劇場公開日 2020年10月30日

「人生の真実に迫った秀作」バルタザールどこへ行く 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0人生の真実に迫った秀作

2020年11月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 19世紀フランスの文豪オノレー・ド・バルザックの「谷間の百合」という小説の中に「C'est la vie」という台詞が出てくる。大概は「これが人生なのです」と少し大仰に訳しているが、英語の「So it goes」と同じように「こんなものさ」と、半ば諦めたような慨嘆の意味合いに訳してもいいと思う。サントリーのテレビCMでヴァンサン・カッセルも「セラヴィ」と言っていた。フランスでは日常的に使う言葉だ。
 本作品のイメージも「C'est la vie」そのままである。そしてこの台詞を言うのに最も相応しい役柄が、ロバのバルタザールだと思う。もちろんバルタザールはロバだから何も喋らないが、擬人化すれば言いそうな台詞が「Au revoir. C’est la vie」(「あばよ、人生なんてこんなもんさ」)なのである。
 秋元順子が歌ってヒットした「愛のままで」の歌詞の中心は、「あぁ、生きてる意味を求めたりしない」である。この言葉に作詞作曲者花岡優平の哲学が集約される。もう若くはないから人生の意味を考えるなんて無駄なことはしない。どうせ人生に意味なんてない。ただあなたがいる。それだけでいい。そういう人生観であり恋愛観だ。この感覚はエディット・ピアフの「Hymne A L'Amour 」(邦題「愛の讃歌」)の歌詞に似ている。「あなたが愛してくれるなら、空が崩れてもいい、地球なんて割れてもいい」ではじまる歌だ。本作品のヒロインであるアンヌ・ビアゼムスキー演じるマリーも「あの人を愛している、死ねと言われればそうするわ」と、エディット・ピアフの歌と同じような台詞を言う。
 本作品に登場するのはマリーの他に、プライドを重んじるマリーの父と平穏無事を願うマリーの母、倫理観がなくて欲しいものは力づくで手に入れようとする若い男、臆病で礼儀正しい男になった幼馴染み、現世の利益のみを追求する老人、退廃的なアル中の浮浪者、法と秩序だけを拠り所とする警察官などである。これらの人々の世界観のぶつかり合いがそれぞれの行動として描かれる。
 マリーにはプライドも平穏無事も現世の利益も要らない、そんなものに何の意味があろうか、ただ男の愛が欲しい。しかし当の男はマリーを欲しがったがすぐに飽きてしまう。マリーよりもロバに執着し、ロバは可愛いから逆に虐める。捨てられたマリーには臆病な幼馴染みの愛は物足りない。プライドを重んじて平穏無事を願った父と母は窮地に追い詰められる。浮浪者に望外の幸運は荷が重すぎた。警察官は銃をぶっぱなす。
 バルタザールの周辺で起きたこれらのドラマすべては、バルタザールにとっては何の意味もない。プライドと平穏無事のつましい両親とその場限りの若い男は正反対だが、人間の生き方なんてどっちにしても大した違いはない。マリーの愛は束の間の気の迷いだ。臆病な幼馴染みは世間の価値観に、警察官は共同体の仕組みに人生を蹂躙されている。アル中の浮浪者が本当に望んだのは金ではなかった。
 人間はロバの前では本音を隠さない。本作品は登場人物が本音しか言わないから、逆に難解に感じられるかもしれないが、噛み砕いてしまえばそこら辺に転がっている人生ばかりだ。愛は言葉で飾らなければ続かない。本作品が真実だとすれば、世の中の幸せは修飾語によって美化されているに過ぎない。
 ロバの視点を借りて人生の真実に迫った秀作である。

耶馬英彦