東京画のレビュー・感想・評価
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橋渡しをしてくれる作品
小津監督の時代の東京と現在の東京の間にある断裂を繋いでくれる橋のような作品だと感じた。
パチンコや打ちっぱなしの練習場、公園に集う人達。何か空虚さを感じさせると同時に、他人に思えない彼ら。『秋刀魚の味』の長男がこれだけ増えましたと言われている気がする。
その対極にあるのが、小津監督の作品に出てきたという腕白坊主であり、再び東京で撮影されたパーフェクトデイズの主人公なのだろう。
冒頭に有ったアイデンティティの喪失という言葉がとても腑に落ちる表現で、強く印象に残った。
1983年東京
今とは違う東京の映像。新宿、上野、原宿。最先端のフリしてアメリカのマネをしているアジア、日本人のダサいことダサいこと。ヴィムヴェンダース監督も小津安二郎の「東京物語」のカケラも見出せずに失望して街をうろつく。1983年。自分は小学5年生で、初めて1人で映画館に行った。新宿でプロジェクトAとベストキッド。池袋で幻魔大戦を見に行った年だ。
哀愁漂う一作
小津安二郎の描いた東京に憧れて
日本に来たヴィム・ベンダースだが、
もうそんな東京は残っていなかったという話。
なので全編通して哀愁が漂う。
でもさ、そりゃ何十年も経てば
社会も変わるだろうよ。
食品サンプル工場とかパチンコ店とか
監督自身も興味しんしんな感じが伝わってきて
おもしろかった。
ベンダース監督の嗜好と、笠智衆の証言に触れることができる、貴重な一作。
『ベルリン・天使の詩』(1987)、『パリ・テキサス』(1984)など多くの作品を手がけたヴィム・ベンダース監督が、1980年代前半の日本の風景を捉えた作品。彼が私淑する小津安二郎監督の足跡を辿るのが本作制作の本来の目的だったため、当初は様々な東京の場面を切り取り、そこに小津作品の痕跡を探していきます。ところがそんな彼の心を奪ったのは、豊かな四季や穏やかな人の営み、などではなく、意外にもパチンコやゴルフでした。
人々が表情も崩さず淡々と同じように台に腰掛けて、玉の行方を凝視し続ける様子、大量のパチンコ玉が穴に吸い込まれていく様子を、彼はひたすら撮影し続けます。劇中の彼自身の独白によると、同じパチンコ店に一日中居続けることもしばしばで、取材で地方に行った後でも、閉店後のパチンコ店を訪れて、釘師が一つひとつの釘を調整しているところを写し撮ったりしています。人々が同じような所作をまるで自らに課した修行のように繰り返す様子に、小津作品の要素を見出した、という側面ももちろんあるのでしょうが、ここまで執拗にパチンコやゴルフの打ちっぱなしに執着しているところを見ると、大量の玉が流れていったり飛んでいったりする様子そのものに強い関心を持っているとしか思えなくなってきます。ベンダースの意外な嗜好が見える場面でした。
彼が撮影した笠智衆のインタビューは非常に貴重で、小津作品によって俳優として完成したと言っても過言ではない笠智衆が、自らの言葉で小津監督との関係を語っていく場面は一言ひとことが味わい深く、興味深いです。小津監督は完璧主義者で、撮影現場の状況を全てコントロールしていた、という証言には、思わずやっぱり…。そして30歳代の頃から60歳代の老人を演じていたと言われて、改めて作中に挿入される『東京物語』の笠智衆を見ると、確かに若いですね。初めてこの作品を観たときは随分老人に見えていたんですが。
リスペクト小津安二郎
1983年4月に来日したベンダース監督は、小津安二郎監督の東京を探して街を歩き、好奇心のままパチンコ店などその時の東京をフィルムに残した。また、小津作品に多く出演してる俳優・笠智衆や小津組のカメラマン・厚田雄春にインタビューを行い、小津の東京と83年の東京を映した作品。
まず入りが東京物語で、終わりも東京物語で、凄く小津安二郎をリスペクトしてるんだなというのが伝わった。
その東京物語の中では尾道のシーンが最初と最後に映り、懐かしかった。香川京子が美しかった。
笠智衆や厚田雄春とのインタビューで小津安二郎監督のことを語るのだが、日本語で話しているところにドイツ語が被りそれを日本語字幕が出てくるという面白い体験が出来た。話してることと多少違ってる字幕はドイツ語のナレーションがそうなんだろうか、って思ったけど。
よくわかった
小津安二郎の作品はほとんど見た
何がどう良いのか説明出来ないけど
昭和の暮らしぶりが懐かしいのと
今ではなかなか見られない俳優を
思い出すために見ていた気がする
小津安二郎のことをいくらでも語る男の人いるけど、なんかぜんぜんピンとこなかったんだよね(笑)
なのにヴィムヴェンダースの説明を聞くと
ははーーーん、なるほどと思ったわ
昭和の人間の構造を緻密な設計によって表現されてたんだ
それって外国人にも理解されてたんだな
【それぞれの東京】
一見、小津安二郎を想い、ノスタルジックになっているのだろうかと身構えたりしたが、そうではない気がする。
この映画が撮影されてから、もうすぐ40年になる。
1983年というと、日本はもう少しでバブル経済の絶頂期を迎え、既に経済大国なる称号に浮かれつつあった頃だったと思う。
こんな中、小津安二郎を辿り、東京の今昔を見つめる「東京画」なんていう映画は、当時の日本では注目されなかっただろうし、この頃の映画と言えば、存命だった巨匠・黒澤明への注目度がまだ高かったことや、ヴィム・ヴェンダースの知名度が低かったことも、「東京画」への興味が広がらなかった要因のように思える。
ヴィム・ヴェンダースが日本で注目されるようになった「パリ、テキサス」は、1985年の公開だ。
1982年公開の「ブレードランナー」で、日本のネオン街チックな夜の歓楽街がエキゾチックだとして取り上げられて、日本人は少し自尊心がくすぐられた。
だが、ヴィム・ヴェンダースは、これをあくまでも客観的に捉えているし、竹の子族や、パチンコ、狭いドライビングレンジで黙々とゴルフボールをたたく東京の人々を撮ったのは、少しアイロニックに感じられて、経済が拡大中の日本では、少しうっとおしがられたのかもしれない。
ただ、この作品を改めて通して観て、ヴィム・ヴェンダースは、笠智衆や撮影監督の厚田雄春との対話を通じて、小津安二郎の人物像に触れ、ありのままを東京を見つめてみようと思ったのではないかと思うのだ。
自分の思い描いていた小津安二郎像との乖離。勝手に想像していたのより、様々な要求が、ヌーベルヴァーグの流れとは異なっていたかもしれない。
だが、小津安二郎の作品の価値がそれによって変化するわけではない。
小津安二郎の撮った日本は、実は、どんなだったのだろうか。
でも、それは、小津安二郎の日本であることは間違いない。
高度経済成長前夜の東京は、小津安二郎の東京とは少し異なっているのかもしれない。
でも、それも東京であることに間違いはない。小津安二郎が残そうとした”いつかの”人々の姿であることに間違いないのだ。
子供は、昔の子供そのままのように見える。
変わるもの。変わらないもの。
小津安二郎の好んだ列車の場面。
ヴィム・ヴェンダースの新幹線の場面。
演出の入り込む余地の少ない、この走る列車の場面2つを見せることで、対比とは異なる、どちらもありのままだという、受け入れるということを示したのではないのか。
実は、ヴィム・ヴェンダースの西ドイツも似たような状況だったからこそではないのか。
だから、ロードムービー三部作の最後「さすらい」では、変化を受け入れるさまを見せたのではないのか。
それは、僕たちが抗いながらも、受け入れなくてはならない変化なのではないのか。
現在の世界で広がる多様性を重視する考え方の一方、頭をもたげる分断。
加えて、コロナ禍で僕たちの価値観は揺さぶられている。
その中で、僕たちは、選択というより、変化していかなくてはならないのだ。
撮影監督・厚田雄春の涙する場面を観ると、小津安二郎を長年仕事をしたという誇りと、過去に囚われてしまっているのではないのかという孤独の両面を、僕は感じてしまう。
しかし、小津安二郎は熱田雄春と共に、未だ多くの人が越えようと思っても越えることが難しい映画の手法や演出を作ってきたのだ。
きっと、そんな葛藤の中で、僕たちはやりくりしながら、これからも生きていくのだ。
それは、それで良いような気がする。
とても良い映画
『ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも』にて鑑賞。
1983年、小津安二郎を敬愛するヴェンダース監督が来日した際、当時の"東京"を撮影したドキュメント作品。
監督は、小津や『東京物語』の断片を求めて東京の町をさまよいます。
個人的な思い出として、この作品が撮影された頃、中学時代の友人に会うために、初めて東京へ行ったことがある。正直、あまりよく覚えていないが、人の多さにびっくりした事だけは記憶にある。
東京というか日本はバブル前夜で、今見ると、花見、竹の子族、パチンコ屋なんかで浮かれている人々の映像が、やけに刹那的だ…。この2021年の現在までに色んなことを経験し過ぎたなって…個人的な感慨に耽ってしまう(笑)
さて、作品は、笠智衆や小津組のカメラマン・厚田雄春のインタビュー以降、断然面白くなる。小津安二郎の作品は観たことがなくても、映画に興味があるなら、当時の面白い話が一杯出て来て、「へぇ」となるだろう(笑)
特に、カメラマン・厚田雄春の話を聞いていると、永遠に変わらない"モノ"こそ愛おしいという気持ちにさせてくれる。
枯山水「東京」
ヴェンダースが生涯で唯一私淑したという映画監督、小津安二郎。これは彼の描き出した「東京」を探しに来日したヴェンダースの、巡礼の物語。
カメラが東京タワーの内部を映し出したとき、唐突にヴェルナー・ヘルツォークが出てきたときは思わず笑ってしまった。ヘルツォークは『アギーレ/神の怒り』や『フィツカラルド』といった作品で知られるニュー・ジャーマン・シネマの旗手だ。
自然の峻厳さを最高純度で切り取るために、実際にアマゾンの奥地でロケを敢行したものの、そのあまりの厳しさに数多のスタッフが彼の元を去っていった話はけっこう有名だ。彼はカメラに向かって純粋で澄んだ透明な映像はここにはない、と言い残し、そのままヴェンダースと別れた。
小津が描いたあの透明な「東京」はどこにあるのだろう。
ヘルツォークの断言に対する言い訳を探るようにヴェンダースの巡礼は続く。彼にとって「東京」という画(イメージ)はあまりにも根強すぎたのだ。
小津と同じ50ミリのカメラが80年代(=現代)の東京をなおも映し出し続ける。パチンコ、ゴルフ、ケンタッキーフライドチキン、ディズニーランド、ネオンサイン、代々木公園で踊る若者。とりとめもない虚構たち。
虚構。ヴェンダースはふと定食屋の食品サンプルに目をつける。食品サンプル。食品の模造品。これも虚構。彼は食品サンプルの会社を取材し、一日中職人たちの手つきを映し続ける。こうして模倣は絶えず繰り返され、そこにあったはずの「東京」はモノクロ映画のように遠く霞んでいく。
ヴェンダースは作中で笠智衆と厚田雄春を訪ねる。笠智衆は自分の演技が下手だと言った。小津は彼に幾度となくリテイクを突きつけたという。しかし笠は当時を肯定的に振り返る。小津さんが笠智衆という役者を作り上げたのだと。
厚田雄春は小津のもとで専属的にカメラマンを務め上げた。彼の周りのカメラマンは昇級や昇進を求めて小津組を抜けていったが、彼だけは生涯を通して小津のもとに残り続けた。
撮影の際、小津は厚田にさまざまな要求を出した。しかし厚田や他のカメラマンの要求を、小津はあまり聞き入れなかったらしい。また小津は私用のストップウォッチを肌身離さず持ち歩き、厳格にカットの秒数を測っていたという。
小津の作り出した「東京」とは、ひょっとしたら枯山水のようなものなのではないか、と私は思う。
役者の細かい所作から画面の切り取り方まで、本当に何から何まで緻密に編み上げられた、架空の自然としての「東京」。
その完璧な庭では小津の魂が自由闊達な魚のように泳ぎ回り、現実に能うほどの現実感を画面の中の世界に与えている。
ヴェンダースは電車の中で「今や映画は現実を表す術を持たない」と言った。それは換言すれば、小津は現実を表すことができていたということに他ならない。
しかし往年のスタッフたちへのインタビューを鑑みるに、小津は人々の日常を生のまま切り取るのではなく、画面の中に完璧な虚構を作り出し、そこへ小津安二郎のパーソナリティーを流し込むことによって、逆説的に嘘偽りのない現実を描写していたのではないかと思う。
したがって「東京」は東京という街のどこにも存在しないといえる。しかしそれは小津安二郎という人間の中に、確かにあったのだ。これこそが、ヘルツォークが東京の街に透明なものを何一つ発見できなかった理由であり、ヴェンダースがこの長い巡礼の果てに見出した答えなのではないか。
途中、子供を背負った老婆がヴェンダースのカメラに恥じらいながら手を振るシーンがある。私はこのシーンが強く印象に残っている。この老婆はきっともうこの世にいないんだという思いがふいに去来して、なぜだか胸を締め付けられた。新幹線ひかりが多摩川の橋を駆け抜けていくシーンもいい。河川敷にはさまざまな草木が繁茂した遊歩道が見えた。きっとこの遊歩道も今はもう残ってはいない。
ヴェンダースの映し出す東京には、その場所の、あるいは人々の現実を否が応でも想像させられてしまうような不思議な力がある。
この映画はドキュメンタリーではなく、明確なフィクションであると私は思う。彼もまた、小津安二郎のように、東京の街を徹底的な虚構として描画し、そこにヴェンダースというパーソナリティーを流し込むことで、現実を顕現させているのだ。
手を振る老婆や多摩川河川敷の風景に画面外の終焉を予感してしまったことは、私が『東京物語』を見て笠智衆にどうかお元気で、と願ってしまったこととよく似ている。
まさしく魂は細部にやどる
1985年西ドイツ・アメリカ合作映画。93分。ヴィム・ヴェンダースといえば、「ベルリン 天使の詩」がなんといっても印象的なのですが、本作は彼が敬愛する小津安二郎監督の魂を求めて、80年代の東京での心の旅路を綴ったドキュメンタリーでございます。
この時期の日本の経済成長率は4%台。それなのに、本作に出てくる日本人がまったく幸福に見えないのはやはり数字のトリックがあるということなのでしょう。(GDPと幸福度は必ずしも一致しない。)
そして、本作の「視点」は、小津の作品で描かれていた東京の姿がどこにもないことに気づき、迷い、そして混沌を深めていきます。「この街では、純粋で本質的なものなど存在しない」といった、本作に出てくるドイツ人ビジネスマンの言葉がとても印象的。
東京ディズニーランドが完成し、街にいけば若者がロカビリに明け暮れ、公園では子供が野球をしている。カメラはそれでもさらなる探求をつづけていき、ようやく小津監督の魂に出会います。
それはパチンコ屋の釘師であったり、ゴルフの打ちっ放しにふける人々であったり、レストランで使うディスプレイ用のプラスチック食品をつくる人であったり。小津監督が描いた日本の魂というものが、きちんと形を変えて息づいている。本作に出てくる小津監督の側近だった人々の、彼に対する崇拝ぶりもまたしかり。(そして、わたくしなんかは観ててとても息苦しくなってくるのです。)
小津監督の作品は「東京物語」しか観たことないのですが、それを観て、表面的な印象とは裏腹にえらい怖い作品を作る人だなと思ってしまった自分がいたのですが、本作を観ると、日本人でいることがしんどくなってきました。
いずれにせよ題材の核心に迫っていくヴェンダース監督はやはり凄い人だと思いました。
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