突撃のレビュー・感想・評価
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命を軽視する戦場の異常さ。その表現の多彩さ。
◯作品全体
戦争を振り返った時に目にする何千、何万という死者の数は確かに衝撃を受けるが、マクロな目線で戦争や戦局を読み解く際には、その一人一人に人生があることを忘れがちだ。戦争映画も中枢部を中心とした物語だと同じような感想を抱く。戦場とは遠い場所を舞台にして駆け引きが行われる間、死にゆく兵士や積算上の戦死者にクローズアップされることはほとんどない。ただ、一方で一人の兵士を中心に作品を作ろうとすると、戦争の大局はほとんど描かれない。首脳陣の苦しみや誤った采配にカメラが向けられることはあれど、それは主人公である一兵士の苦境を表現するために使われるのがほとんどだ。
本作は大局を意識しすぎた首脳陣と、死を目前にした一兵士、その双方を映すことで「死の軽視」という戦争の異常さを立体的に映し出していた。
首脳陣側を描くシーンはミロー大将による強硬策が中心となり、その作戦の非情さが目に付く。ただ、一方で膠着状態の戦線を打開したいミロー大将の心情もわかる。50%の兵士を引き換えにしてでも、戦局の要所となる高地を取らなければ戦いが長引くだけかもしれない。本作ではミロー大将が批判的に描かれており、作戦も失敗してしまったわけだが、成功していれば我が国の203高地と乃木希典将軍のように一定の評価を得る可能性もあった。見栄のために敵前逃亡で軍法会議にかけるのは命の軽視以外のなにものでもないが、士気のため10数名の命を奪うと考えている「命の軽視」という異常さは、ミロー大将の性格だけでなく、戦争がそうさせたようにも感じた。
ミロー大将から指示されたダックス大佐は、戦争と軍隊によって歪な行動をしている。命軽視な作戦であることを苦々しく思いながら、それを承知で笛を吹き、兵士を前へ前へと押しやる。軍隊の規律としては当然の行動なのかもしれないが、兵士を死へ追いやる行為が「当然の行動」と考えてしまうのは、戦争による異常だと思う。上官からの命令といえどダックス大佐が各部隊へ生贄を指示しておきながら減刑に奔走する姿は、仕方がない役回りかもしれないが、冷静に考えるとやはり異常だ。
何度も戦闘に参加しながらも銃殺刑となると死に恐怖して泣き叫ぶ兵士は、一兵卒に死が降り注ぐ異常さを端的に表現していたと思う。短いシーンながら突撃前夜の兵士2人が死に方について話す場面がある。寝る前の雑談のように「マシンガンで死んだほうが痛くないから良い」などと理想の殺され方について話す。この場面は「俺にわかるのは誰も死にたくないってことさ」というセリフで終わるが、死にたくないのにもかかわらず、戦地へ赴くのは、冷静に考えれば異常だ。しかし異常ではあるが、冷静でもあるように見える。ではなぜ戦地では平静を保てて、処刑場では保てないのか。死という同じ結末でありながら、無謀な突撃を可能としてしまう戦場のアドレナリンがそうさせているのか。異常を生み出すアドレナリンが銃殺刑を前にして神にすがる兵士の姿から間接的に伝わってきて、恐ろしさを感じた。
ラストシーンでは戦争の異常さをコントラストでさらけ出す。敵国の少女の歌声と、それに併せて歌う兵士たち。敵国だから貶める、戦争だから戦う。人として生きる以上、そんな単純な構図ではないことを教えてくれている気がする。
ダックス大佐の兵士たちへの温情で作品の幕は閉じるが、単純に暖かいラストシーンとして感じられなかった。兵士たちは再び戦場という異常な世界へ帰っていくだろうし、ダックス大佐も戦場へ行くことを指示するのだろう。当然のように戦場へ帰っていく「ラストシーンのその後」が見えてしまって、暖かさの反動でより、戦場という「異常」に恐怖を感じるラストだった。
◯カメラワークとか
・『現金に体を張れ』にはキューブリック感あるカメラワークを感じなかったけど、本作は結構あった。軍法会議のシーンで、起立した兵士に極端にカメラを寄せているけれど画面中央ではなく端に映す。兵士の背中にある奥行きを広く映した画面。『フルメタル・ジャケット』とかで見たことある構図だ。眼の前に居る人物に圧力を感じている被写体と、無駄に広い奥行きからなんとなく不安を感じる。
・一点透視っぽい画面もあった。処刑場の3つの磔を画面に収めたカット。
・個人的に印象に残ったのは銃殺するカットのカメラ位置。客観視したカットでなく、銃撃する兵士たちの間にカメラが入り込んだような構図。我々を処刑の観客席ではなく、加害者にさせることで銃殺をよりショッキングにさせる。
他にも処刑のシーンは構図にこだわったカットが多かった。
◯その他
・そもそもの発端であるブルラール大将とか部下を手榴弾で殺した中尉とかがなにも懲罰を受けなかったり、ダックス大佐の努力が報われず銃殺されたりと、なんとも虚しい物語なのが、逆に戦争の劣悪さを語ってる気がして力強い作品だと思う。
タイトルだけ見るとシンプルな戦場の攻防みたいなのを思い浮かべてしまうけど、いい意味で予想を裏切る作品だった。
義憤に燃えて
キューブリック先生、無名時代の作品ですがなかなか堅実で主題も明確な秀作です。
外野の日本人としても義憤に燃えるようなやや過剰な演出ですが、各人の個性もクッキリ浮き彫りになって感情移入し易い作品です。
【愚かしき将の部下に下される非情且つ無慈悲な軍令。反戦映画の逸品。ラスト、囚われた独逸娘が歌わされる中、仏蘭西兵が涙を流しながら共に歌うシーンは白眉である。】
■第一次世界大戦下の西部戦線。
弁護士としても名を知られているフランス軍の連隊長・ダックス大佐(カーク・ダグラス)は、自殺行為に等しい無謀な指令を上官のミロウ将軍から受ける。
ミロウ将軍は、更にあろうことか前進できない味方軍に対しての砲撃を命じるも、作戦は失敗し、その責任が無実の兵士3人に押しつけられた。
ダックスは激怒し、軍法会議で兵士たちの弁護に立つ。
◆感想
・愚かしき将の部下の戦争中の悲惨な姿を描いた作品。
・何の罪もなく、必死に戦った3名の兵士は”くじ引き”で選ばれ、敵前逃亡と言う理由で銃殺を命じられてしまう。
・それに抗うダックス大佐が軍法会議で部下たちの戦いぶりを説明するも、自身の保身を考える愚かしき将たちは、一兵士たちを処刑する事で軍の規律を保とうとするのである。
<ラスト、囚われた独逸娘が歌わされる中、仏蘭西兵が涙を流しながら共に歌うシーンは白眉である。今作は、スタンリー・キューブリック監督、カーク・ダグラス主演による反戦映画の逸品である。>
軍隊を俯瞰的に見る
第一次世界大戦の西部戦線、フランスVSドイツの塹壕戦が舞台。一たび、塹壕を出れば機関銃の掃射に会い、膠着状態が続いた戦場。蟻塚と呼ばれる丘を抑えるための無謀な作戦。将軍の指令は非情で、作戦に反対する大佐。突撃しなかった兵士がいたのと見た将軍は、その兵士に向けて砲撃を命令。突撃した味方は鉄条網を突破することもできずに退却。それを重くみた将軍が、大佐の指揮を非難し、3人の兵士を見せしめのため軍法会議にかけて処刑を主張。大佐は、将軍が味方を砲撃したことを密告し、将軍も地位を失うことに。
軍の上層部は兵士の士気が下がり、自分が地位を失ったり、名声に傷ついたりすることばかりを気にしている。それに比較して、最前線の命が軽いこと軽いこと。銃殺する3人の兵士は、くじ引き、上官が誤って兵士を殺した口封じ、社会的に好ましくないからで選ばれている。上官が誤ってなどは、まさに不条理だ。上層部は、頻繁に酒を飲み、舞踏会で女性と踊り、危険な戦場には身を置かない。兵士たちは、敵と戦うことと同時に、味方の上官と戦っているかのよう。最後、美しいドイツの若い女が涙ながらに歌った歌を聞いた兵士たちが一緒に口ずさみながら涙を流すシーンが、一時、人の心を取り戻したかのようで印象的だった。
この当時として、反戦映画を撮影したというのは、画期的だったに違いない。ただ、何故、フランスVSドイツなのか。キューブリックは、その時代、シチュエーションが人間をどのように変容させるかを描くのが得意だ。俯瞰的な目で、将軍、大佐、軍法会議、死を恐れる兵士、無駄死にしていく多くの兵士を対照的に描いて、問題を浮き彫りにしていた。キューブリック好きであれば、見ておいて損はない映画。
ヒューマニテイを主題にしたキューブリック監督には珍しい作品
キューブリック監督は人間を描くのはあまり興味が無い
それよりも物語の展開自体と映像表現を中心に据える作品が多い
だが本作は違うようだ
様々な人間が描かれ、その各々の立場での感情と苦悩が描かれる
それを特に象徴するのはラストシーンだ
捕虜になった美しいドイツ娘の歌に、荒くれて騒がしかった兵隊達が次第に静まり、その歌声と歌詞に釣り込まれて、声を合わせて泣き顔で歌いだす
人間性を捨て去って命令と軍律の中で心を失っていた兵隊達が、普通の人間に戻った瞬間をたっぷりと見せる
そして部隊に前線に戻れとの命令が来た事を伝える部下に、兵隊達に号令をかけるのはもう少し待ってやれと命じるシーンは、他のキューブリック作品には無いヒューマンさが溢れる暖かい眼差しだ
もちろんキューブリックらしい、陰影の強い映像と美しい構図の取り方ははっきりと確立されているのがわかる
夜の斥候シーンは陰影の付け方が見事だ
総攻撃での突撃シーンは報道写真がそのまま動いているかのようで、陰影の強調をつけた上に、望遠レンズの効果で恐ろしい程に迫力とリアリティーのある映像で、現代の戦争映画にも勝る
そして後半の軍法会議のシーン、牧師に懺悔するシーン、銃殺シーンは特筆もの
どれも、窓から射し込む自然光の効果、絵画のように見事な構図と視点、高角レンズの多用がもたらす画面の広がりと奥行き
どれも素晴らしく感嘆するばかりだ
カーク・ダグラスは戦場の現場部隊の指揮官としての任務への責任と部下の生命を預かる責任との狭間に陥った苦悩を見事に演じており、キューブリックの映像に負けることなく、監督の強烈な映像の中で映えて本作のテーマを見事に主張している
彼は本作でキューブリック監督の非凡な才能と確かな腕を知り、スパルタカスの監督にキューブリックを指名することになる
本作はそれも当然だと納得できる傑作だ
付記
冒頭の将軍が塹壕陣地を視察するシーン
見覚えがあると思ったら、グラディエーターでの冒頭で同じく将軍がローマ軍陣地を歩くシーンと瓜二つだ
もちろんリドリー・スコット監督が本作をオマージュしたものだろう
これは新発見だった
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