普通の人々のレビュー・感想・評価
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実は「普通」でなかった普通の人々
<映画のことば>
「平穏だった生活は一つのことで一変した。君は慌て、混乱した。バックだけを愛していた。バックの死とともに、君の愛は葬られてしまったよ。バックではなく、自分を愛していたのか。ともかく君は葬られてしまった。君の正体が、分からない。」
☆ ☆ ☆
直接には一家にかけがえのない長男坊・バックの事故死という不幸を遠因として、少しずつ家族が崩壊していったのは、一見すると一家の中心を占めていた(と、家族の誰にも思われていた)母親であり、妻でもあったベス、その人の、生まれながらにして染み付いていた頑なな人となりそのものに大きな要因があったということでしょう。
本作の「普通の人々」が形作る家族の崩壊は、実はベスの内面に家族が形作られるずっと以前から内包されていて、バックの事故死は、その発露のトリガー(引鉄)に過ぎなかったのだと思います。
(バックが事故死をしなかったとしても、何か他のことを契機として、きっといつかは発現し、本作と同じ結末を迎えていたことは間違いがないと、評論子は思う。)
分析医の力を借りて、コンラッドが過去の桎梏を何とか乗り越えて家族の新たな地平が家族の視野に入ろうとしたとき、このことが白日の下に引き出されてしまった…。
けっきょくベスは、明白に突きつけられてしまった自己の、その人となりの故に、自らのお腹を痛めて産んだわが子であるコンラッドや、最愛の夫であったはずのカルビンの人生から去っていくことになった…そう思えてならないのです、評論子には。
ラストシーンから推すと、コンラッドは、カルビンの真の包容力(父性愛)に包まれながら、自らを取り戻して、ジェニンとは、温かで安定した関係を築いたものと信じて疑いません。。
秀作であったと思います。
まるで一枚の油絵を鑑賞するかのような、重厚な一本として。評論子は。
暗っら! 兄は事故死、その影響か弟は精神科入院。全然普通じゃない。...
暗っら!
兄は事故死、その影響か弟は精神科入院。全然普通じゃない。
弟は退院するものの微妙な歪みが家庭を蝕んでいく。兄を溺愛してたオカンがうちのオカンとダブる。微妙変化が延々続く。だるい。
やっと来た〜衝撃事件。そやからデートで聞いとったんか、なるほど。んっ、えっ、また出てきた。なんや◯◯したんは病院の子か。勘違いするやん(笑)
アカデミー受賞のようです。いろんな解釈ができないと選ばれない賞のようです(笑)
いい大人ほど感情を正しく表現するのは難しい。
重たいテーマすぎて2日かけて鑑賞した。
脚本の種類でいうと「人生の節目」、まさに家族にとっての転機の話でしたね。
普通の4人家族、そのうちの兄が死をきっかけに波長とバランスが崩れていく。
ストーリーのテンポ感も原因ではあるけれど、雰囲気が重すぎる。ズドーーーーーン
登場人物が全然素直じゃないので表面的な会話だらけ。
ひたすら病院の待ち時間みたいな苦痛を体験できました(笑)
ストーリー自体は兄が他界したあとの状態から始まるのですが、その時点で気持ちが悪い。
決定的なハプニングが起こるわけでもないのに
家族なのに他人行儀な感じ。
カウンセリングを受け気持ちの整理をすると、堰を切ったように流れ出す感情。
大人になるにつれ”感情の所在地”が分からなくなるのだと思います。
家族だからこそ本音で話せそうなのに
家族だからと見くびって、高を括ったんだろうな。
プライドの高さがお互いを邪魔してる感じが見るに堪えない…
お互いのリスペクトさえ見当たらない、単純にコミュニケーション不足による崩壊。
普通の人々こそ迷い込む罠のようですね。
ラストシーンで”答え”を見せてもらいました。
あれこそ正解、あれがコミュニケーション、だけど中々できないんだなあ、みつを。
自分にとってのが当たり前がその人にとっての当たり前ではない、それが...
自分にとってのが当たり前がその人にとっての当たり前ではない、それが普通なのだと思う
ボクが死ねば良かった。
兄を事故で亡くした弟は、自分を責める。
そして自殺未遂。
助かったものの抜け殻のようで、自分を取り戻せない。
幸福な4人家族の1人が欠けると家族はバランスを失い、平衡を失っていく様が、
細やかな描写で描かれます。
1980年(アメリカ)
ロバート・レッドフォードの初監督作品。
なんとアカデミー賞4部門(作品、監督、助演男優、脚色賞)に輝いた。
この映画、かなり昔に観たとき、非常に感動した記憶があります。
衝撃的な印象でした。
今回観たところ、丁寧な演出の心理ドラマで、良いことは良いのですが、
そこまでの感動は生まれませんでした。
(感受性が鈍ったんですね。悲しい!)
精神分析医に「心の内奥を委ねる」
とてもアメリカ的です。
精神分析医には「本音を話し、真っ向からぶつかって行く」
父親(ドナルド・サザーランド)は繊細な心遣いで次男のコンラッド(ティモシー・ハットン)に
寄り添う愛情豊かな人柄です。
死んだ長男バックを愛する母親メアリー・タイラー・ムーア)は、コンラッドに冷たくて、
許す言葉、
硬く抱きしめて、
「愛している、立ち直ってね」の
言葉が口を出ないのです。
一番支えてほしい母親が、無力です。
かえって母親の性格の未熟さが露呈します。
肉親を亡くす・・・
誰もが必ず経験する試練。
普遍のテーマを、ほろ苦く描いた秀作です。
でもレッドフォードの監督作品なら「リバー・ランズ・スルー・イット」がより好きですね。
優等生の兄。
放蕩者の弟を演じたブラッド・ピットの美しさカリスマ性。
ロバート・フォードの若い頃の美しさに瓜二つのブラピ。
何度も観るなら、こちらですね。
(これって、楽な方に流されてるだけ?)
人の本音を描いたドラマ
兄が事故死したのは自分の責任だと自己嫌悪に陥ってる弟コンラット。母親ベスは、最愛の息子を失った悲しみそして、何か愛し切れないコンラットとの関係。そんな2人に挟まれて本来の家族の形を取り戻そうと努力する父親カルビン。そんな家族3人の関係が危機的に崩壊していく、フィクションだからって、取ってつけたような架空の物語じゃない。あくまでもストレートに観ている私たちにぶつけてくるヒューマンドラマに感じました。
ベスとカルビンの夫婦の関係なんて、生々しく現実味たっぷり。コンラットを育てていく中で、カルビンとベスとの関係が徐々に崩れていってしまう。そんな中で、本来の家族の在り方そして、本来の夫婦の在り方が何なのかを、問いかけてきているような気がしました。
家庭崩壊劇にみるレッドフォード監督の生真面目さ
昨年の「クレイマー、クレイマー」に続く、今日の家庭崩壊劇のシリアスドラマ。ロバート・レッドフォードが初めて監督に挑んだ話題性はあるが、慎重な演出タッチに彼の誠実な人柄が偲ばれるものの、特に演出の個性は感じ取れなかった。ドラマの複雑な心理描写では表情の影が薄い。もっと突き詰めて描いてしかるべきで、メリー・タイラー・ムーアの神経症的演技が表面的に終わる。新人ティモシー・ハットンもまだ個性発露まで行っていない。アカデミー賞受賞作品としては、全体のレベルダウンを象徴する。
1981年 4月11日 みゆき座
考えさせられる
邦題も原題の訳そのままであるが、内容は「普通」ではなく、かなり重いテーマだ。俳優出身の監督といえばクリントイーストウッドを思い出すが、彼の作品同様に、この映画もいい映画かもしれないが見終わった後の後味が悪い。したがって、個人的には好きになれない映画だった。
オスカーはバーガー医師に
◆レビューがとても少ないですね。
これだけ有名な作品なのに、感想を上げている人が異様に少ない。
それはたぶん2つの理由から ―
①【作品自体が重たい】
駄作やB級娯楽作品の対極にこのヘビーな作品があって、未だ想いを言葉化できない=手をつける時期がまだ来ていないと感じている鑑賞者が潜在的に多くいるからだと想像します。
(僕もいくつかの作品、そうですから)。
そしてもうひとつの理由としては ―
②【未体験の世界がテーマ】
つまり、日本には精神科、精神分析医、カウンセラー等を普段の生活の中で、時宜に応じて あるいは定期的に、自己メンテナンスのツールとして“利用する”という習慣がほぼ皆無だからでしょうね。
・・かかりつけの歯医者がいるように、個々がかかりつけのカウンセラーを持っているアメリカでは、この映画を制作する側の前提も、もちろん観る側の前提も、日本とは共通体験が全く違っているから。
僕は学校で心理学やカウンセリングを学びました。施療する立場も受診する立場も体験しています。
優れたカウンセラーも、力量のない分析医も知っています。
だからこの作品が、腰の座ったカウンセラーを中心にして回るように構成されていること、その骨格が好ましく、僕としては非常に興味深くて 面白かったです。
☆満点です。
・・・・・・・・・・・・
◆登場人物たち
「父親」は、長男の事故死と次男のリストカットが一体のものであり、因果関係があることを知っている。
弁護士ゆえ なおさらである。
「次男」は、兄を死なせたのは自分なのだと激しい自責の念を抱えているし、そのことで母親が自分に憎しみを向けていることに気づいている。
家庭崩壊は自分のせいだと思っている。
そして「母親」は、
そのお母さんから《強く生きられない人間はダメだ》と言い含められて育ってきた。
親の代から続く強迫観念の桎梏の中に彼女はある。
(親にも自分自身にも弱みは見せられない)。
だから秘して長男に対しては最高得点の評価と追想に生きているし、次男に向かっては断罪の視線に生きる。ただし彼女は中立で取り乱さないパーフェクトな自分であろうとするから、悼みの気持ちも断罪の思いも、心の奥底にしまって隠そうとしている。
彼女は、本当は、喉元まで出てきている言葉と本心
「私は悲しい、泣きたい」
「コンラッド、お前が死ねば良かったのに」
このキーワードを吐くことが出来れば、堰を切って、彼女にも新しい転機が生まれるだろう。
家族三人が黙して仮面をかぶり「普通の家族」を演じることの無理を、監督レッドフォードはよくここまで真摯に撮ったと思います。
大丈夫。母親はこれからです。ゴルフ仲間に悪態をついたから、彼女の解放は始まっている。
オスカーはバーガー医師に献じたかった。
全員、その葛藤は理解できる
絶望、だった。否、そんな簡単な言葉で感想は述べられないのだが、前に進んでも後ろに下がってもどうしようもなく悪い方向にしかいかない日々。奇跡も起こらない、しかし救いが無いわけでもない、きっとこれが紛れもない普通の日常。息子も、父親も、母親も、みんな救われてくれ。
普通は盤石ではなく、ひとつの出来事で崩れていく
どこにでもありそうな中流家庭の4人暮らしの家庭に起きた長男の事故死。事故現場に居た自分を責め、自殺未遂を起こし、精神科へ通う弟。溺愛していた長男を失い、次男にどう接していいのかわからなくなった母親。
そんな家庭を取り持とうと悩み、努力する父親。長男の事故死は回想で、リアルな場面ではエンディング含めて取り立てて大きな出来事は起こらない。
普通の家庭を丁寧に描くことで映画は成り立つことを示唆してくれる映画。
カノンがこんなにもマッチするなんて。心に響くヒューマンドラマ。家族...
カノンがこんなにもマッチするなんて。心に響くヒューマンドラマ。家族だからと愛せるわけではないし、他人に愛されたからと言って、信用できるわけではない。しかし定期的にそれを確かめ合っていかないと、人と人はすぐに崩壊する。
タイトルなし
普通でない人々を描く「普通の人々」。冒頭の朝食シーンで次男が食べなかったトーストをいきなりシンクの排水口に直接押し込む母親の行動に?だったけれど普通そんなことしないでしょう。でも『普通』って言うけどそもそも『普通』って何?この映画では悪者扱いの母親も、夫や次男の観点から見ればそうかもしれないけれど、長男の方を次男よりも愛していた、というように自分の子供を平等に愛せないというのは案外よく聞く話で一概に母親を責められない。また、
普通とは・・・
セラピーに通うコンラッド。トラウマは続き、夢をよく見る。母親とは折り合いが悪く、よそよそしい会話ばかりだ。水泳を辞め、コーラスに専念し、ジニーと仲良くなる。色々あって、また母親とケンカ。何がそうさせたんだと・・・最初は、郊外の大きな家に住むリッチな家族の風景、これが「全然普通じゃない!」と思わせたが、そういう“普通”じゃなかったのです。
この映画は、あらすじを読むと何となくわかってくるのだが、途中までは過去の回想シーンもほとんどなく、どんな家族なのか、何があったのかもさっぱりわからないのです。観客に想像させ、徐々にわかってくるホームドラマのパズルのような感じ。兄が死んだということ、弟は自殺未遂をしたということやどんな自殺法だったのかということ、父親カルヴィンが弁護士だということ、すべて後半になってわかってくる。つまり問題提起されるまで、事件を感じさせないくらいに“普通の人々を演じていた”ということだった。この映画を観るまでは“普通の人々の一家が徐々に崩れていく”ものだと思っていたから、このタイトルの意味の深さには驚かされた。
カレンが途中から出てこなくなったので、どうしたのだと思っていたら、意外な展開を迎えました。ラストは悲劇のようですが、父と息子の絆が確固たるものになったから、きっと未来は明るくなると思います。
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