「I see a red door, and I want it painted black. 人間が”弾丸”に変わる様をありありと描き出した、戦争映画のマスターピース!」フルメタル・ジャケット たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
I see a red door, and I want it painted black. 人間が”弾丸”に変わる様をありありと描き出した、戦争映画のマスターピース!
ベトナム戦争下を舞台に、米海兵隊の常軌を逸した新兵訓練と、それにより”完全被甲弾(フルメタル・ジャケット)”と化した軍人たちが繰り広げる戦闘を描いた戦争映画。
監督/脚本/製作は『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』の、巨匠スタンリー・キューブリック。
原作は自らもベトナム戦争に従軍した経験を持つ小説家、グスタフ・ハスフォードの「The Short-Timers」(1979)。ハスフォードは本作の脚本にも参加している。
イギリスから一歩も出ない事で知られる”史上最強の引きこもり”キューブリック。ベトナム戦争を舞台にした映画でありながら東南アジアでのロケは一切行わず、ロンドン郊外にあるガス工場跡地に広大なセットを設営し、そこであの壮絶なフエ市街戦を撮影してしまった。
この荒れ果てたフエの街並みは現地で撮影したとしか思えない凄まじいクオリティである。リアリティが半端では無い。
そんな本物と見紛う広大なセットで行われる、凄惨極まりない大戦争描写。この世の地獄とも思える激しい戦いを、兵士と同じ目線でカメラは捉える。どこから狙われているのかわからないスナイパーの恐怖、それを掻い潜り進む兵士たち。その手に汗握る攻防の中に観客を放り込み、兵士たちの緊張と興奮を追体験させる。観客を映画の中に巻き込んでいくその手腕と手際、本当に見事だと思います。
が、ここまではよく出来たベトナム戦争映画。ここからがキューブリックなんです。
戦争映画を鑑賞するときに生じる矛盾。一方で「戦争はなんて愚かでクソッタレな行為なんだ💢」と憤りながら、一方では「ウッヒョー!このド派手な銃撃戦タマンねぇーっ!」と戦闘描写をエンタメとして消費している。この2つのアンビバレントな感情に、なんだか座り心地の悪さを感じてしまう観客は自分だけではないだろう。もちろん、戦争の悲惨さにのみ重きを置き、娯楽的な戦闘描写は一切しないという戦争映画もあるが、それだとやはり退屈な映画になってしまうし、逆に戦争サイコーッ!!フゥーー!!みたいなノリの映画は、どれだけ面白くともやはり鼻白んでしまう。
アクション映画としての面白さを担保しつつも単なる娯楽映画には堕さず、戦争の愚かさと馬鹿らしさを強烈に描きこむ。
この矛盾しているようにも思える無理難題に対し、キューブリックは本作を2部構成にする事により見事な回答をしてみせた。それはつまり、苛烈なベトナム戦争パートの前に、新兵たちを徹底的に鍛え上げる狂気的なブートキャンプパートを据えたのである。
事前に洗脳となんら変わらない異常な新兵訓練の光景を描いておけば、その後の戦争シーンでどれだけ英雄的な行いを米兵が見せようが、どれだけ血湧き肉躍るアクション描写があろうが、そこに観客を喜ばせる快楽は生まれない。むしろ、それらを強く描き出さば出すほど、人をただの”フルメタル・ジャケット”に変えてしまう戦争の怖さや愚かさが浮き彫りになる。これは映画史に残る見事な発明であると言わざるを得ないでしょう。
キューブリックの素晴らしさは、この新兵訓練描写に一切の手心を加えなかったところにある。それどころか、放送コードギリギリ…というか完全アウトな罵倒語の数々がまぁ出るわ出るわ💦あまりにも酷すぎて不快感を通り越して爆笑しするわこんなんっ!!🤣
『時計じかけのオレンジ』(1971)にしろ『シャイニング』(1980)にしろ、キューブリックの作品における狂気や絶望は笑いと紙一重。そんな作風が、この洗脳パワハラ新兵訓練とピッタリとマッチ。爆笑級の罵倒の数々が、自由の名の下に死体の山を築きまくったベトナム戦争の滑稽さをより強調している。
資本主義の象徴たる「ミッキーマウス・マーチ」を口ずさみながら、廃墟となったフエの街を後進するというラストカット、そしてエンドロールで流れるストーンズの「黒くぬれ!」。形容し難い後味を残すクライマックスの切れ味も完璧。
前半パートが面白すぎるが故、後半パートが若干霞んでしまっているというバランスの悪さはあるものの、歴史に残る大傑作である事は疑う余地もない。これぞベトナム戦争映画の決定版である!