「【多様性と変化を考える】」都市とモードのビデオノート ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【多様性と変化を考える】
ヴィム・ヴェンダースが、この作品は断ろうと思っていたと回想して話すところから、この作品は始まる。
しかし、撮影が進むにつれて、ヨウジヤマモトとヴィム・ヴェンダースほどしっくりくる関係は、あまりないだろうと思うな内容になっていく。
実は、今回のヴィム・ヴェンダースのレトロスペクティヴで、もう少し多くの人に観てもらいたいなと思ったのは、この「都市とモードのビデオノート」だった。
あまり観る機会はないだろうなと考えたこともそうだが、当時のヨウジヤマモトの考え方が、現代社会によりマッチしていたんだと改めて気づいたこと、更に、ヴィム・ヴェンダースも、この撮影を通じて考え方を改める場面があったり、それも、僕たちには大切なことだと思ったからだ。
この作品は、「未来を信用していない」と語っていたヨウジヤマモトが、過去から未来の、つまり、現代の僕たちに発したメッセージのように思える。
映画の場面と、この作品で使われたビデオカメラのディスプレーに映る場面は似ていて、一瞬、映画をビデオカメラで録画している場面も収めながら、映画全体として撮影しているのではないかと勘違いしてしまうのだが、実は、既に録画した映像と、似た場面の撮影を同時に見せていることが気が付く。
冒頭から、こうした場面が何回かあるのだが、終盤でヨウジヤマモトが話す「未来を信用していない」という言葉が、実は、ヨウジヤマモトがそこに居ながらにして、ずっと先の未来を生きていると表現しようとしたのではないかと思わせる。
少し話は逸れるが、ヴィム・ヴェンダースは、タルコフスキーも敬愛している。
そして、高速から公道に場面が変わる際、映し出されるのは、新一の橋の交差点の向こうの坂で、そこには、タルコフスキーが「惑星ソラリス」で撮った秀和のマンションがある。今でも、このマンションはある。そんなところもこの作品は楽しい。
戦争で父親を亡くし、女性向けの仕立て屋を営む母親の女手ひとつでヨウジヤマモトは育てられた。
当時は、反発心から女性の服が大嫌いだったと話すが、ヨウジヤマモトは、慶応大学を卒業後、服飾学校で服飾をさらに学び、パリなどを経て、日本を代表するデザイナーとなる。
だが、ヨウジヤマモトは、「日本を代表する」という枕詞にものすごく違和感を感じていて、自分自身を形作ったのは、東京という大都市に生まれ、日本人であることを意識しないで育ったことが要因だと思っている。
更に、こうした多様性の中で生きているだけではなく、自身が大切にしているジプシーの写真集を眺めて、この人たちが身に着けている、こんな洋服を作りたいと言う。
洋服は消費されるものじゃないんじゃないか。
現代の僕たちには耳の痛い話だ。
もう一つ、ヨウジヤマモトは、シームレスのストッキングでハイヒールを履く女性は、自分より年下であっても、大人のようで近寄りがたいと話す。
確かに、ヨウジヤマモトの洋服を纏った女性がハイヒールを履いているというイメージはない。
彼は、女性を窮屈なところから解放したかったのかもしれない。
もし生まれ変わったら、ヒモになって女性の身の回りのお世話をしたいと話す場面で、ヒモを、英語のストリングと表現したところで、なんだかんだで、ヨウジヤマモトも日本人だと思ってしまう。
ヨウジヤマモトの話す英語は、わかりやすい。
ネイティブじゃないからこそ、話す内容の骨子をまとめ、要点をずらさないように話しているような気がする。学歴からもだが、頭も良いんだなと改めて思ったりした。
ヨウジヤマモトは、1989年のこの作品を通じて、生まれた場所が、その時に属するコミュニティがアイデンティティを決めるのではなくて、どう考えたのか、どう過ごしたのか、行動したのかが重要なのだと言っているような気がする。
そして、ヴィム・ヴェンダース自身も、途中で、映画と機材のかかわり方について、ビデオの良さを再考し、今後の映画撮影の変化にも言及する。
「さすらい」でも示されるように、変化の重要性が示されるのだ。
#KuTooのムーブメントにかかわった人、気になった人、女性の社会進出や変な縛りからの解放の重要性を考える人、多様性が重要だと信じる人は、是非、ご覧になってはいかがかと思う。それも、この作品をもっと観てほしいと考えた理由の一つだ。