デッドマンのレビュー・感想・評価
全13件を表示
河は三途の川なり
キリスト教に於ける死とは天国へ行く事。だが、ここで描かれている場所は、過酷な事ばかりが連続する悲惨な場所。つまり、天国なんかじゃない。
最後にトーテンポールが撮されるが、仏教に於ける偶像崇拝の仏像と同じ。
途中撃たれた子鹿に添い寝する場面があるが、あの段階で主人公は既に死を迎えている。若しくは、最初から死の旅であったかもしれない。
川を『バビロンの川』と最初見ていたが、日本人なら誰でも知っている『三途の川』と確信している。彼はそれを渡り本当の『黄泉の国』へ旅立ったのだ。勿論、人間として生まれ変わるまで。
火の鳥の鳳凰編を思い出した。
この映画はタブーな出来事を含めて、全てが死。『バッファローが100万頭殺された』と言う話から始まる。そして、あっけない死がその後を追う。
撮影は小津安二郎監督の影響が多分に見えてくる。カメラの前で演技してそれを繫ぐ見事に矛盾しないストーリーが動き出す。
二回目の鑑賞。
傑作だと思う。
『捜索者』や『勇気ある追跡』をリスペクトしている。カモネ。
◇アシッド西部劇とロードムービー
タバコ持ってるか? いや、吸わない
>Do you have any tobacco?
> I don't smoke.
西部劇とロードムービー。アメリカ映画のお家芸であり、アメリカ人の映画監督であれば、一度は撮りたい題材です。
走り続ける汽車🚂の旅から始まる物語、列車の揺れは不思議と心地よい微睡みへの導きになります。車窓からの眺めは、郊外の農場の景色から山岳風景、砂漠の風景へと、目が覚める度に変遷していきます。回りの乗客についても、都会的な勤め人から、長閑な農民たち、そして、ライフルを携えた粗野なハンターたちへと入れ替わります。プロローグから既に、旅を題材とすること、微睡と覚醒の境界のような展開の予兆を感じさせます。
アメリカ🇺🇸という国が潜在意識的に孕んでいる先住民インディアンの存在。大地や自然に同化した呪術的でスピリチュアルな世界観は、酩酊している時や意識が混濁としている時に、姿を現して文明化したアメリカ人の意識を揺さぶり混沌とさせます。「ヴァナキュラー(vernacular)」な世界観による再活性化です。
タバコ🚬が飼い慣らされて矮小化されたインディアン土着の呪術的な世界の象徴であるならば、主人公ウィリアム・ブレイクはそんなもの持ってない。彼は全身全霊を注ぎ込むようにアシッド(麻薬)な世界にドップリ没入するのです。そんな死と隣接した泥々の旅の物語に埋没することによって、私たち観る者も自分の中に潜在する原初的な本能の存在に思い当たるような、そんな映像体験でした。
何が変わったのだろう?
自分の中の何かが変わってしまったから
この作品に対する評価が180度変わってしまった感じがある
西部劇のフリした死生観に関わるある種スピリチュアルな放浪するロードムービーな感じ
なんか白黒の映像は好きなんだけど
ただフィルムを白黒を選んだってだけに感じられて
ストレンジャーザンパラダイスやダウンバイローみたいな
映像美が感じられなかったな
それもジャームッシュの盟友ジョンルーリーの告発本(?)で
このインディアンの元を放浪する白人という元のアイデアが
ルーリーの物だったのが明かされたせいもあるかもしれない
で、その後ジャームッシュは連絡を受けないようにしてたとか
なんか映画作るのに色々起こるのはわかるけど
それはないんじゃないかな〜
それ聴いて俺の中でジャームッシュの株は暴落しつつある
そしてその事実を知ってみるとどうも脚本が場当たり的で
イマイチ練り込まれた物に思えないのはそうゆう事かと思ってしまう
久しぶりにそうゆう情報を入れてみたら
なんかニールヤングの音楽と白黒の映像以外
見せ場がない感じがして
これ失敗作だよな
って思っちゃった
特に他の作品がいいから
この作品はちと出来が悪く見えてしまう
今の俺から見るとそんな感じ
思ってたよりいい映画じゃなかったわ
Deadman=アメリカで受け身の生き方をするヤツ。的な。
ジム・ジャームッシュ レトロスペクティブ2021の鑑賞1作目。
休出2日目の夕刻、台風接近で雨が降り始める中、劇場に駆け込んでジョニデです。
いわゆる、「修正主義西部劇」=Revisionist Western にカテゴライズされる映画。推定、1865~1875年あたりの、先住民族殲滅政策時代、アメリカンバイソンを100万頭単位で狩っていた頃を想定していると思われます。マッカーシーの「Blood Meridian」と同時代・同時期に見えます。
公開が1995年。ギルバート・グレイブが1994年公開なので、ジョニー・デップは大ブレイク前夜の主演作。淡々とすかしてる演技は、この頃から変わらないんですね。
どこか現実離れした、白日夢の様なストリーと世界観。人間を見世物にしていた時代の死生観のえぐいこと。CG全盛で、壮大だったり真に迫る現実的世界観の映画があふれる今になってわかる、20世紀末作品の持つMinimalism。足りないんじゃなくて、これで必要十分なんですね。
冒頭のギターと機関車の画で表現する時間経過。音楽はニール・ヤングのギター曲のみ。半ば俗人化した先住民であるNobodyの不可思議さ。そのNobodyに”Deadman"扱いされたウィリアム・ブレイクの受け身の生き方からは、何の緊張感も感じられず、死すら受け容れたカヌーは殺戮のアメリカを離れて虚無の海に向かう。
これは何と言えば良いのやら。
フランスの名匠フィリップ・ド・ブロカの1967年公開作「まぼろしの市街戦」的な非現実的な世界感を思い出してしまう映画でした。これは好き。不思議なくらいに、引き込まてしまいました。キャストにも痺れます。イギー・ポップとか、その気色悪さがイカシてる。と言うかイカレテテカッコいし。
良かった。かなり。
でですよ。思うんですよ。
「ゾンビには手を出して欲しくなかった」と。
イヤー、あれは何だったんでしょうか....
1995年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️✨
『JIM JARMUSCH Retrospective 2021』にて鑑賞(初見)。
見事なラストカットに鳥肌が立ちました!
オススメ!!!(笑)
【旅⑥/旅の終わり】
ジム・ジャームッシュのデビュー作から6番めまでの作品は、全て旅がモチーフだと思う。
出会い/集い、良し悪しではなく、その成り行きを見つめているのだ。
そして、出会い/集い、旅するのは、僕達のことではないのか。
(※ これら6作品のレビューは書き出しが同じです。すみません。)
このジム・ジャームッシュの6番目の作品で、旅のモチーフは終わりになる。
第1作目の「パーマネント・バケーション」が旅の始まりを示唆していたのから考えると、この「デッドマン」は当初から旅の終わりを示すものとして映画製作の構想にあったのだろうか。
そして、この作品は、ある意味、この第1作めと同じで、示唆的だ。
そして、ユニークなのが、旅の始まりが、現代のニューヨークからで、終わりは開拓時代のアメリカと、時代を遡ったかのような感じになっていることだ。
出会いや逃避行の旅については、他の作品にも描かれたことだが、異なるところが、主人公のビル・ブレイクが会計士という職を得ていて、アウトサイダーなどではなく、生きる目的もはっきりしていることだ。
また、出会うインディアンのノーボディも、イギリスを経てアメリカに舞い戻り、アメリカこそが自身の生きる地であるというアイデンティティを持っている。
もう一つ、重要なポイントは、ビル・ブレイクが賞金首として、賞金稼ぎなど追っ手から追われながら、相手を銃で殺して逃れ続けるところだ。
銃社会へのひとつのアンチテーゼだと思うし、やむを得ず銃を使うものも決して幸福ではないと言っているようにも思う。
ビル・ブレイクは小舟に揺られ死地へ旅立つ。
ただ、ノーボディは死地とは言わず、生まれたところに戻るのだと諭す。
旅立ちだが、これは旅の終わりだ。
ノーボディも銃撃に倒れる。
ノーボディが重ねた、詩人ウィリアム(ビル)・ブレイクの影は、幻想だ。
もし、現代のアメリカ人が、開拓時代に古き良きアメリカを未だに見ているとしたら、それは幻想なのだと示唆しているのだ。
そして、そんな幻想は終わりを告げたのだと言いたいように感じる。
ジム・ジャームッシュの旅をモチーフにした物語は、ここで終わる。
【”生涯は暗闇。死に向かう人生に神の導きを・・”全編に漂う死の香りと、ニールヤングの抒情的なエレキギターの音色が印象的な作品。】
ー 西部開拓時代、ビル・ブレイク(ジョニー・ディップ)は両親が亡くなり、フィアンセにも逃げられ、クリーブランドからマシーンという地の果てにあるディッキンソン金融工場の会計士として雇われるためにやって来るが・・。
行き違いから、職に就けず、花売りのセルを助け、彼女の部屋に行ったところ、セルの元恋人チャーリーが復縁のため現れるが、チャーリーはビルを撃ち殺そうとして、セルが庇い命を落とす。ビルは怪我を負うも、チャーリーを撃ち殺し、部屋の窓から逃げ出す・・。ー
■感想
・とにかく、矢鱈に人が射殺される映画である。お尋ね者になってしまったビル・ブレイクを追う殺し屋三人組、保安官と保安官補・・。
・ビルを詩人の”ウィリアム・ブレイク(18世紀に実在した英国の詩人)”と勘違いした先住民の”ノーボディ”は、ビルと共に逃避行の旅に出る。彼も、異部族間の間に生れた”ハグレ者”だったのだ・・。
・賞金稼ぎに撃たれたビルが、”ノーボディ”により、カヌーの乗せられ”人間の魂の場所”に旅立つ幻想的なシーンも印象的である。
<全編に漂う死の香りと、ニールヤングの抒情的なエレキギターの音色が印象的な、モノクロロードムービー。独特の世界観が、嵌ります。>
魂のロードムービー
ウィリアムブレイクがあの世に旅をするロードムービー。ノーバディのモノローグにもアメリカの闇が潜む。モノクロの詩的な映像にニールヤングの爆音ギターが美しい。ウィリアムブレイクの詩集が欲しくなった。
詩的なウエスタン
≪JIMJARMUSCHRetrospective2021≫
ジャームッシュが格好良かった頃のジョニー・デップを起用して監督自身のイメージを覆した?異色な西部劇。
ニール・ヤングが掻き鳴らすギターの軋む音とマッチしたクールな映像に余計なモノを排した物語の空虚感が堪らなくシブい!!
詩人でもあったウィリアム・ブレイクの詩を絡ませながら死にゆく者と、その案内人のように付き添うインディアンに流れるロックンロール。
ロバート・ミッチャム、ジョン・ハート、ガブリエル・バーンと大御所を脇に添えて女装姿のイギー・ポップにはヤラれた!?
頼り甲斐のある不思議な雰囲気を醸し出すノーボディのキャラが抜群で二人の遣り取りも楽しい。
死に近づきソレを待つ男を静かに演じたジョニー・デップの演技と新たな一面を見せ付けたジャームッシュの手腕には脱帽する。
幻想的な西部劇
モノクロ映画だが、気にはならない。
18世紀のイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの引用が散りばめられているが、分らなくても十分楽しめる。
ジョニー・ディップなので、エキセントリックな役がよく似合う。
ただ、旅の先導役となるインディアンのノーボディだが、その体型が……
ブレイクに関する深い造詣と、人生の智慧を持つ不思議な男だが、なんであんなに太っているのかわからない。
馬に乗るのも大変そうだし、乗ったあとでは馬がかわいそうだ。
賢者は痩せているのが普通で、ぶくぶくした例は聞いたことがない。
しかもインディアン。
太ったインディアンという言葉は、矛盾しているのではなかろうか。
映画の配役は、容姿や体型も含めて決めているのだと思うが、あえて肥満体を選んだのはなにか意味があるのだろうか。
よくわからない。
音楽はニール・ヤング。
映画を視ながら、即興でつくったそうだ。
エレクトリック・ギターの金属音がうるさくて耳障り。
これもミス・キャストだと思う。
ジム・ジャームッシュの象徴的作品か
モノクロで描かれた、暗黒の19世紀アメリカ西部が舞台の、薄暗い物語。つまり、これはウエスタンものだろう。
しかし、決して格好良く西部の砂嵐を駆け回る馬とか、酒と女のひしめき合うバーとか、ああいう象徴的なものは1つもない。新しい目線の西部。
良い人間程早く死ぬ時代とどこかで見たけれど、本当にそんな感じで描かれたようなじとーーっとした世界観。
何回か見直したけれど、これはなかなか観る人によっては眠くなったりするだろうなあという印象。
全体的に分かりやすい映像展開はなく、一定のリズムだし音も静かめ。睡魔に襲われた人も少なくはないだろう。
私は一回目は眠たかった笑
案外チョイ役で有名な役者が出ていたりするんだけど笑
私は、これは面白かった。
会計士のウィリアム・ブレイク(ジョニー・デップ)が、詩人のウィリアム・ブレイクに勘違いされ、さらには本当に彼へと化していく。ゲイリー・ファーマー演じるノーボディに言われた言葉「銃はお前の舌だ。銃で話すことを学ぶ、お前の詩は血で書かれるのだ」を真摯に受け止め、結果として、まぐれで当たっていた鉄砲を使いこなし、一発でしとめられる凄腕ガンマンへとなっていくのですから。
ウィリアム・ブレイクという詩人のオマージュ作品でもあるらしく、作品内には彼の詩がちりばめられています。
小舟に乗ったウィリアムが、岸でノーボディが相打ちで倒れる所を見つめるシーン。小舟がゆっくりと岸を離れる、そのスローモーションはあまりにも切なく、夢のように遠のいて行く。死とは、殺し屋の持つ銃によってもたらされるものではなく、自然に起こりうるものなのだと、これから死に行く、あるいはもう死んでいるウィリアムを殺させやしないというノーボディの意思の現れのようにも感じました。
とにかく映像は美しい。ストーリーも深い、いくらでも深読みできそう。
あとは、睡魔に負けないで笑 是非見てほしいです。
全13件を表示