「人間を超えられるのか? 人間性とは何なのか?」ブレードランナー 井筒考庵さんの映画レビュー(感想・評価)
人間を超えられるのか? 人間性とは何なのか?
表題の主題は「2001年宇宙の旅」@1968以降、最近の「エイリアン:アース」@2025に至るまで、多くのSF作品で変奏されながら反復されていますが、その系譜の中での重要なマイルストーンが本作@1982。
【問】 人間、あるいは模造人間は、人間を超えられるのか? 人間性とは何なのか?
原作者のフィリップ・K ・ディックは本作の公開直前に他界していますが、彼なりの答えを用意していてそれは、
【答】 人間であるとか模造人間であるとかの区別は本質的ではなく、人間であれ模造人間であれ、「親切」であるかどうかが大切だ。
人工知能が人間を超える・超えないとか、不死性であるとか賢さであるとか、機能的な優劣に関心が向かいがちなのかもしれませんが、ディックの答えはシンプルです。
シンギュラリティのその先、もしもアンドロイドが総じて人間より親切だということであるなら、人間性という言葉はアンドロイド性という言葉に置き換えられるかもしれませんが、ディックの答えでは、それは人間性の否定ではありません。
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以下、幾つかの追記。
1) 「スター・ウォーズ」@1977でコミカルなアメコミキャラを演じたハリソン・フォードは本作で一転、フィリップ・マーロウのようなキャラ(非情だが少し優しい)を演じきっていて、当時から役作りの幅の広さを感じさせます。
2) 原作では主人公デカードが、“アンドロイドは電気羊の夢を見るか?”と自問するシーンの後、アンドロイド/ヒロインのレイチェルに「バーボン」を薦めらていますが、本作でのデカードはなぜか「ウォッカ」を独りで痛飲しています。
3) 終盤での主人公デカードと反逆レプリカントのロイの対決シーン。ロイはデカードの命を反射的に救ってから寿命を迎えます。延命に執着していたロイが、人間性の一瞬の閃きをみせた時、全てが手遅れになっているというのは、シェークスピア的な悲劇性です。
4) デカードとの対決シーンの前に、ロイはレプリカントの創造者であるタイレル博士をその「眼」を潰しながら殺害し、対決シーンの後、自らの胸にある「鳩」を解き放ちます。図象的には、眼は「父」、鳩は「精霊」を意味するので、ロイを含めての「三位一体」の関係と「神殺し」が隠喩(メタファー)されていると見てよいでしょう。
共感、コメントありがとうございます。
手直しされたり、リメイクされたり、満足できる映画を観てほしいという気持ちもわからないではないですが、必ずしも万人が求めるものでも無いですよね。

