幻の光のレビュー・感想・評価
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昭和時代にタイムスリップしたような感覚
能登半島地震輪島支援特別上映にて鑑賞。ひとりの女性の喪失と再生を描いた是枝監督の長編デビュー作。昭和時代にタイムスリップしたような感覚で懐かしさ満載のドラマです。能登の景観も素晴らしく、まるで能登を旅行しているかのような映像が印象的でした。
2024-177
若き江角マキコと浅野忠信
原作が大好きです。今日からおかあちゃんやでのセリフが本当に好きです。素人のワタクシには江角さんと浅野さんが夫婦っていうのがあまりしっくりきませんでしたが、、本当に美しい映画でした。
江角マキコ下手すぎ…
江角マキコの大阪弁が… なぜ女優として売れたのかが、この内容と平行して不思議でした 厳しい自然の中でも生きる反面、江角マキコの旦那は理由もわからない自殺 とても対照的で考えさせられた 是枝監督の初作品ということと、北陸を舞台としていたので拝見したが、やはり田舎生活に憧れる 近所付き合いは大変そうで、火葬場が海の近くの岩場というのにも驚き お金があれば田舎に暮らしたいと感じる映画でした
もう二度と
江角マキコ演じる女性の喪失と再生を描く、是枝裕和監督の初監督作。
どうしても飲み込むことが出来ない喪失の理由を、「幻の光」という形でなんとか折り合いを付けようとするところに民雄の、そして是枝監督の優しさを感じる。
そして冒頭から弾けていた若き日の江角マキコの笑顔がやがて取り戻された時、それでも折り合いがついていなかったのだと、あの手放しの笑顔はやはり取り戻せないのだと、ただいなくなってしまうことの身勝手さを思う。
そして今となっては喪われてしまった、もう二度と同じにはならない輪島の朝市の様子が哀しい… (本作は能登の復興支援のために再公開)
奥能登のロケーションが素晴らしい
是枝裕和監督の劇映画デビュー作を初見。愛する人を故なく失った女性が、境遇の変化とともに、少しずつ自らを受け入れていく。
尼崎の下町情緒から一転して、奥能登のロケーションが素晴らしい。日本海の荒波はもちろん、旧家の家屋、単線の汽車、田んぼのあぜ道など、四季それぞれの美しさが写し取られている。輪島の朝市の賑わいを見ると、この作品のテーマと相まって、感慨深い。
陰影が濃く、ロングショットでの緩やかなパンが印象的な画面づくりは、当時海外で評価されたことがわかる。葬送の場面など、ほとんど東欧映画の雰囲気。
江角マキコの出世作であることは知っていたが、浅野忠信、内藤剛志、柄本明もいい味を出していた。子役の使い方もうまい。
ただ、気になったのは、内藤剛志の前妻のこと。原作でも触れられていないのだろうか。想像するに、前妻も自死だったとすると、それはそれで更に深いものがあるが。
誘いの光
個人的傑作である『ワンダフルライフ』より前に是枝監督が撮った、長編デビュー作とのことで。
確かに現在に繋がる部分は見られるものの、まだ色々手探りだなぁ、とは感じた。
まず、全体として散文的に日常を切り取っており、物語として意味のあるカットは多くない。
それなのに、奥能登へ嫁ぐ際の駅のカットのように何も起きない長回しが散見される。
逆光によるシルエットの画もやたら多い。
そばかす、灯油、緑の自転車など、郁夫との生活を想起させる場面も沢山出るが、効果は薄め。
服の明度がゆみ子の心象を表していたと思うが、それもあからさま過ぎた。
演技も、子役をはじめ総じてレベルは高くない。
ただ、高齢者はみな芝居っぽくないドキュメンタリー的な自然さが出ていたと思う。
江角マキコは『ショムニ』のイメージが強かったので、いちゃいちゃシーンなんかは新鮮。
浅野忠信もこの頃は薄めのイケメンなのね。
柄本明は、食事のシーンでも一人縁側で煙草吸ってたりしたので、人には見えない妖精か何かかと。笑
正直ストーリーとして語ることはあまり無い。
郁夫が自死した理由も明かされないし、「光」の話だけで「良い陽気」になるというのもアッサリ過ぎる。
ただ何となく映像として説得力があるのは不思議だ。
引退や逝去によりもう見られない俳優が多く映っているだけでも観た価値はあった。
『怪物』のトンネルのシーンは、今作のセルフオマージュだったのかな。
少し経った今放映されることに意味がある作品
今年316本目(合計1,408本目/今月(2024年9月度)2本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
※ PFFオンライン試写会(これから映画監督としてデビューされる方への登竜門的なお祭り)にも招待いただきましたが、当該作品がここで登録されていないので省略します。
今でこそ非常に有名な監督さんですが、その初期にあたる作品です。
また、この時期、つまり能登半島地震から9か月がたった今になって放映されたこと自体に、能登半島自体は確かに東日本大震災や兵庫大震災ほかに比べると扱いは少ないものの甚大な被害を被った災害であり、この映画は当然それを前提としてはいませんが、(能登半島なども落ち着いたら)旅行にいってみようかなと思える良い作品です。
確かに古い作品ではあるので、ミニシアターであるということも踏まえても聞き取りが難しかったり画面暗めで読み取りづらい部分があったのは事実ですが(本映画はVODでも供給されているのでネタバレ回避)、それでも見てよかったなという印象です。
採点にあたっては特段気になる点までないのでフルスコアにしています。
能登の思い出
30年以上前にも関わらず不思議と古さを感じさせない作品。初々しさが残る浅野忠信、江角マキコ、内藤剛志に、能登の雄大な自然が印象深かった。死に理由はないという当たり前でもある残酷な現実と、お盆に改めて能登に想いを馳せる機会をくれた再上映だった。
希望の光
世界的には評価されていてもどぉしてもあたしは苦手な是枝監督作品。でもその監督の作品を能動的に観てみようと思ったのは能登半島地震の復興支援に一役担えたら、と思ってのこと。
たった一人の映画好きが出来ることには限界が💦でも1人でも多くの映画好きが賛同してくれたら大きな力になるのかな(*´ω`*)
是枝監督の長編デビュー作品、とな👇️
(ご参考)
公開から29年後の2024年元日。能登半島地震で輪島市は甚大な被害を受ける。「当時、新人たちの映画づくりは暗礁に乗り上げていた。輪島市の協力がなければ、映画は完成していなかった」と振り返るのは合津直枝プロデューサー。「今こそ映画を通して輪島市に恩返しを」とリバイバル上映を企画した。本プロジェクトは、デジタルリマスターで新たに再生した『幻の光』を全国で上映し、映画に残る<輪島の風景、生活、美しさ>を伝えようとするものである。また、収益から諸経費を除いた全額を輪島市に届け、1日も早い復旧復興を祈念する。『幻の光』特別上映期間中、完全復刻版パンフレットやオリジナルトートバック、さらに輪島うるし箸の販売が決定いたしました。グッズ販売の収益も上映収益と同様に、諸経費を除いた全額が配給会社より輪島市に寄付されます。
(感想)
・静かでキラキラしてた
・トンネルを抜けたら緑とキラキラの世界、は幻想的。
・江角マキコ、綺麗だなー
・エンドロールまで浅野忠信だと気が付かず
・江角さんの心の重さ(軽やかさ)がお洋服の色味に。バス停のシーンの藍色のお洋服が素敵過ぎ。
・人は希望の光を失ってはいけないね。信じて光を見続ける努力はせめてしないと。
あの風景は今どうなったのだろうか。
能登半島輪島市復興支援のリバイバル上映でした。映画初見で原作も未読でお恥ずかしい。
美しく寂しく厳しい風景に素晴らしい登場人物達が焼きつけられていました。
人生に常に寄り添う死を静かに描写し、死を濃密に感じる映画体験となりました。
スクリーンに写ったあの輪島の風景は戻る事は無いのでしょうが、私たちは死を傍らに幻の光に包まれるまで生きて行くしかありません。
美しい能登の風景を劇場のスクリーンでみる事が出来て本当に良かったと思いました。
夫を失った女性の喪失と回復の物語。石川県輪島市を舞台にした、是枝裕...
夫を失った女性の喪失と回復の物語。石川県輪島市を舞台にした、是枝裕和 監督長編デビュー作のリバイバル上映。
上映前に本作プロデューサー 合津直枝 氏より簡単な挨拶あり。収益は全て輪島市に寄付されるとのこと。
宮本輝 の原作未読、映画も初観賞。
とにかく、ロケと撮影と衣装と音響がみな素晴らしい。水田や海の写り込みを意識した構図とカメラワーク。切り立つ海岸と単線二両編成の列車の風景。屋内に差し込む光の中で描かれる、輪島の漁村の日常。雪舞う中の葬列。『怪物』のトンネルのシーンは本作へのセルフ・オマージュだったのか。
黒基調のモノトーンでミニマルでユニセックスな衣装と、能登の漁村や輪島朝市との意外なほどのマッチング。客観に徹し、人物のアップを極力排した引き中心の映像が衣装をより際立たせる。
輪島に移る前の街の風景も実に良くて、設定は阪神間のどこかのようなのだが、パンフ記載のプロダクション・ノートによると実際のロケ地は東日暮里周辺らしい。高架を走る電車が阪神にも阪急にも見えないのはご愛嬌。
風景の一部となって全く悪目立ちしない、江角マキコ をはじめとする俳優陣の演技も良い。
もう絵だけで見ていられると言う点で、個人的今年上半期ベスト10に入れた『霧の淵』を想起。どちらも、劇場の大きなスクリーンで見ないとダメな作品と思う。
1995年公開当時の完全復刻版というパンフレット (¥1,000) には、大きく「CINE AMUSE」との記載あり。当時のミニシアターが製作していたパンフレットということか。
厳しさもある能登の大自然
祖母に家を去られてしまい、そして理由もまったく分からないまま夫まで亡くしてしまった傷心のゆみ子を、春夏秋冬それぞれの能登が温かく包み込む様子が、とても、とても、とても胸に染み入る一本でした、評論子には。
「日本海の荒波」ということばの通り、そのものズバリと日本海に突き出しているような地形の能登の冬は、さぞかし厳しいことと思います。
(主として気温の面での厳しさが言われ「積雪寒冷」と形容されるような北海道とも、積雪量のずば抜けた多さから「豪雪地帯」と形容されるような新潟とも、また違った厳しさなのだろうとも思います。)
その「厳しさ」をもある能登の自然あってこその、ゆみ子の再生と、評論子は思います。
秀作として評価は、疑いがないものとも思います。
評論子は。
(追記)
<映画のことば>
狭いところやから、挨拶だけはちゃんとしとかんと。年寄りはブーブーうるさいんや。
ウチには、けえへんかったとか言うて、すぐに騒ぎよる。
近所回りはええけど、親戚は、離れたところにポツポツおるから、かなわんな。
ま、いっぺんに集まって、雁首揃えられても困るけどな。困るわ、あれ。
勇一こそ、まだ年端もいかない時分だったから問題はなかったろうとは思いましたけれども。
都会暮らしだったゆみ子には、能登という土地に馴染むには苦労もあったのではないでしょうか。
田舎育ちの評論子には、上掲の映画のことばのように、ゆみ子の立場を気遣った心遣いが、よく分かるようにも思われました。
(追記)
本作のストーリーとはまったく関係がないのですけれども。
ゆみ子が民雄との再婚のために能登へ向かうのは大阪から金沢までは鉄路でしたが、駅や駅舎の様子など、当時の鉄道旅行の風情がよく描かれていたようにも思います。
何を隠そう、評論子が密かに追い求めている「良いお父さんが出てくる映画 ザ・ベスト」部門と並んで、「鉄道の風景のある映画 ザ・ベスト」部門を設けるとしたら、本作は、まず、第一作目にノミネートされる一本だったとも思います。
(追記)
最近に観たものの中では『怪物』や『海よりもまだ深く』が良かった是枝裕和監督のデビュー作(長編デビュー作?)ということなのですけれども。
今回は、令和6年能登半島地震の復興応援で、能登半島を舞台に製作(撮影)された本作がリバイバル上映(チャリティ上映)されると聞き、いわば「緊急鑑賞」として観ることにした一本でした。
せっかくのチャリティ上映(興業収入から上映経費を除いて、収益を被災地に寄付)ということであれば、宅配のTSUTAYAさんに儲けさせないで、映画ファンとしては劇場に足を運ぶ方が「筋」かとも思いましたけれども。
しかし、ほんの10日間ほどとはいえ、能登には応援派遣で縁のあった評論子には、早く鑑賞したい一本でしたし、評論子が住む街のたった一館きりの映画館ではかからないだろうという推測もありました。
映画館過疎地に住まうことに免じて、この点は、ご海容をお願いしたいと思います。
グリーフワーク
こんな語彙があるとは大学受験の英単語の記憶をサボっていたツケが回ったし、結局バカ田大学しか入学できなかった自分の愚かしさを憂うばかりである
日本語には、"悲しみ"の度合いを表現するのに、通常はそのまま度合いをくっつける それ以外だと別のキーワードを探すことになる 英語もそうであり、だからこそ受験時の問われるキーワードが設問として効果的なのだろう・・・ということをもう何十年も経って気付く自分は、本当に愚かで、大学なんて行かなければ良かったと後悔しかない バカは大学には行ってはいけないのだ!
と、ひとくさりバカが、元に戻せない敗北の人生を今になって悔恨する時間を過ごしてのレビューである
是枝監督の劇場映画デビュー作ということで、偶々掛っていた映画館にて鑑賞
表題の通り、『大切な人と死別したとき、遺族は大きな悲しみを感じ、長期にわたって、ショック期、喪失期、閉じこもり期、再生期といった身体的・精神的な変化をたどる』とネットでは説明しているとおりの作劇である
原作は未読だが、作者の宮本輝の別作品といえば、有名な作品が2つ思い浮かぶ 『優駿』『青が散る』である 優駿はJRAが御輿を担ぎ上げたキャンペーンだったが、青が散るのほうが、自分としては思い出深い ドラマのTBSで放映していた作品だ しかしリアルタイムではなく再放送で視聴していた口である テーマ曲の"松田聖子「蒼いフォトグラフ」"は隠れた名曲だ 兎に角"死"が付きまとう、情緒を掻き毟られる作品である
そして、今作も又同じように最愛を亡くした女性が、その死に惹き込まれる様に、自ら淵を彷徨う喪失感を表現した作品である
近しい人間が、精一杯天寿を全うする事には納得感を得られる しかし説明がつかぬ突然の別離に対しては耐性が準備されていない それが、代え難い人で有ればある程である
幼少期に祖母を行方不明にさせた罪、そしてなんの訪れも感じぬ儘死に別れる夫 自死の罪深さはここに起因するのであろう 勿論、"最愛"という前提なので、そこまで思いがなければ直ぐに時間と環境が解決する話だ 自分の躯の一部とさえ感じている配偶者ならば、その喪失感は中々埋まらない 例え、残った子供の為に再婚をした男との情事のさえでもその喪失感は襲ってくる 人は愛する具現をセックスに帰着する と同時に喪失感を埋めるためにも同様の行為を行なう 今作がデビューの江角マキコの裸体が陰であまりみえなかったのが、それだけが今作の減点である
脱ぐことに躊躇した本人、及び事務所に苦言を呈したい 中途半端ならば俳優業をするなと・・・
時間と環境、そして雄大な自然がその蟠りを解してくれる そんな解決策の一つを提示してくれた作品、大変素晴らしかった
悲しいニュースを見るたび思い出す
ミニシアター系でこの映画を見ました。当時は江角マキコファンで軽いノリで行ったのですが、淡々と、しかしながらずっしりときたのを覚えています。今でも悲しいニュースを見るたびにこの映画を思い出します。人間ってそういうところあると思う。みんな、その可能性を秘めてる。そんなあやうい存在なことに気付かされます。思い出に残る数少ない邦画です。
是枝監督のデビュー作だったんですね…。
【”幻の光”に吸い寄せられてしまった人を、引き留められなかった後悔の念に苛まれる女性の、深い喪失感からゆっくりと再生して行く姿を能登半島の美しい海岸を背景に、静かなトーンで描いた作品。】
ー是枝監督が、”様々な家族の姿”を拘りを持って描き続けている事は周知の事実である。そして、その根底には”人間の善性を信じる”という固い想いがあることも・・。
それ故に、それを裏切るようなネグレクトなどの唾棄すべき行為に対しては、強烈な怒りを込めて、「誰も知らない」「万引き家族」などの作品に、”様々な家族の姿”として反映させてきた。
今作では、愛する人と”家族”になった女性の深い喪失感とゆっくりと再生して行く姿を、能登半島での”新しい家族”の姿と、荒々しい海と向き合い生きる人々の姿を絡ませて描いている・・。-
◆冒頭の、ゆみこが幼い時、”四国の宿毛に帰るんじゃ・・、死ぬために・・”と言いながら姿を消した、ゆみこの祖母の姿が、その後の展開を暗示させるところから物語は始まる。
・大人になったゆみこ(江角マキコ)が、小さい頃知り合ったいくお(浅野忠信)と結婚し、ゆういちが生まれ、ゆみこは幸せな生活を送っている。
が、ある日、いくおは突然”この世から”居なくなる・・。
- 江角マキコさん演じるゆみこの、哀しみが深すぎて、涙も出ず、無表情で独り暗い部屋の中で佇む姿。-
・ゆみこは幼子を抱え、伝手で能登半島に住むたみお(内藤剛)と再婚するが、表情は暗いままである・・。だが、二人のために荒れた海に蟹を取りに行ってくれたとめのおばあさんを始め、たみおの父(柄本明)や、朝市の売り子のおばさんから、さりげないが、優しい態度で接しられ、ある日、ゆみこは漸く夫たみおに能登の海岸で問いかける。
”何で、あの人は死んだんや・・。分からへん・・。”
たみおは、
”父ちゃんが言っていた事がある。海に出ていると、”誘われることがある・・。” チラチラとした灯りに・・。人間、誰でもそういうことがあるのではないかなあ・・。”
- 海岸沿いを歩く葬列。鳴る鈴の音。
それは、いくおが盗んできた自転車のカギについていた鈴の音、そしてゆみこがいくおの形見として、大切に持っていた鈴の音に聞こえる。
絶妙な構成である。-
<ある女性の深い喪失感から、ゆっくりと魂を再生して行く姿を静かなトーンで描いた作品。 是枝監督が現在でも拘る”家族”を裏テーマにした作品でもある。
”二つの家族の姿:一つは、いくおと築いた家族、もう一つは、たみおと築いた家族”
の姿を通して、
”人間の魂の揺らぎ”
を、能登半島の荒々しいが美しい風景、逞しく生きる人々の姿を通して描き出している作品。>
◼️2024年7月25日 追記
1日でも早い復旧を祈っています。
人生の意味は言葉にできない、感じるもの
平穏な日常から、ふっと消えるようにこの世を発つ人たち。
主人公のゆみ子は、釈然としない死に対する印象を記憶に抱えることになります。
この作品は、彼女の曖昧模糊とした死生観を踏まえた世界認識や心情を描写すべく、何気なく映る光景に対してまで、非常に繊細な意図を持たせていると感じられました。
私が特に感銘を受けたのは、表情やセリフといった明快な説明は廃し、むしろ現実の風景と人物との画面上の関係性から、人物の心情を浮き上がらせるような演出です。
表情やセリフで語る感情表現は分かりやすいですが、明瞭な表現は時として、記号化・言語化できない繊細な情報を覆い隠してしまうものでしょう。
現実の風景は、つまりゆみ子の内面と連続した環境でもあるのです。周囲の環境を見つめることで、彼女の繊細な感情の在りかを探るような演出がされています。
しかしそのため、村や町や家の中に対して、どこからどう見るのか、とても鋭い視点の観察がされていると察せられました。水平垂直、明暗の利用、場合によってはやや構成的なまでに画面を整理し、画面全体をもって意味のある一枚絵としているかのようです。
その結果、一見何気ない無意味に思える要素、ストーブの灯り、家の角の陰、それから、鈴や自転車ベルといった音など、場面ごとに一見些細な様々なものが力を得ています。
途中、平穏な生活の描写は、ゆみ子の日々の時間感覚を体験する事ができますが、そんな続いて行く日常の流れの中で、不意に死が訪れかねないという認識を度々思い起こさせられ、不安とも不可解ともつかない特異な感覚をもたらしていると思われました。
人は生きる意味を探求することが生涯のテーマである、などと言う人がいます。しかし私はこれに若干の疑問を感じます。
「生きる意味」の「意味」というのは、言語化できる意味に過ぎないのではないでしょうか。
哲学的な問題に対し、何か簡潔な言葉で言い表そうというする態度を見ると、私はその人の感性を疑ってしまうことがあります。
言語化できない、しかし強烈な意味というものは確かに存在し、それは安易な言葉で捉えようとすると、忽ちこぼれ落ちてしまう。
ゆみ子に共感するかは別としても、彼女の環境世界を想像することで、何か貴重な体験を得られた気がしています。
リアリティはある
が映画としてはインパクトに欠ける。是枝監督らしく、ドキュメンタリーのように物語は進み、出演者の演技も自然。冒頭、祖母が失踪するシーンがあるが、短いシーンのため、その後の人生にどれだけ影響を与えているのか、わからなかった。愛する夫・浅野忠信が自殺してしまう。数年後、一人息子を連れ、奥能登に住む内藤剛志と再婚する。夫や近所の人々も良くしてくれ、息子も馴染んでいる。弟の結婚式で帰郷した際に、亡くした夫を思い出す。ごく自然にある話。何で自殺したのか、自問するが答えは見つからず、内藤剛志に聞くと、海では漁師も不思議な光が見え、その光に誘われる気がすることがある、不思議な光が見えたのでは?と優しく答える。結局、この優しい答えに落ち着いたのだろうか。もっとこの後きっと何かあるだろうと見ていくが、結局何もなく、おさまって、一緒に暮らす。ちょっと期待外れでした。
奥能登が舞台
次々と愛する人を亡くしてしまったゆみ子(江角)が子連れで向かう奥能登。輪島の小さな村に住む民雄と再婚するのだ。
ゆみ子の息子・勇一と民雄(内藤)の娘・友子が仲良く輪島の自然を駆け巡る。ロケハンの天才!地元の者であっても、こんなに美しい風景は見たことがない。その後、淡々とした家族の映像が続くが、大阪に出て地元には戻ってこないと思っていた民雄の侘しさや、失意の中にあっても民雄を愛していこうと努力するゆみ子の姿が妙にリアル。
半年後、弟の結婚式のために尼崎へ里帰りしたゆみ子は再び前夫郁夫(浅野)を思い出す。輪島に戻ってからも悲しみが増大してくるのだ。折りしも漁師仲間の1人が戻ってこなかったことも相まって、自分の周りの人間がどうして死んでいくのか悲観的になったりする。
「夫郁夫の自殺の原因は何だったんだ」と悩む姿はちょっと危険な雰囲気。能登の寂しい海が不思議と美しい。「光に誘われたりするもんだ」という慰めの言葉はどれだけ効果のあるものかわからないが、ほんのちょっとした一瞬にも死に誘われることがあるのだろう。この作品を観て前向きに生きていこうと考えが変わるとも思えないが、優しく見守ってくれる人さえいれば何とかなるのかな
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