「アメリカの「普通」」普通の人々 masakingさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカの「普通」
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1970年代後半から80年代にかけて、米国は世界の中枢に君臨する強いリーダー国家を自負した。
全てが順風満帆。軍事力、経済力、政治力において、米国が世界を正しい方向へ主導する。
国民の生活は豊かでチャンスに満ち溢れ、誰もが休日はゴルフを楽しめる。
少なくとも、当時小学生から中学生になろうとしていた自分には、アメリカ合衆国という国からそんな明るさを感じていた。
ステレオタイプのこうしたイメージを、実は国民も皆信じようとして、暗い闇の部分から敢えて目を背けていたのかもしれない。
そういう人々が集まって形成された家族に、原作者も、映画の製作者たちも、小さな米国の病理を見ていたのかもしれない。
必死になって「普通」を装うことで、破滅的な現実の到来を少しでも遅らせることができると信じたのだ。
長男の死に涙を見せず、葬儀で着る夫のシャツの色に指図する妻のエピソードは、まさに強さに取り憑かれた米国たる振る舞い打。
苦しむコンラッドを両親に預けてゴルフに興じる場面、ジョギングの間中、同僚と株の売買の話題が続く場面など、ところどころに強い米国の普通が描かれ、そのことに耐えられなくなる一見普通ではない父親が描かれる。
観る側は「どっちが普通?」と問われているのだ。
ティモシー・ハットン、ジャレツド・ハーシユら主要キャストがみな好演。
エリザベス・マクガバンのはちきれそうな顔は当時あまり好道ではなかったが、今見直してみると愛嬌があってチャーミングだ。演技も素晴らしい。
この時代の上流家庭の暮らす街並みは美しい。あの時代がよかったと思ってしまうのは、やはり作り物の普通に騙されていたからなのだろうと思うのは少しばかり悲しかった。
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