トリコロール 白の愛のレビュー・感想・評価
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フランスはパリ。 ポーランド人のカロル(ヤヌーシュ・ガヨス)は、フ...
フランスはパリ。
ポーランド人のカロル(ヤヌーシュ・ガヨス)は、フランス語は片言しか話せない。
それがゆえかストレスが昂じて、性的不能となり、フランス人の妻ドミニク(ジュリー・デルピー)とは離婚の危機。
というか、裁判で離婚が命じられる。
行き場をなくしたカロルはドミニクに復縁を迫るが、ヒステリー気味の彼女は、こともあろうかふたりが経営している美容室の室内に火を放ち、放火の罪をカロルに着せてしまう。
とうとう行き場をなくしたカロルは、ひょんなことから地下鉄通路で同郷のポーランド人ミコワイ(ズビグニエウ・ザマホフスキ)と出逢い、奇天烈な方法で故郷のポーランドに帰り着き、そこで立派な金満家として成功を収めるが・・・
といった内容で、三部作中唯一のコメディで主役が男性。
カロルがポーランドへ辿り着くまでは好調なんだけれど、彼が成功を収める経緯がぬるく、これだったら元々、成功しているんでないかしらん?などと思ってしまう。
棄てたドミニクへの愛憎ないまぜの復讐劇がはじまり、その復讐の根底には愛があったんだよぉ、というお笑いなんだけれど、キエシロフスキーはどうもコメディ演出は上手くないようで。
本作でも、ガラス瓶の分別箱に瓶を捨てるよぼよぼの老婆が登場しており、『青の愛』の主要人物がちらりと顔をみせます。
むしろ黒い?
天使のような美しいフランス女性と結婚した、ポーランド人のカロル。しかし、性的不能を理由に、妻から離婚を申し立てられる。カロルは妻に未練たらたらだが、妻には冷たくあしらわれ、文無しでポーランドへ帰国。フランスからポーランドへ帰る道のりは、めっちゃ過酷であった。
ポーランドでは、最初兄の家に居候していたが、そのうち成功し、あれよあれよと社長様になった。しっかり財産を築いた後、再婚するでもなく、元妻に復讐(?)を計画する。カロルの計画のため、ポーランドへやって来た元妻ドミニクは、彼の策略通りり、罠にはまってしまう。
ラストでカロルとドミニクが離れた場所から見つめ合い、身振り手振りで語り合いながら涙を流す場面は、本来なら感動的なのだろうが、私は怖かった。カロルの執着が粘着的で、ドミニクの気持ちはそっちのけに思えた。あまり描かれなかったが、ドミニクはカロルを愛していたのか否か。導入部ではこれでもかと冷たくしていたのに、肉体的につながったら態度急変。自分より下に見ていた男が、強く変貌し、性的にも復活したので、つい流されたか負けたんじゃないだろうか。どうも、この男女にはパワーゲームのごとき関係性が見え、それはフランスとポーランドの両国間の格差をダブらせている気がする。カロルはドミニクを征服できたのだろうか。そして、こんな結果に満足できたのだろうか。白い愛とかタイトル付いてて、清らかなイメージだったが、むしろ黒いんじゃね?
BS松竹東急の放送を録画で鑑賞。
【性的不能のために妻に去られた男が求めた”平等な関係性”。シニカルで、エロティックでそこはかとなく可笑しい作品。コミカル要素を絡めながら、平等な夫婦愛の再構築を求めた男の姿が印象的な作品でもある】
ー ポーランド人のカロルは、性的不能が原因でフランス人の妻・ドミニク(ジュリー・デルビー:エロティックな美しさは健在である。)から離婚を求められる。 妻に捨てられた彼は一文無しになっていた時に知り合った同郷のミコワイの手引きで故郷に戻ると努力を重ね、大金持ちとなる。ー ◆感想 <Caution! 内容に触れています。> ・カロルが性の不一致を理由に、ドミニクに離婚調停を起こされるシーン。 - 彼は、同じ美容師だった妻を深く愛しているのに・・。ドミニクの冷たい態度が、彼女がカロルを支配している事を示している。- ・偶然知り合った謎の男、同郷のミコワイ。”殺されたい男がいる”と、ミコワイが紹介した男。そして、カロルがその男の心臓に向けて撃った空砲。 - ミコワイはその瞬間から、人が変わったように明るくなる。カロルのどん底にいた自分を救ってくれたミコワイへの感謝を示すシーンである。- ・カロルはミコワイによりポーランドに何とか帰国し、理容店を営む兄の家に同居し、両替屋で働くことに・・。そして、彼は両替屋を出し抜き、ミコワイの助力により大金持ちに。 そして、彼は妻ドミニクを故郷に呼ぶため、あることを画策する。 <ラストシーンは、一見カロルのドミニクに対する復讐の様に見えるが、鉄格子沿いにドミニクが涙を流しながら、手話でカロルに伝えた事。 それを見て、滂沱の如く涙を流すカロルの姿。 夫婦の平等な関係性と愛の構築には、夜の営みと性の喜びは大切なんだねえ・・。 コミカル要素を絡めながら、平等な夫婦愛の再構築を求めたカロルの姿が印象的な作品である。> ■当時の、フランスと、ポーランドの関係性を、カロルとドミニクの関係性に反映している作品でもある。
EUへの憧れ
カロルは、旧共産圏である貧しいポーランドの象徴として、自由平等博愛のフランスの象徴であるドミニクを強烈に欲していることを表しているようでした。このフランスへの愛憎入り混じった複雑な感情は、キェシロフスキの感情そのものだと思います。ポーランドは2004年にEUに加盟してますが、『トリコロール三部作』を製作した1993年当時はどういった状況だったのでしょう。フランスを始めとした先進諸国に拒否されていたのでしょうか。非常に興味があります。
法の下の平等
トリコロール3部作には「法」という共通のテーマがあることは明らかだ。
とりわけこの「白」において「法」の問題に焦点が絞られている。
法の下の平等という言葉があるくらいだから、平等を象徴する「白」において法制度への言及が多いのは当然のことだろう。
しかし、この映画の中ではこの「法の下の平等」がどれほど絵に描いた餅に過ぎないか、または実現することが難しい理想なのかについて語られる。
パリの裁判所で、主人公カロルが声高に訴える。
「フランス語を話せないものの権利は認められないのか。」
共和国の掲げる平等とは、フランス語を話せるもの、つまりフランス人にしか適用されない理想なのかという、外国人の切なる異議申し立てである。
転じて、ワルシャワで逮捕されたカロルの妻も、大使館員が来たにもかかわらず、無実の罪で収監されてしまう。
この(元)夫婦が互いの法的な立場を失ってから心を通わせて、再生を誓うところが、キェシロフスキ監督のアイロニーだ。
「赤」においては、法を司る者がその仕事を通じて法制度の不完全さと人間の真実の姿の前に隠遁している姿を描いている。ここでは法が人を幸せにしているのではないことを、この隠者と若く純真な女性との交流によって明らかにしている。
「青」の主人公ジュリーは、裁判を傍聴しようとするが、警備員に法廷から出ていくように促される。法曹界での活躍が期待される若く美しい女性は、亡き夫の子供を身籠っていて、ジュリーはその母子に広大な屋敷と生活費を提供する。法制度へのアクセスすら断って、彼女は自らのわだかまりから自由になる。
そこまでやるか……
ドミニクもカルロも過激すぎるように思えるのですが、愛が憎しみに変わるって、そういうものなのかなあ。 3部作の中で「白」は「平等」ということだそうですが、ここで描いている平等とは「俺が味わった苦しみをお前も味わえ」ということなのか、それとも「俺をお前と同じ人間として認めろ」ということなのか、はたまた両方なのか。
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