「オスカーはバーガー医師に」普通の人々 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
オスカーはバーガー医師に
◆レビューがとても少ないですね。
これだけ有名な作品なのに、感想を上げている人が異様に少ない。
それはたぶん2つの理由から ―
①【作品自体が重たい】
駄作やB級娯楽作品の対極にこのヘビーな作品があって、未だ想いを言葉化できない=手をつける時期がまだ来ていないと感じている鑑賞者が潜在的に多くいるからだと想像します。
(僕もいくつかの作品、そうですから)。
そしてもうひとつの理由としては ―
②【未体験の世界がテーマ】
つまり、日本には精神科、精神分析医、カウンセラー等を普段の生活の中で、時宜に応じて あるいは定期的に、自己メンテナンスのツールとして“利用する”という習慣がほぼ皆無だからでしょうね。
・・かかりつけの歯医者がいるように、個々がかかりつけのカウンセラーを持っているアメリカでは、この映画を制作する側の前提も、もちろん観る側の前提も、日本とは共通体験が全く違っているから。
僕は学校で心理学やカウンセリングを学びました。施療する立場も受診する立場も体験しています。
優れたカウンセラーも、力量のない分析医も知っています。
だからこの作品が、腰の座ったカウンセラーを中心にして回るように構成されていること、その骨格が好ましく、僕としては非常に興味深くて 面白かったです。
☆満点です。
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◆登場人物たち
「父親」は、長男の事故死と次男のリストカットが一体のものであり、因果関係があることを知っている。
弁護士ゆえ なおさらである。
「次男」は、兄を死なせたのは自分なのだと激しい自責の念を抱えているし、そのことで母親が自分に憎しみを向けていることに気づいている。
家庭崩壊は自分のせいだと思っている。
そして「母親」は、
そのお母さんから《強く生きられない人間はダメだ》と言い含められて育ってきた。
親の代から続く強迫観念の桎梏の中に彼女はある。
(親にも自分自身にも弱みは見せられない)。
だから秘して長男に対しては最高得点の評価と追想に生きているし、次男に向かっては断罪の視線に生きる。ただし彼女は中立で取り乱さないパーフェクトな自分であろうとするから、悼みの気持ちも断罪の思いも、心の奥底にしまって隠そうとしている。
彼女は、本当は、喉元まで出てきている言葉と本心
「私は悲しい、泣きたい」
「コンラッド、お前が死ねば良かったのに」
このキーワードを吐くことが出来れば、堰を切って、彼女にも新しい転機が生まれるだろう。
家族三人が黙して仮面をかぶり「普通の家族」を演じることの無理を、監督レッドフォードはよくここまで真摯に撮ったと思います。
大丈夫。母親はこれからです。ゴルフ仲間に悪態をついたから、彼女の解放は始まっている。
オスカーはバーガー医師に献じたかった。