「映画スターの監督デビュー作として破格」普通の人々 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)
映画スターの監督デビュー作として破格
『普通の人々』が日本公開された1981年3月はまだ9歳だったし、当時に観ていたとしてもこの映画を理解するアタマはまったくなかったと思うが、ロバート・レッドフォードが本作で監督デビューしたのをリアルタイムで観た人は、本当に驚いたのではないか。この内省的で、それでいて怜悧なくらい客観的で、人間の理屈では割り切れない部分を暴力的なまでにさらけ出した静かな人間ドラマを、映画業界に10年ばかり君臨していたとはいえ、ひとりの映画スターがものにしてしまうとは。
レッドフォードは元画家志望で、新人監督でスタッフにテクニカルな指示が出せないから、「こんな映像にしたい」という要望を絵に描いて伝えていたと本人が語っている。とはいえ、ものすごく絵画的なキメ画がバンバン出てくるわけではない。基本的には美しい景色を物語の背景としてみごとに切り取っているが、風景は人間たちの苦悩とほぼ等価に存在しているように見える。人の感情の切実さに寄り添いつつも、どこかで突き放している。あくまでも映し出されれてるのは、世界の中の人間、なのだと思う。
若いティモシー・ハットンのナイーヴな演技も印象的だが、登場人物として強烈なのは、やはり母親役のメアリー・タイラー・ムーア。ハットン側に立てば完全に毒親だが、自分を保つために心に蓋をした複雑怪奇なこじらせっぷりを、悪役でもなければ好感を呼ぶわけでもない(もちろん個人として共感を覚える部分がある人は大勢いると思います)誰にも媚びない演技でやってのけたのは、監督レッドフォードの慧眼も含めておみごと。怪優的存在であるドナルド・サザーランドが、最も没個性で愛情深い父親を演じているのも、やはりキャスティングの妙といえる。
この才気に満ちた新人監督が、その後どこにいってしまったのか? レッドフォードは一体どうしてこんな映画が撮れてしまったのか? もはや謎は永遠に解けないと思うが、傑作は残り続ける。素晴らしいデビュー作。
