「グラデーションの価値観。」ファーゴ すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
グラデーションの価値観。
◯作品全体
保険金目当てで妻の誘拐を依頼したことをきっかけに、どんどんと大事になっていく物語。
誘拐を依頼したジェリーの行き当たりばったりな行動や、実行犯・ゲアの躊躇の無い残虐な行為、そして事件解決にあたる妊娠中の刑事・マージの存在感…印象に残るシーンが多々あったが、個人的に一番面白いと感じたのは、登場人物たちの価値観がグラデーションのようになっていることだった。
価値観について、未来をお腹に宿したマージと対照的なのは、まぎれもなくゲアだ。順風満帆な家庭を持つマージには暖かな人間性が存在するが、ゲアにはそれがない。自分にとって不要な物であればすぐに実力行使に及ぶし、必要がなければ会話もしない。冷え切った人間性が随所で表現されている。
その二人の間に価値観を置くのが、ジェリーとカールだ。ジェリーはどちらかといえばマージ寄りに価値観を置く。妻や子を積極的に傷つけるつもりはなく、仕事では相手の気持ちを慮ろうとする様子もあった。ただ、マージと違うのは自分の都合次第では相手を突き放す行動に出ることだ。それでもカールのように実力行使に出る勇気はなく、社交性の裏に小さな悪意を隠していて、マージとカールの間に価値観がある。
カールはゲアのような純粋に尖った感情ではないが、カールのような善性もない。悪意の裏に小さな社交性を隠しているような人物だ。ゲアに反抗するような勇気はないが、自分より弱い人間は平気で殺す。ジェリーとゲアの間に価値観を置くような存在だった。
こうした階調的なキャラクターの価値観は、マージとゲアのような対極にいるような人間でもグラデーションを通して見るとそれぞれの価値観は地続きである、ということを印象付けたかったのではないか。
暖かそうなベッドで夫と他愛のない話をしながらテレビを眺めるマージと、殺したジェリーの妻をそのままにしてテレビを見ながら食事するゲア。一見まったく違う環境に見えるけれど、テレビという共通点や、二人の間に価値観を置くジェリー、カールを通して見ると、決して別世界ではないことがわかる。そのことにユーモアを感じる部分もあるし、一歩間違えばゲアのような価値観になるという恐怖もある。ゲアは殺人兵器ではなく、同じ地域にいる人間なのだということを主張しているように感じた。
ラストシーンでは、価値観の対極にある二人が同じ車の中で同居する。幸せについて語るマージを聞き流しながらポールバニヤン像を眺めるゲア。同じ車内に居ながら同じカメラに収まることはなく、居場所を同じにしながらも遠い存在のように映る。バニヤンの逸話のように幸せがおとぎ話に聞こえるゲアにとっては、価値観は階調ではなく対照のものなのかもしれない。
グラデーションの価値観による物語の俯瞰は、実際の事件のように登場人物をリアル描写していた。
〇カメラワークとか
・ファーストカットとラストカットが同一…ではないけれど、似たような演出になっていた。真っ白な画面から白い雪景色が見えてきて、冒頭ではレッカー中の車が、ラストではパトカーが見えてくる。すべて白い画面でありながら少しずつ色や影が付いてくる演出は、価値観のグラデーションという部分に合致するものだった。
・マージは真正面から表情を撮るカットが多い。隠し事のない、正義のような印象。それでいてセリフや仕草はすごく人間臭さがあった。
〇その他
・途中で出てくるヤナギダはマージとジェリーの間に価値観を置くような人物だった。悪意を顕在化させることはないが、マージに近づくために嘘をつく。そんな自分に自己嫌悪する感情はある…というような。
同じ学校に通い、同じ時間を共有した友だちでありながら、一歩踏み込めばジェリーのように犯罪に手を染める。マージにとって危険な色へと進んでいくグラデーションを意識させる存在になっていた。夫に「私たち、幸せよね」と訊ねるシーンは、自分が黒ではなく白であることを確認するような場面だった。
・冒頭の「事実に基づいた」という嘘情報は、何度も映るバニヤン像で嘘だとネタバラシしていたんだなあ、と、終わってから気づいた。
・ジェリーの考えてるようで全然考えてない感じ、一番実際に居そうな感じ人物だった。こういうタイプって同じような人間には好かれるけど、それ以外からはトコトン嫌われるんだよなあ。
・『ノーカントリー』もそうだったけど、コーエン兄弟の作品に出てくる悪役って容赦ない。めちゃくちゃヤバイやつなのに、社会になんとなく潜んでいる感じが怖い。