「ホウ・シャオシェンがスタイルを確立した傑作自伝映画」童年往事 時の流れ nontaさんの映画レビュー(感想・評価)
ホウ・シャオシェンがスタイルを確立した傑作自伝映画
ホウ・シャオシェン(侯孝賢)が、日本に紹介されたのは、昭和の終わりの時期だった。本作の後、平成元年公開の「非情城市」で彼の名声は世界的に決定的なものとなった。
当時の僕は大学生から就職へという過渡期で、世の中はミニシアターブームに沸いていた。
ホウ・シャオシェン(侯孝賢)と並び、台湾のエドワード・ヤン、中国のチェン・カイコーやチャン・イーモウ、香港のウォン・カーウァイ……。アジアの新しい波(ニューウェーブ)が次々と紹介され、映画館は熱気に包まれていた。
正直に告白すると、当時の僕はこれらの作品にあまりピンときていなかったのが悔しいところだ。
しかし、還暦を迎えた今、改めてこれらの映画に向き合うと、不思議な感覚に襲われる。かつてはよくわからなかった静かな映画から、自分自身とつながる強烈な何かを感じるようになった。
今日は、台湾ニューシネマの金字塔であり、ホウ・シャオシェン監督の自伝的傑作でもある本作について考察を書き残しておきたい。
本作は、1947年に中国・広東省で生まれ、生後1歳で台湾へ渡ったホウ監督自身の少年時代を描いた、ほぼ実話の物語である。
彼の初期の「自伝的三部作」の他の2作品『トントンの夏休み』と『恋恋風塵』が脚本家の体験に基づいているのに対し、本作は監督自身の語りを、脚本家が描き直して制作した、正真正銘の自伝映画だ。
映画の中の主人公アハ(=監督)は優等生ではない。父と母、祖母を相次いで亡くし、4人の兄弟だけで暮らすに至る。ぼんやりした少年から、彼は弟と家族を守る一家の中心的な存在、不良仲間から頼りにされる腕っぷしの強い青年に成長していく。
頼りになる姉が嫁ぎ、男兄弟だけの暮らしになり、一体大丈夫かなあ…と思っていると、ラストで、恋心を抱く近所の女子からの「大学に合格したらね(付き合ってあげる)」という一言で彼は勉強に発奮し始める。結局大学には受からなかったが、その女神の一言が、彼を道に迷うことから救った。これも実話だそうだ。
世界的名監督となるホウ・シャウシェンは、大学受験に失敗し、兵役につき、セールスマンを経て映画界に入ったという叩き上げの経歴を持つ人なのだ。
ホウ・シャオシェンの映画スタイルといえば、遠くに引いた視点からの「長回し」だ。登場人物の感情を強調するアップは使わず、役者の演技も抑制されている。これにも理由がある。
キャリアの初期、商業映画(アイドル映画や歌謡映画)で成功した彼が、自伝的作品へ舵を切るきっかけを作ったのは、本作でもタッグを組む脚本家の朱天文(チュー・ティエンウェン)だ。彼女は、中国共産党政権下で弾圧され、忘れらた作家だった沈従文の自伝を監督に手渡したという。
「感情的にならず、出来事を遠くから淡々と見つめる」というスタイルを、この「沈従文自伝」から学んで「これこそ僕のスタイルだ」と開眼した。
強い感情を観客に押し付けず、人間の営みをまるで川の流れを見るかのように映す。歴史の長い時間軸の中で、静かに流れる水を眺めるようなスタイルに、彼は30代で辿り着いた。
だから観客は、まるで幽霊か透明な存在になったかのように、登場人物たちを眺め、人々の営みと同時に、当時の台湾の空気を体験することができる。
この映画を理解するには、少しだけ歴史の知識が必要だ。
戦後の台湾には二種類の人がいた。日本統治下(1895-1945)で育ち、日本語を解する「内省人」。そして、戦後の内戦で大陸から渡ってきた「外省人」。ホウ監督の一家は後者だ。外省人は戦後台湾の支配階層でもある。台湾ニューシネマの牽引者ホウ・シャオシェンもエドワード・ヤンも外省人だ。彼らの映画に「私はどこから来て、どこへ行くのか」という実存的な問いが強く描かれるのは、ある意味、エリート階層であるから、恵まれた人の悩みもでもある自己実現的な問いに、早く向きあえたということもあるのかもしれない。
本作の物語でも、そのルーツへの思いが、いくつかの印象的なエピソードで描かれる。彼らの家の家具は藤製だった。これは父の死後、すぐに大陸に戻るのだから、すぐに処分できる家具でいいと買ったものだということが明らかになる。
認知症を患った祖母が、大陸へ帰るための橋を探して、孫のアハ(監督)を連れて何度も彷徨う場面から、ルーツから切り離された人の悲しみが伝わる。
父にとっても祖母にとっても台湾はあくまで「仮住まい」。しかし現実は、彼らはその地で人生を終えることになった。監督は、それを身近で感じていた。
この映画以前1970年代、台湾では郷土文学運動というのが起きたのだそうだ。台湾人である自分たちの現実を描き、「自分たちは何者なのか?」「どこから来て、どこへ行くのか?」という問いに向き合う運動ということだろう。台湾映画界でのニューシネマの隆盛は、この流れを映画で引き継いだものでもある。
そして、この時代は台湾における「近代的自我(個)」の目覚めの時代でもあったように思える。
主体性や近代的な自我というのは、自分で自分自身を眺める視点から生まれるものだ。自分の思考や感情を客観的に見ることから初めて「主体的に生きる」という構えも強化される。これは多くの自己啓発書などのエッセンスでもある。
人は否応なく、社会や歴史という大きな川の流れに影響を受けて形作られる「一粒の水滴」のようなものだ。
しかし、自分がその一粒であることを認識して初めて、「では、どうやって生きていこうか」という問いに向き合うことができる。
最近、中国で一世代後のジャ・ジャンクー監督の作品を観て衝撃を受けたが、彼らアジアの監督たちが描く「個と歴史」の探求は、今の僕に響く。
若い頃には分からなかったが、残りの人生をどう生きていくかという問いに対し、この映画は静かに、しかし大きなヒントを与えてくれている気がするのだ。
