「めでたしめでたし。大団円。」パリ、テキサス マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
めでたしめでたし。大団円。
ライ・クーダーだ。懐かしい♥
家族の幸せそうな姿をバックにして流れる『ライ・クーダー』の哀愁のあるメロディが泣けてくる。
ライ・クーダーのこの曲を聞くのは何年ぶりだろう。大森か渋谷で見た。しかし、最後まで覚えていないと言う事は、初見はその良さが分からなかったと思う。今日最後まで通して見る事が出来た。
さて、
この映画に対する記憶は、後の『バグダッドカフェ』と重なり『バグダッドカフェ』が邪魔して、私の頭の中からこの映画は消えたようだ。『トラヴィス』と『ジャック・パランス』が似ている。考えてみれば、どちらも、西ドイツ映画だ。
このワルツのインストルメンタルな曲は『ミシュテカの歌』と言ってネイティブアメリカンの曲の様だ。ライ・クーダーのアルバムに無い訳だ。今回、それが分かったので、大変に良かった。
男目線な納得できない面もあって、古い時代の男の価値観で物を言っていると感じた。
また、こんな場所で、さらし者にされる妻に対する『怒り』や『哀れみ』を語る見方もあるだろうが、こんな場所に行かないと自我もコントロール出来ない『男の性の醜さ』を表したと解釈したい。だから、この映画を評価する。トラヴィスの妻はこの男には未練は全く無いはずだ。未練があっては駄目だ。そんな都合良くは行かない。もう、4年も経過しているのだから、いくら鈍感な男でも分かる。寧ろ、この男が弟の家を離れたのは、弟の妻が自分に好意を持ってしまった事が原因。トラヴィスはそこから逃れたい。自分の息子を、弟と弟の妻の3人で育てる事になると、血の繋がった弟は捨てられ、弟の妻は自分を選ぶ事になる。だから、本当の母に息子を返す必要がある。私はそう解釈した。弟夫婦に子供がいない事に何か意味があると見た。
めでたしめでたし。大団円。
マサシさん
コメントありがとうございました。
【「PARIS」を英語では「パリス」と発音するのに、日本では「パリ」なのは何故なのか問題の件】。
その土地の地名や人名を正確に発音するのは難渋する上に、どこ経由でその固有名詞が舶来したかにもよりますよね。
PARISは、字面的にはローマ字読みすれば「ぱりす」ですが、フランス語では語尾の子音は発音しないという規則があるので「ぱり」です。
ところが英米の綴りと発音のルールでは語尾の子音こそ大切。そこで英語圏では「ぱりす」となったのでしょう。
誤読の歴史がどんなに長くても、こと著名な人名や地名などは、相手の国への敬意から読み=発音が修正されつつあります。
「Bachばっく」や「Chopinちょぴん」は今や英米では改められてバッハ、ショパンが当たり前になりましたし、「北京=ぺきん」も掲示や地図表記は随分とBeidinベイディン記述になりました。「えげれす」がイングリッシュになったようにです。
恐らく「PARIS」が日本では「ぱり」なのは英米を経由しないでその発音がフランスから直輸入されたからだろうと私は推察します。
たぶん英米語圏でも意識して「ぱり」と読む人は増えているのではないでしょうか、他ならぬ首都の名ですしね。