界に誇る是枝裕和監督の1995年のデビュー作。
幼い頃に突然祖母が失踪。
そんな暗い過去を持ちつつ成長したゆみ子は郁夫と出会い結婚、子供にも恵まれ幸せに暮らしていたが、突然夫が自殺。
2度も大切な人を失ったゆみ子は縁あり、能登の漁村に嫁いで行くが…。
一貫して家族を描く是枝作風は本作から垣間見える。
何気ない日常や営みを淡々と。
演者からも自然な演技を引き出す。(ちょいと何人か大阪弁が気になるが)
揃って縁側でスイカを食べるシーンなんて、後の是枝作品で見た気がする。
後の人気監督のデビューを祝うかのように、同じく本作がデビューの“元”女優の江角マキコ、内藤剛志、浅野忠信、柄本明、赤井英和、大杉漣とキャストも豪華。
是枝監督の才はすでにここから始まっていた。
近年の是枝作品は商業やエンタメ性があるが、本作は本当にインディーズの新人監督の意欲作。
何故、自分の前から大切な人は居なくなってしまうのか…?
何故、自分はそれを止める事が出来なかったのか…?
心機一転。新たな土地で再スタートさせた新たな人生。夫も優しく、人も良く、土地の雰囲気も和やか。
が、心の奥に未だに引っ掛かる暗い過去。
再婚相手からすればたまったもんじゃない。
でもそれは、いつまでも昔の夫を想い続けているのではなく、また大切な人を失ってしまったら…?
のどかではあるが、能登の寒々とした風景がヒロインの心情を反映。
暗く重く、なかなかに分かり難い作品でもある。
若き是枝監督が描いた、家族とその平凡な営み、死生観、喪失と再生の果てに、微かな温もりを見た。
幻の光?
自ら命を絶つものとそうでないものの差は歴然としていると思う。幻の光が見えるものと見えないものの差ってこと?ちょっと納得できない。是枝さんの劇場初作品ということだが、現在の誰が見てもやはり是枝カラーがふんだんに出た作品。江角マキコの関西弁には違和感。てか柄本明って今と見かけ、役柄変わってない!!当時は50前後?すごい!!
やはり日本映画
思った通り、日本映画ならではの暗い映画でした。
まぁ、でも、確かにある意味考えさせられたのでこんなもんかなという感じです。
随所に山田洋次監督の影響があるような気がしましたが・・・
結構胸に残ったのはやはり私も日本人だからかな。
死について論理があるわけではないという是枝監督の死生観が伺える本作...
死について論理があるわけではないという是枝監督の死生観が伺える本作。高台からの海のショットが長くそれは一見綺麗に見えるが薄暗い画面からのその水平線まで続く海の光景は死をも内包する非常に不気味なショットとも言えよう。
男の性
男が死に近付こうとするのは、男の本能なのかもしれない。
DNAが男を誘うのだ。だから男はバイクに乗り、山に登り、戦場を目指して、死を慕う。
ふとした帰り道、男は理由なく彼岸に渡ってしまう。
この身に覚えのある心の揺らぎは僕だけのものではなかったんだな。納得させてもらったこの映画だった。
カニ取りの老婆は泳いででも生きて帰ろうとした。
かたや舅は、水平線に光を見つつ生きて戻ってきてしまったことに茫然としている。
これこそが男と女の断絶だ。
「自殺は残された者により多くの傷を残す」とその残酷さを知ってはいても、また3万人の年間自殺者がここまで減ってきてはいても、
本能の囁きに振り返る男は、一定数、決してなくならないのだろう。
"レミングの一斉入水"を自然の摂理と受け入れるなら、いくつか立ち合ってきた死をも、僕は静かに受容できるのかもしれない。
重たいが慰めを示してくれた作品だった。
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