劇場公開日 1975年8月2日

「黒澤明監督自身の半生記でありSOSだった」デルス・ウザーラ あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5黒澤明監督自身の半生記でありSOSだった

2020年2月25日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1975年、黒澤明監督がソ連に招かれて撮った作品

元々はロシア文学好きの黒澤監督が、1951年の白痴を撮った後、ロシアの探検家ウラジーミル・アルセーニエフの探検記を「エゾ探検記」として企画したものです
恐らくは三船敏郎が隊長で志村喬がデルスに相当する形で明治の初め頃の北海道の話しとして翻案する積もりだったのだろうと思います

ソ連の映画関係者の誰かがそれを伝え聞いたのでしょうか、20年以上もたってその企画が、ソ連からの原作通りの物語でシベリア現地ロケで撮るのはどうかとのオファーとなったようです
きっと酒食の場で盛り上がっただけの、その場限りの話でしょう
どう考えても流れる話です
それが実現してしまいます
ソ連側からすれば、あの世界の黒澤監督に自国を舞台に作品を撮ってもらえるのだから具体化すればおいしい話は確かです
この時期黒澤監督は仕事がなくもしかしたらという計算はあったとは思います
それでも普通、黒澤側が断る話だと思います

それが黒澤明監督はオファーを受けるのです
彼は1969年のどですかでんで初めての大失敗を経験していました
金銭的にも困り1971年には自殺未遂事件まで起こしていたのです

本作はその探検家の物語のようで違います
撮られているものは黒澤明監督自身の半生記なのです
偉大な監督というものは、単に原作の物語や物事を撮っているようで、その実、様々な暗喩を込めて監督が本当に表現したい別のテーマなりメッセージを込めているものです
本作もそうです
デルスには黒澤明監督自身が投影されているのです

第1部は黒澤明自身による栄光の日々の回顧なのだとおもいます
シベリアの荒涼した大地にも似た日本の映画界の中で自分はこのデルスのように縦横無尽に活躍してきたと誇っています
瓶を吊した紐に銃弾を命中させるように、撮って来た映画は皆当てて来たとの自負が溢れています
記念写真のシーンは世界の輝かしい数々の映画賞を獲得してきたのだという栄光の日々の記憶です
だからシベリアの大自然の雄大なシーンをメインに据えて、如何に自分はそこで活躍してきたのかを語っているのです

そして第2部は1965年の赤ひげから、自殺未遂に至る彼の現在を描いているのです

虎を撃ったエピソードは赤ひげでの撮影期間の大幅オーバーによる予算超過、興行スケジュールに穴を空けたことの暗喩です

川の筏が流されてしまうシーンとは、カラー時代となり、テレビ時代で映画界はどんどん斜陽化していき自分は筏に取り残され流されるままだ
助けてくれ!との叫びです

目が衰えて、狙った獲物は百発百中だったのに当たらなくなってしまった!とデルスはもう駄目だ、森で生きて行けないと嘆きます
これはどですかでんの失敗を説明しています

ハバロフスクで何もする事もなくぼんやり過ごす日々
これが今の黒澤明監督の境遇なのです

隊長の奥さんが薪を金を出して買ったことで薪屋とトラブルになり警察に連行された話は、トラトラトラの日本側監督を予算超過や撮影手法が受け入れられず更迭されてしまったことの暗喩になっています

そして彼はソ連からのオファーを受けて本作の撮影に入ります
それがデルスが森に帰ると言い出すシーンなのです

黒澤明監督がソ連での撮影に連れて行けた日本側スタッフは僅か5名といいます
それも世界の黒澤がエコノミークラスで渡航したといいます

ラストシーン
それは誇り高い黒澤明監督のSOSだったのです
このままでは映画界での私は死ぬ
もう死んでいるのかもしれないとのSOSなのです

この救難信号を受信した人がいました
それはハリウッドの映画プロデューサー ロジャー・コーマンです
彼はこの暗号じみたSOSをきちんと読み取り、スタッフの反対側を押し切って興行権を得てアメリカで公開するのです
そしてアカデミー外国映画賞となったのです

もちろん映画自体も優れています
撮影機材もフィルムもソ連のもので、スタッフも現地のスタッフです
なのでタルコフスキーのような味の映像に見えなくもありません
入念なリハーサルや、マルチカム手法、パンフォーカスといった黒澤流の撮影は現地ではとても出来るわけもありません
しかしカメラマンに中井朝一の名前があります
特に第2部には結構な長さのワンシーン・ワンカットの映像もあります
これは気心の知れた中井カメラマンの仕事であると思います
ドラマパートはたしかに黒澤映画の味なのです

そして本作を観たハリウッドの黒澤明監督を師と仰ぐジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラといった監督達もそのSOSを受け止めて、彼ら自身がプロデューサーとなって、師匠黒澤明に再度存分に腕を振るって映画を撮ってもらおうという動きに繋がっていくのです

そこまでを含めてのアカデミー賞なのだと思います

本作はこの世界に名を轟かせている映画界の生きる伝説の監督の物語なのです

あき240