白痴(1951)のレビュー・感想・評価
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恥ずかしながら初見。
亀田青年は犠牲者じゃなくて偽善者?
『このお金はすっかり香山さんのお金ですよ。よござんすか?』この台詞が心に残る。スゲ~。
この映画は羅生門の翌年の作品。
京マチ子さんから原節子さんに代わっただけで、メインキャストは同じ。
羅生門での後日談など描けば無粋であるが、白痴での森雅之さんの演技が羅生門で殺された侍のその後見たく感じる。
さて。
札幌雪まつりのところ?
怪獣の様な雪の造形物を見て『まぁ、気持ち悪い』って、『ゴ●ラ』のことじゃありませんかね?打倒!『ひがしのたから』『まつたけ』映画なんだよね。
完全な映画ではないから、良し、悪しなんて言えないと思う。
ブツブツにカット編集されているので、不条理劇の様。それでいて、筋を通そうとして、空回りしている。
さて、原作を恥ずかしながら読んでいないので、評価しようがない。
しかし、『カラマーゾフの兄弟』の三男の『アリョーシャ』を頭に描いて見てみた。亀田がどちらの女性を選ぶか?その間は椿三十郎の吹き出る瞬間のようだった。
この白痴の主人公をリバースさせると三島由紀夫先生の『金閣寺』の主人公になるんじゃないかと感じた。
原節子さん役の女性が同じ三島由紀夫先生の『豊饒の海』の門跡尼寺の住職。三島由紀夫先生もドストエフスキーからかなりの影響を受けていると聞く。つくづく、これが長尺であれば大名作になったのでは。と感じた。
また、日本人とロシア人って宗教も習慣も違うけど本当は似ているんじゃない♥と思った。
30年ぶりに観ても 全く分からない
これほどまでに分からない映画も珍しい
黒澤にしては珍しくロケとセットの
写真の質感が明らかに違いがある
ロケは演出無しで街の人々をそのまま
撮影して使ったものでしょう
陸橋と蒸気機関車のシーンは素晴らしかった
雪の演出も妥協が多く感じられました
黒澤明が映研の学生レベルになってしまった
最高の反面教師的映画
同時期の野良犬とは月とスッポン
辺りが凍る吹雪と身を焦がす激情
黒澤明の作品の中でも特にエネルギーが凄い映画だった。とんでもなく寒い札幌が舞台のはずなのに寒さは感じない。それどころか黒澤明のドストエフスキーへの熱量が映画全体から滲み出ていて暑苦しいぐらいだ。
今作で特筆すべきは何と言っても原節子の演技である。小津安二郎の作品に出演する彼女の面影は無く、孤高の女を演じきっていて度肝を抜かれた。素晴らしい女優だったんだなと再認識。案外黒澤明との相性も良いのかもしれない。 三船敏郎とのツーショットも嬉しい。
とてつもない善人は世の中では白痴というのは本当かもしれない。所謂普通の人々は、その善意を信じることができないし、バカにするか異常者扱いする。信じたとしても自分だけのものにしたがる。主人公亀田は最期どうなってしまったのか…。
叶わぬ夢かもしれないが、いつか4時間超の完全版を観てみたい。
長尺だが最後まで問題なく見ることができた、4時間半だとどうかわから...
長尺だが最後まで問題なく見ることができた、4時間半だとどうかわからないが。三船以外の3人が素晴らしく思えた。特に原節子。わが青春に悔なしもそうだが、黒澤作品も相当に相性が良い。観念的な話と人物たちなのに見られるのは何故だろう。
黒澤監督作品には珍しい俳優と常連俳優とのせめぎあいが見所
巨匠に対して不遜だけれども、正直あまり成功している作品とは思えません
黒澤監督は晩年を除くと基本東宝の監督ですが、東宝争議の間の3年ほど他社で撮っています
静かなる決闘、野良犬、醜聞、羅生門、本作
1948年から1951年の間のこれ等の作品です
本作はその3年間の最後の作品にあたり松竹で撮られたものです
本作は黒澤監督作品には珍しい俳優と常連俳優とのせめぎあいが見所です
黒澤作品の常連俳優からは、志村喬、三船敏郎が出演しています
森雅之、千秋実、久我美子は直近のお気に入りです
千秋実はご存知の通りその後超常連俳優になってます
松竹大船らしさの俳優としては、原節子、東山千栄子です
原節子は、やはり1949年の晩春以降の小津安二郎監督作品のヒロインイメージが強く有ります
本作の当時は、まだその一作だけで次の麦秋は本作公開の半年後の公開になります
ですから小津安二郎常連俳優とはまだ言えないのですが…
黒澤監督作品にはわが青春に悔なしにもでて二度目になりますから、本作の時点では黒澤作品の方が出演が多いことになるのは意外でした
東山千栄子はもとより松竹出演が多いですし、やはり本作以降になりますが、麦秋と東京物語のイメージが強くあります
原節子は晩春での清純の中に秘めた毒のある気の強い一面を大きく膨らましてみせています
黒い毛皮のコートに切れ長大きなの目のロシア風の容姿は松本零士の銀河鉄道999のメーテルのモデルはここから来てるのではと思わせます
対置する役として久我美子の配役も見事です
原節子の逆パターンの美人
原節子がコンプレックスを持っているだろうと思える部分の正反対の女優です
原が165センチで大柄なのに対して久我は153センチの小柄で、肩幅も原の様に張っていなく華奢
原の大きすぎる鼻も、久我は日本人らしく可愛らしく整っています
第一、31歳の原節子が失いつつある、眩しいような20歳の若さがあります
本作の物語は突き詰めてしまうと、二つのタイプの女性を選びきれない優柔不断な男の話です
ですからそのテーマなら、日本一、いや世界一(www)の森雅之の配役も当然です
彼の演技は流石というしかない見事なものでした
ところが、これ等の俳優達が素晴らしい演技を展開する中で三船敏郎が浮き上がってしまっています
常連俳優とは言え、一連の配役の中で彼を配役するとした計算がまず疑問です
そして彼の衣装、メイク、住居の美術も原作のロシアイメージに振れてしまってます
原作の映画化にあたっての、日本の物語への翻案のレベルが揺れてふらついているのが、そこに現れていると思えます
黒澤明監督らしい、焦点を絞りこんだテーマと考え抜かれ研ぎ澄まされたプロットといったものが甘くなっているように感じます
だから当初4時間超もの長さにもなってしまい、短縮事件にまで発展した淵源はそこにあるのではないでしょうか?
助監督には若き野村芳太郎が松竹からついています
黒澤監督から有能さを誉められ重用されたとのことです
野村監督の特に松本清張原作の張り込みなどには黒澤作品の風合いが乗り移っていますから、本作を含む黒澤監督が3年間他社で映画を撮ったことは、日本映画界に化学反応を起こした大変に有意義なことであったのだと思います
登場人物の気持ちに同情出来ない
主人公が誰にでも良い顔をするから、どっちなの?とイライラ。お金持ちの彼女のわがままで反抗期のような態度にもイライラ。最後のシーンで監督の言いたかった事は分かった。黒澤映画でこんなに難しかったのは初めて。
戦犯として死刑判決を受け、人違いだとわかったもの、てんかん性痴呆...
戦犯として死刑判決を受け、人違いだとわかったもの、てんかん性痴呆と診断される青年亀田(森)。囲われ者である那須妙子(原)を奪い合うかのような展開の第一部。そこまで魅力ある女なのか?!と疑問に思えど、妾という立場ながら気高い女性。ここでは大野綾子(久我美子)が振られたような扱い。
第二部に入り、妙子が「結婚しちゃいなさい」と綾子に手紙を送る。結局は2人の女性の心を掴んでしまった亀田。純粋無垢であるために悩みも人一倍。そこへ妙子を諦めきれない赤間(三船)が割り込んでくる展開。
なんともおぞましいラストの赤間宅。選びきれなかったため綾子との縁談も破棄。そして赤間が妙子をナイフで殺してしまう・・・とは言え、殺人シーンなぞはなく、台詞によって観客に想像させる手法だ。ここではやくざ者の赤間も白痴になったとしか思えない。一人占めするには亀田を誘ったことが腑に落ちないからだ・・・ロウソクの光で語り明かす赤間と亀田。森雅之がキリストのように見える瞬間でもあった。
黒澤明監督・・
図書館で借りたDVD。原作がロシア文学で、ドストエフスキーの「白痴」ということで正直難解。ただ出演していた原節子が綺麗だった。4時間を超えるフィルムを短くカットして映画の作品にしたとのこと。日本を代表する黒澤明監督の1951年の作品。
よくわからない人たちの恋愛
頭のネジが飛んでいる人々の愛憎劇。
感情の極致を表現するには、
常識で己を律せる人物では足りないということ?
そもそも彼は善き人か?
これだけ人を不幸にする人を善いといっていいものか。
その辺のメインテーマは小難しいので置いておくとしても、
1950年代の冬の札幌の風景とか、
現代では考えられない不思議な会話のやり取りとか、
映画として興味深い部分は多い。
これは…
正直言って見るのが苦痛なレベルでした…まさかかな有名な黒澤明監督作品でこんな経験をするとは。本当に正直に言って見るのを4回ぐらい中断しました。長いしつまらない上に何が言いたいのかわからない。黒澤明本人も「本当に良い映画はわかりやすくて面白い」という旨の発言をしていたはずなのですが…。氏がドストエフスキーに出会ったのは中学生の頃だったそうですが、ドストエフスキー好きが高じて作品の出来に目が曇ってしまったのかと疑いたくなるレベル。
黒澤作品の中では一般的な評価も高くないというのを見た後に知って正直ほっとしました。
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