天国と地獄のレビュー・感想・評価
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ソコから見上げたホシ
體の上は 頭に被る帽子
體の下は 足に履く靴
帽子と靴は 違っている
7センチの鞄ふたつ
二種類の仕掛けふたつ
流れゆく特急と
沈む夕日と
ずっと聳える富士山
いつも眺めていたら欲しくなる
羨ましいは 恨めしい
上には行けないから
自分のところまで
下に落としてみたくて
足を引っ張ってみた
誘拐? 捜査
「まだパクるな 軽い罪だから 泳がせよう」
まさか そんなこと
言うかい? そうさ
それが黒澤明監督の 天国と地獄
最後に 呼んでみて 明らかにわかった
あなたと私は 違っていた
シャッターが遮る
もうダメだ 失敗だぁ
桃色のけむりが 空を流れる...
こんな傑作観たことない
映画は社内クーデターの会議から始まる。企業ドラマだ。
主人公の息子が誘拐される。誘拐ドラマになった。
刑事がやってくる。犯人から電話がかかる。サスペンスの始まりだ。
被害者の苦悩。重厚な人間ドラマが展開する。
犯人と警察。息の詰まりそうな頭脳戦が続く。
犯人の裏の裏をかこうとする警察の必死さ。
上流階級に対する下流からの反発と憎悪。
どこからも眺め上げてしまう超豪華な邸宅。
エトセトラ、エトセトラ。
後に大物となる俳優たち。当時すでに大物だった名優たち。驚くことに、出演者全員が全員、芝居がかすこぶるうまい。
有名な桃色の煙。湾岸署の青島刑事は後年、現場でこれを見て「天国と地獄だ」と呟いたが、私はこのシーンで逆に「踊る大捜査線だ」と独り悦に入った。
エンタテインメントの要素をこれでもか、これでもかと詰め込み、後の映画に多くのモデルを供与した名作は、現実の事件の犯人にも影響を与えた問題作となる。
時間も内容も圧倒的な映画だ。
サスペンス以上にヒューマンドラマとしても傑出、見返すたびに新たな発見に息をのみますね。
惜しまれつつ25年7月27日(日)閉館を迎える丸の内TOEIさんにて「昭和100年映画祭 あの感動をもう一度」(3月28日(金)~5月8日(木))と題した昭和を彩った名作42本が上映中。本日は黒澤明監督『天国と地獄』(4K版)を鑑賞。
『天国と地獄』(1963年/143分)
間違いなく日本映画史上最高のサスペンス作品。
身代金受け渡しシーンに実物の特急「こだま号」を1編成チャーターした大掛かりなロケ、同車両内でわずかに開く換気窓から身代金を投げ落とす有名なトリック、身代金が入った鞄を燃やすと桃色の煙が立ち上がるパートカラーの演出、公開後誘拐事件が多発し国会でも問題視、後日刑法が一部改正されるなど後世に語り継がれるエピソードに枚挙にいとまがない本作ですが、改めて見直すと脚本の素晴らしさ、登場人物の描かれ方がとにかく秀逸ですね。
特に間違って自身の運転手の息子を誘拐され、当初は自身の野心のため身代金支払いを逡巡、拒む製靴会社の常務・権藤金吾(演:三船敏郎氏)が徐々に人間らしさに取り戻し、身代金の支払いに応じていく心変わりを丁寧に描く過程は、ありふれた清廉潔白、聖人君子ではなく人間臭く、観客が共感できる人物像として描かれている点は出色。
権藤の対置として、自身の保身や出世のために権藤と敵対する重役らに懐柔、彼を裏切るエリート秘書・河西(演:三橋達也氏)の人物設定も実に上手く、サスペンス以上にヒューマンドラマとしても傑出しています。
その他配役も犯人を追う冷静沈着だが内に熱いものを秘める戸倉警部(演:仲代達矢氏)、いかつく情に厚い田口部長刑事(演:石山健二郎氏)はじめ、ひとり一人の刑事の描かれ方も個性的で丁寧に描かれ、敵対する重役たち(演:伊藤雄之助氏、中村伸郎氏、田崎潤氏)も実に憎らしくて良いです。
なかでも誘拐犯・竹内銀次郎(演:山崎努氏)の狂乱した迫真の演技は、本作で山崎努氏が本作で一躍注目を浴びたのも納得、鮮烈なラストシーンですね。
ヘドロまみれのドブ川に映し出させる竹内のファーストカットも「これぞ黒澤明」という見事な演出、見返すたびに新たな発見に息をのみますね。
丘の上とバラック街のあいだで
1963年公開の黒澤明『天国と地獄』を、今年閉館する丸の内TOEIにて初鑑賞。この映画館は1960年開館、まさにこの作品と同時代に誕生している。僕の生まれる前の映画だが、戦後の高度経済成長期に生じた社会の分断を、鋭く、そして強烈に映像化した作品だった。心の奥に“心象風景”として、これからも深く残り続けるだろう。
物語の舞台は横浜。主人公・三船敏郎は靴メーカーの重役。戦後復興の波に乗って、当時年10%を超えるような、今では考えられない経済成長の時代に、職人から出世し、横浜を見下ろす高台に建つ瀟洒な邸宅の主人となった。
彼が住む丘の下には、バラック街が広がっている。天国と地獄。この地理的な高低差がそのまま社会階層のメタファーとなっている。同じ街なのに、上から見下ろす風景と、下から見上げる風景はあまりに対照的だ。
現代なら、高層マンションの最上階とその足元のスラムをドローンで切り取るような構図になったかもしれない。だが、あの家が一軒家であるからこそ「天国の住人」としての象徴性が際立つのだ。そのリアリティが抜群だった。
僕が上京したのは昭和の最後。あの時代も、いや平成に入っても、東京にはこの映画で“地獄”として描かれたような戦後のバラックや安アパートがまだまだ残っていた。僕も最初は、風呂なし・トイレ共同・エアコンもない木造アパートに住んでいた。だからこの映画は、遠い過去の物語というより、忘れかけた自分のこれまでとも重なる現実を描いたと感じられた。
そして思う。近年のアメリカ大統領選などに見られる、経済の繁栄から取り残された人々と、“意識の高いリベラルな人々”との対立。この映画は、それを60年前の日本で、すでに描いていたのではないかと。
主人公の三船も、強烈な出世欲だ同時に、儲け主義よりも“良い製品”を作ることを大切にする倫理的ビジネスマンであり、同時に高い道徳感を持つヒューマニストとして描かれる。しかしそれでも、地獄との対話は成立しない。
この映画のもう一人の主人公である地獄の住人は、殺人に対してすら罪悪感が希薄だ。その背景は映画では何となくしか語られない。ただ、現アメリカ副大統領JD.ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』を読むと、貧困の中に育つことで、努力などでは超えられない認知の違いが生まれることが見えてくる。
この作品は、犯罪事件の物語だが、善と悪の対立ではない。“天国”と“地獄”という住む世界の違いがもたらす断絶を描いた物語だった。黒澤はその構造的問題を、すでにこの時代に見通していたのかもしれない。
古い映画は自宅で集中して観るのが難しい。けれど、丸の内TOEIのような場所でこそ、その時代の空気ごと体験することができる。この夏の閉館まで昭和の名作を上映してくれるようだから、できる限り足を運びたい。
舞台劇の重厚さと誘拐犯追跡のサスペンス映画が合体した黒澤現代劇の傑作
誘拐事件に巻き込まれたある会社重役の良心と野心の葛藤から犯人逮捕までのサスペンスを終始重々しく緊迫感のある演出で創作された黒澤現代劇の傑作。脚本はアメリカの推理小説家エド・マクベインの『87分署シリーズ』の第10作『キングの身代金』(1959年)を原案とし、身代金3000万円(現在の価値に換算すると約4億円)と引き換えに誘拐された少年を救出する前半の骨子になっていて、後半の犯人を泳がせ共犯者殺人を立証する捜査はオリジナルの創作と言います。この2部構成の表現法と映画論法の対比にこそ、この作品の面白さと不確実性が絶妙に絡んで独特な社会派映画の特徴を強烈に印象付けることになりました。
前半の主人公は製靴会社ナショナル・シューズの工場担当常務の権藤金吾で、自分の持ち株比率28%に抵当や借金で工面した5000万円(現在の価値で約7億円)を投資しその後47%まで引き上げ、次期株主総会で会社乗っ取りを計る野望の男。現社長と馬場専務ら3人の重役を合わせた株比率の46%とギリギリの社内攻防戦に挑む、その大事な決断の時に息子純を誘拐したと犯人から電話をもらう。このお金と数の力が支配する資本主義の分かり易い見取り図に裂け目を入れるのが、後半の主人公竹内銀次郎という、貧しい家庭で育つも内科医師になろうとして努力したであろうインターンの青年。しかし、そんな彼が何故誘拐犯罪に手を染め、資産家に見えた権藤に膨大な身代金を要求して憎悪を募らせるのか、その真意の全容は分からない。完全犯罪に至るような巧妙な作戦を練る頭脳と、逮捕されれば仕事もそれまでの努力もすべて失うリスクを考慮しない無謀さに矛盾が残ります。時代背景は、戦後の高度成長を象徴する東京オリンピック開催と新幹線開通を翌年に控えた躍動の日本社会。焼け野原の最貧国から18年足らずで急激に経済復興して、富める者と貧しい者との格差が顕著になるのは、ある程度仕方ない。1960年の所得倍増計画から右肩上がりが継続し中流階級が増えた時代の流れを顧みれば、もう少し我慢して仕事に邁進していれば報われていたはずです。仮に竹内を24歳と仮定すると、生まれは1939年の戦前で小学校入学が1945年の終戦の年になります。戦前の教育を全て否定され、アメリカから与えられた民主主義の洗脳を受けた最初の年代です。日米安保条約で政治・社会が混乱した1960年には成人になり、社会に対して意見と批判を持つ自立に目覚める年頃でした。自由と平等を標榜する民主主義教育の理想を学びながら、現実の貧困に一個人でどう対処すべきなのか。しかも凶悪犯罪ほど、その動機の本当の理由を他人が理解することは難しい。これは黒澤監督始め脚本家の人たちアヴァンゲール(戦前派)の大人世代が共通して抱いたアプレゲール(戦後派)世代の若者に対する、理解不能の世代断絶を意味しているとみても興味深いかも知れません。
丘の上に建つ権藤金吾の瀟洒な邸宅の応接間を舞台にした、身代金を準備するまでの黒澤演出は、ミステリー小説を戯曲化した演劇そのものでした。屋外が映されるのは、権藤に追い払われた重役3人が車で去るショットに西部劇扮装遊びに夢中の子供2人が現れるところと、刑事が百貨店の店員に扮装して権藤宅に忍び込むショットだけで、サスペンスフルな密室劇になっています。見知らぬ男からの電話で権藤の息子純が誘拐された衝撃と身代金3000万円の要求に戦慄が走るも、その居間に純が現れて一端悪戯かと安堵する意外な展開から緊張感が始まります。ここで運転手青木の息子進一が居ないことに気付く大人たちの動揺から、子供たちが保安官の服を交換していたことで犯人が人質を間違えて誘拐したこの事件特有の複雑さがあります。自分の子供が事件に巻き込まれた時は警察に連絡するのを躊躇った権藤が、他人の子供と分かった途端に警察へ通報する人間性、そこには3000万円を手放したくない、否手放せない権藤の追い詰められた状況が支配している。演出で印象的なのは、大阪のホテルへ秘書河西に手付金を持たせ交渉をまとめる電話の前に鳴る置き時計の時報と、妻怜子が呟く“ねえ、大丈夫?私 何だか怖いわ”の台詞です。勿論これは5000万の手付金と残り1億円のお金で会社を乗っ取ろうとする夫権藤金吾を心配して掛ける言葉ですが、同時にこの時に進一少年が拉致されたことを暗示する演劇的な表現です。映画本来の表現ならば、隠れて待ちわびる純少年のカット、進一少年を連れ込み走り去る車のカットなどでカットバックするものです。しかし、これではその後の居間で展開する大人たちの動揺から安堵、そして衝撃の心理表現や、身代金を渡す渡さないの権藤の心の迷いまで重厚に描くことが幾分削がれるでしょう。3000万円の身代金をどうするか逡巡する権藤を中心に、子供の命最優先の妻怜子、会社乗っ取りを他の重役に密告して己の出世しか考えていない秘書河西、息子の生存をただひたすら願う運転手青木、そして誘拐事件の犯人に対して怒り、罪の報いの軽さに憤る戸倉警部ら冷静沈着な刑事が、入れ替わり立ち代わり居間を行き来します。各自の台詞が各登場人物の動きやポジションを決め、この意志と立場を持った言葉で変化する人間模様の深さと面白さ。黒澤演出の考え尽くされた画面構成と人物配置、それを自然に写す斎藤孝雄と中井朝一のカメラワーク、それはシネマスコープとほぼ同じ東宝スコープのワイドスクリーンを生かした演劇映画の完成度を誇ります。敢えて5000万円の小切手のアップ、鞄に匂いと色の細工を施す権藤の手先の動きを映さない。演劇と映画が融合した演出で光るのは、翌朝カーテンを閉め切ったままの不自然さを指摘され遮光カーテンまで全開にするシーンです。戸倉、田口、中尾の刑事がテーブルの下に身を隠すショットがいい。
続く特急第二こだま号に乗って犯人の連絡を待つシーンからは、映画らしいスリリングな黒澤演出が冴えわたります。中尾刑事が列車内を巡回して進一少年が見当たらないことをメモで渡す、そのアップショット。前日から徹夜で紙幣の番号を写して疲労困憊の荒井刑事がうとうとするところで車内放送が掛かる演出の切れ味。鉄橋を過ぎたら洗面所の窓枠の7センチの隙間から3000万円が入った鞄2個を投げ落とせとの犯人からの指示。ここで警察が先頭車両と最後尾の窓から8ミリカメラで共犯者を記録するシーンの映像の迫真性が凄い。流れる映像から見える共犯者と進一少年、鉄橋を挟んで鞄の落とし場所に待機するもう一人の共犯者。列車1編成をチャーターして撮影に挑んだ緊張感がこの短いシークエンスに鮮やかに生かされ、映画でしか表現できないモンタージュの素晴らしさでした。
進一少年が無事解放されて犯人追跡の捜査がメインになる後半では、主人公権藤金吾の会社内の境遇は最小限に抑えられ、抵当に入っていた邸宅が競売に掛けられ全財産を処分する失意のどん底まで追い詰められていきます。進一少年が描いた絵と録音した犯人の電話音声記録からアジトと思われる場所で微かに聴こえる電車の音の特徴から、捜査が進展するシチュエーションがいい。鉄道会社で聞き込み江ノ電と分かるものの、オタクっぽい職員の止まらない解説から荒井刑事が逃げるように立ち去るシーンが可笑しい。そして、多額のお金の犠牲を払った権藤の無念と憤怒に少しでも応えようと、進一を連れてアジトの場所を探す青木の居た堪れない心理も分かります。田口刑事と荒井刑事が追い掛け、偶然青木親子と出会うところの映画的な映像処理の巧さ。その前に車のリアガラスから景色を眺め記憶を思い起こす進一少年のシーンもいい。お父さんと声を上げ、僕あそこでおしっこしたよ、の台詞が可笑しい。そこから徐々に江の島が島に見えない角度の高台に辿り着く細かさ。しかし、そこでヘロイン中毒で死んでいる共犯者カップルが見つかる意外な展開から、映画は麻薬中毒に陥った人間の闇世界に入っていきます。ここで興味深いのは、警察が共犯者の死を報道しないようマスコミへ協力依頼することでした。更に犯人に危機感を与えるために番号を記録した1000円紙幣が見つかったとの嘘の報道を流すことも加えます。鞄の写真も記事にあり、慌てふためく犯人竹内の動揺振り。ここで注目に値する、寄り過ぎたカメラワークの演出がありました。前半には一切なかったアップショットを後半でも必要最小限に抑えたカメラワークを貫いてきて、犯人竹内が札束を鞄から風呂敷に移し、鞄を段ボールに入れてひもで縛る緊迫のシーンを、意図してありきたりな絵の構図に収めていないのです。これは説明ショットではなく、余裕が無くなった竹内の感情の混乱を表現する映画的な表現です。ここで思わず唸るくらい、見事な演出と撮影でした。鞄が病院の焼却炉で燃やされ、モノクロ映像に牡丹色の煙が引き立つ権藤邸から街を見下ろす眺望ショット。ここでは秘書河西が恩着せがましく権藤に重役のポストの話を持ってくるも、男のプライドから権藤が相手にしない場面がいい。進一が描いた犯人の絵を観ているときに、純少年が煙にいち早く気付くところも巧い。そしてついに権藤邸の近くに住むインターンの竹内銀次郎に行きつく捜査の最終段階にきて、直ぐに逮捕せず江の島のアジトに誘き寄せる作戦の巧妙さ。捕まえた後の刑罰に殺人罪を加えるだけに行うトリックまで、理に適った展開で閉めます。
しかし、この後半で最も素晴らしいのは、犯人竹内を演じた山崎努の演技でした。1960年に映画デビューもこの作品で一躍注目されたのは当然でしょう。三船敏郎始め当時の名立たる男優たちが数多く出演する黒澤映画の中にあって、一際存在感のある演技を見せます。特に最後の拘置所で権藤と面会するシーンの、笑みを見せても淋しく、嘆きを虚勢で誤魔化しているような、死刑の恐怖に慄いていないと言い張るも、何も確実な事は一つもない竹内という犯罪者の曖昧さゆえの怖さ。ただ一つ明らかなのは、彼の根源には憎しみの感情しかなく、その憎悪に支配された地獄を生きていたことだけです。金網を掴み、震える身体を抑えながら言い訳ばかり言い、頭を抱えて発狂する竹内の惨めな姿を山崎が雄弁に演じ切っています。黒澤監督も認めたこの熱演で映画のラストカット、シャッターが下ろされるエンディングも見事でした。
主演三船敏郎、助演仲代達矢の重厚な演技が作品を締め、曲者秘書役の三橋達也も巧い。青木運転手役の佐田豊は適役の好演、刑事役では志村喬に藤田進、土屋嘉男、名古屋章。新聞記者に千秋実、北村和夫、それに37歳頃の大滝秀治がいました。仲代達也と行動を共にする石山健二郎、木村功、加藤武の其々のキャラクターもほど良く絡み、会社重役に伊藤雄之助、田崎潤、中村伸郎と錚々たる男優陣です。紅一点の香川京子は、「悪い奴ほどよく眠る」の役より単調で、もっと物語に加わって貰いたかったと少し心残り。誘拐される進一役は、小津安二郎監督の「お早よう」で次男坊を好演した島津雅彦でした。純役江木俊夫はその後アイドルグループ・フォーリーブスで人気スターに。私の年代ではテレビドラマ「マグマ大使」が懐かしい。
刑事ドラマの真髄を見た!
タイトルはお馴染みですが、内容は、よく知らない黒澤作品の一本です。誘拐事件の映画ってくらいの知識しかありませんでした。
オドロオドロしいテーマソングから始まり、非常に期待値が上がりました。また、音楽に合わせて表示される役者さんの名前に、懐かしい〜、この人も出てる、と一喜一憂でした。
映画を見ている時にも、自分が若い頃から見ていた今は亡き昭和の名優たちの若かりし姿に、興奮しっぱなしで喜ばせてもらいました。
初っ端から三船敏郎さんの登場。今までは時代劇ってイメージが強かったけど、先日見た「悪い奴ほどよく眠る」で、カッコいいスーツ姿を見てたので、本作品では違和感も感じませんでした。
それどころか、自分の子供と間違えて誘拐された運転手の息子のために、全財産投げ売って身代金まで用意する、メチャクチャカッコいいオヤジを魅せてくれました。
ここに、仲代達矢さんを筆頭とする、黒澤作品ではお馴染みの面々が演じる警察陣が加わり、緊迫した雰囲気で展開していきます。
【ネタバレ】
前半は、誘拐犯とのやりとりに、三船さんが自身の野望との間で苦能する様を描いてくれます。会社の乗っ取りを考えていた矢先の事件。ここでこのお金を使うと、計画が破綻するだけでなく、生活すらままならなくなる恐れがある。
それでも、身代金を用意した三船さんが、ホンっとカッコいい。
要所要所にニヤッとするようなお笑いを交えながら、緊迫感を維持する展開に、心底引き込まれました。
身代金の引き渡しも、電車を使った頭脳的な方法で見応え十分です。
後半は、犯人の山﨑努さんも登場し、徐々に追い詰めていく警察の姿が描かれます。
今現在放送されている刑事ドラマの原典がここにあるって感じで、見たことあるような場面が幾つかでてくる。
でも、そこが昭和の風景で、懐かしいっていうか、生々しいっていうか・・・
汗じみのついたシャツを着て、密接した部屋で行われる捜査会議。容疑者を尾行する刑事たちの変装。そして、人々であふれかえる街中、ヤク中や売春婦等、荒ぶれた人々でごった返すドヤ街。
とにかく、ワンシーン、ワンシーンに生きているっていう躍動感を感じる。
いや〜、ホンっと面白かった。
犯人逮捕に向けての警察のやり方も、どうかと思われる部分もあったが、まぁ、悪い奴には容赦なしってのは嫌いじゃないんで、スッキリさせてもらいました。
ラスト、犯人の山﨑さんから呼び出され、三船さんが面会に行って話す場面。何を話すんだと思っていたら、何故恨みを抱いたのかを語り出す。差もない会話の中で、徐々に変わっていく山﨑さんが印象的だった。明確な説明ではなく、見た人それぞれの判断に委ねる終わり方だと思う。恐らく、見た時の気分や状況によって感じ方が変わるんだろうなって気がする。
人間の生きる価値は、社会的地位や金銭にはないとの想いをひしひしと感じる作品の完成度の高さに…
キネマ旬報では、
今村昌平の「にっぽん昆虫記」に
第1位の座を譲ったものの、
この年の第2位に選出された逸品。
多分、4度目位だろうが、テレビ放映を機に
「野良犬」「悪い奴らはよく眠る」
に続いて再鑑賞。
黒澤監督は“麻薬”への拒絶反応と
戦後記憶の残照が強いのか、
犯人がそのブツを求めてドヤ街を歩き回る
シーンが少し長過ぎる印象と、
犯人が特定出来ているにも関わらず、
被害者への同情的な意味合いで
犯人をより重い罪への誘導する捜査手法
なんてあり得るのだろうかとの点では
疑問を感じたものの、
この作品の完成度の高さには
感服するばかりだった。
私は、黒澤映画とは
ヒューマニズムとエンターテイメントの
見事な融合芸術と見ているが、
この作品では、格差社会に反発して
犯行に及ぶインターン医師が、
貶めるはずの靴会社重役が
運転手の子供の身代金を払ったことにより
世間から賞賛を受けるという
思惑通りとはいかない犯人が受ける
皮肉が効いたストーリー展開等々、
脚本家グループの深い洞察を感じる共に、
人間の生きる価値は、
社会的地位や金銭にはないとの
黒澤監督の想いもひしひしと感じる
鑑賞となった。
話がなかなか進展しないからちょっと長い
衝撃のラストに頭抱えた
黒澤明監督の名作をついに鑑賞。圧倒的な緊張感と重厚なドラマに、ただただ引き込まれました。作品はサスペンスと社会的テーマが見事に融合し、見る者に強烈な印象を与えます。
前半は権藤氏の葛藤と決断を描いた密室劇、後半は犯人を追う捜査劇に分かれていますが、どちらのパートも心理描写や人物設定が非常に練り込まれており、重厚な群像劇として見応えがあります。
後半の捜査パートでは刑事たちが犯人の手がかりを追う様子がリアルに描かれ、次の展開が気になって仕方がありません。細部まで計算された捜査の考察や緊張感のある追跡劇は、まさに手に汗握る展開です。
そして、衝撃のラスト!犯人が語る「産まれた時から地獄だった」という言葉。彼の叫びには一体どんな思いが込められていたのでしょうか?権藤氏はその言葉を聞いて何を思ったのか?しかし、最後に映るのは権藤氏の無言の背中のみ。彼の表情は映し出されません。このシーンは観客に多くの問いを投げかけ、深い余韻を残します。非常にショッキングで、忘れがたいクライマックスでした。
単なるサスペンス映画にとどまらない、格差や社会の不平等といった普遍的なテーマを内包した作品。犯人の人生、権藤氏の葛藤、そして「天国」と「地獄」とは…。倫理的な問いと社会的な問いを投げかける本作。現代においてもその衝撃は色褪せません。
【”丘の上の瀟洒な二階建ての家に住んでいる男を見て、丘下の貧しきアパートに住んでいた男が思いついた凶事。”誘拐犯を追い詰める捜査陣の執念の姿を描いた社会派サスペンス映画の逸品。】
・戦後の混乱期の昭和を舞台にした作品であり、今作がきっかけで誘拐罪の量刑が改正された事は、学生時代の授業で知ったものである。
・何とも退廃的な、後半のヘロイン中毒者がたむろするヘロイン窟の重いシーンの数々や、ラスト、捕まり死刑宣告を受けた犯人を演じた若き山崎努氏の貧しさ故の鬱屈が爆発した狂的な演技と彼の強がりを憐れみの眼で見るナショナル・シューズの元重役・権藤金吾とが刑務所の金網を隔て対峙するシーンも凄い。
・更に言えば、二人の未来を暗示するような”ガシャーン!”と二人の間に降りるシャッターの金属音は重い余韻を残す作品である。
<今作を真似て、多数の誘拐事件が発生したそうであるが、この作品を観ていると”俺も出来るのかもしれない・・。”という狂的な思いを誘発するが如き、重厚な作品である。
恐ろしい作品であるが、そういう意味では敗戦の雰囲気を色濃く漂わせるこの社会派作品は、矢張りサスペンス映画の逸品であるのだろう。>
日本のサスペンス映画の傑作
日本映画発祥の地・京都のほぼ中心辺りにある京都文化博物館は、京都にまつわる映画フィルム原版を約800本所蔵し、テーマ企画に沿って館内のフィルムシアター(170席)で毎日上映しています。
先月、“アウトローなヒーローたち・現代劇篇”というテーマ企画で上映された、日本映画史に残る本作を観賞しました。
言わずもがなの、日本三大巨匠の一人にして世界的名匠・黒澤明監督のサスペンス映画の傑作です。2時間23分の長編であり、多種多様な登場人物が出てくるにも関わらず、巻頭からラストまで全く息を抜く間もなく一気に観終えてしまいました。
誘拐事件発生と身代金授受という、三船敏郎扮する製靴会社専務・権藤視点の一人称で進められる前半は、室内劇で恰も舞台劇のようであり、事件がひと段落した後の犯人を追及していく後半は、謎解きミステリードラマに一変し、主体が警察官たちに移行しひたすら地道に現場を辿っていきます。ここでは捜査責任者・戸倉警部を演じる仲代達矢の沈着冷静にして鋭い慧眼ぶりが、圧倒的存在感でドラマをリードしていきます。前半の主役だった権藤は気力体力を使い果たしたことにより存在感が希薄になり、もはや脇役で終始します。
この前半後半の切り替え、ドラマの焦点の移行、サスペンス性の切り口の変換は見事です。
前半は、登場人物たちの欲望と憎悪、怒りと悲しみが諸に曝け出され、裏切りと出し抜きが露見していき、舞台が権藤邸内に限定されていたこともあって、常に緊張感が漂い不安感を煽られていました。最近のように極端な寄せアップは殆どなく、ほぼミドルレンジでフィックスかスローな移動カットで、時に長回しも用いられ、観客は落ち着いて観られるので、却ってスパイラルに不安が増幅されながら先行きへの興味関心が募っていきます。
後半に、この興味関心が謎解きミステリーの渦中に放り込まれ、作者に弄ばれます。戸倉警部の切れ味鋭い捜査追及は、ぐいぐい観客を惹きつけ興味関心をどんどん掻き立てていきます。
実はこの時点で観客には、山崎努扮する犯人の正体を仄めかしているのですが、そこに辿り着き追い詰めていくプロセスの快刀乱麻の痛快さに、観客は益々酔わされていくのです。
犯人の暮らしぶりに映像が移ると、途端に彼の寄せアップの長回しが増え、この人物の閉塞感と虚無感、聡明さと暗さを顕著に漂わせます。既に観客を、犯人の動機の解明への関心に導いているのです。
個性的な名優たちが、刑事や新聞記者、街中の一般人という端役で短い時間のみで、次々と登場しますが、彼ら彼女たちが強く印象に残る演技を披露していくことで、本作にドラマの重みと厚みを備えさせてくれました。その結果、息苦しいまでの緊迫感と重苦しい空気感を、最初から最後まで観客に与え続けたのだと思います。
天国と地獄がまさに黒沢天皇の手の中!
確か一度ノーカットで衛星放送で観てるのですが
覚えていなかったシーンがたくさんあって
やはり映画館で見ると集中力が違うよなあ〜と改めて感じました。
前半舞台劇の様な犯人のとのやりとりシーンでは
何よりも三船敏郎の圧倒的な存在感!
他人の命と我が身の成功を秤にかけて苦悩するところは
室内のシーンが続くのにまったく飽きずグイグイ引っ張って行かれる。
で、後半は仲代達矢のスマートで淡々としながらも
結構えぐい捜査手法を選ぶ警部と地道な刑事たちの捜査のシーンが
徐々に犯人に迫って行く姿もハラハラして目が離せない。
で、同じ様な警察捜査物の名作「砂の器」の犯人の動機に
ぼろ泣きした身としては、
どんな動機なのか?とドキドキしたのだけど〜〜
これは、一種の不条理映画なのかな〜〜
でも、自身の成功より命の重みを選んだ権藤さん(三船敏郎)と
自身の満足のために命を軽んじた犯人との対比は
やっぱり心にグッとくるし、
時代が変わっても普遍的なものに落ち着いたことが
やはりこの映画を名作にしてるんだろうな〜〜。
撮影過程でよく言われる、
身代金の受け渡しの鉄橋のそばの家の
二階が邪魔だからと、二階を外して撮影したとか
まあ、天皇と言われた頃の
黒沢パワーが映画全面に溢れかえってます。
とにかく面白い!!見ものです!!
あと、余談ですが冒頭の靴の話〜。
あんな簡単に手で引っ張って壊れる様な靴、
絶対売って欲しく無いわ。(by靴屋)
後世に誘拐事件模倣が実際に行われた恐るべき映画 魅力が列車と現金を...
タイトルなし
横浜映画であり、湘南映画。
竹内はもう一人の権藤であるというか、紙一重の存在である。ラストシーンはその象徴で、度肝を抜かれる。そこへむかってポンと置かれるタバコの火をつけ交わすシーンが印象的。
面白い!
自宅で動画配信サービスを利用して視聴しました。
踊る大捜査線の中で青島刑事が「天国と地獄?」というセリフがあり、そんな映画があるんだなぁと思い続けて20年近く、やっと本作を見ました。
最初の30分はほぼ権藤邸でのやり取りですが、刑事たちと同じ顔になってしまうような心苦しい時間が続きます。そこから特急こだま号での身代金の受け渡しでの緊迫感からの少年の解放、犯人の登場、捜査シーンへの移行、ここまでの流れがとても綺麗で、完璧だと思いました。
捜査シーンに入ってからも、随時、権藤の描写を入れることで刑事たちの事件解決への執念が強化されているように見えました。また、捜査本部での刑事たちの報告や、情報を足で集めていく様子も不思議と見ている側を映画の中に没入させていくように感じました。煙突からの色の付いた煙のシーンは、やはり印象に残りますね。
罪を重くさせるために警察は犯人を泳がせるわけですが、ここからの描写がまた秀逸ですね。警察からの嘘の手紙を受け取った直後、薬を入手するために行ったクラブ、薬が効くかどうか黄金町で試すシーン、実験後タバコの火を権藤からもらうシーン、腰越のシーンと、犯人の感情と性格が見て取れるようになっている構成、素晴らしいですね。自分としては、犯人が歩きながらクラブを見渡すシーンのカメラワーク、黄金町の皆がゾンビのようになっている状況、そこで実験する人間を選んでいる様子、腰越の別荘で犯人が花壇から姿を現すシーンが印象に残っています。どのシーンもサングラスがとてもいい味出してますよね。
自分としては、警察が報道陣に1,000円札の偽情報を流すように相談しているシーンの記者の「それじゃ空いたところで、ナショナル・シューズを叩くか」というセリフも結構印象に残ってます。
また、見終わってから自分でも少し驚きましたが、見ている間、犯人の犯行動機をほとんど気にせずに見ていました。普通、犯行動機は重要な要素になってきますし、そういう描写を入れざるを得ないと思いますが、ほとんどない気がします。あえて言えば身代金要求時の電話で小出しにされていたぐらいでしょうか。不思議です。
面白かったです。
天国から地獄へ!! 製作から60年、いまだにこれを超える刑事ドラマを見た事がない。
横浜の高台の一軒家に住む社長宅。
最初から約60分間、ほぼ一度も屋外に出ず誘拐事件のドラマは進行する。そこにあるのは、恐ろしい緊張感と犯人に関する謎。密室での時間経過ではあるが、被害者の地位と周囲の思惑が見える。舞台的であり、飽きない。信じられないくらい上手いと思う。
続いて刑事の捜査が始まる。文字通り足で犯人の姿を追い詰めてゆく。その執念は軽くは感じない。
犯人の姿が初めて映しだれた乗り替わりの上手さにゾクっとした。
衛生状態の良くない場所に住む犯人は、高台に住む社長というだけで憎む。動機はそれだけだ。ただ犯人は苦労して這い上がった社長だとは知らない。天国の生活をしている社長と、うだるような地獄に居る犯人。社長は地獄に堕ちようが犯人の要求をのんだ。
観る人を飽きさせない黒澤明監督の妙が散りばめられていて、自身も映画の制作を楽しんでいる。こちらは、その手に乗せられて時間を忘れて物語に入り込む。
三船敏郎の抑えた演技。
睨みを効かせた演技をする仲代達也。
新人、山崎努の意外な貫禄。
その他、虎視眈々と社長と重役の座を狙う社員。
汗と埃にまみれ捜査をする刑事たち。
驚きの現金受け渡し。
身代金は特注の吉田カバンを使った。
撮影の邪魔になると、家の一部を解体。
様々なきっかけとなる音楽の使い方。
有名な煙突の煙のシーン。
犯人のサングラスに映る風景。
1960年頃の横浜市内、酒匂川あたり、茅ヶ崎海岸、江ノ島、腰越漁港、今も昔も高級住宅地!!開発の始まった頃の腰越住宅、極楽寺あたり、江ノ電などのロケ地を楽しめる。
結果を知っていても何十回も観た。
これからも何十回も観るだろう。
※
格差のサスペンス
高度経済成長期に、日本で格差が生まれて、営利目的に子供を誘拐
する事件が起き始めた時代。
金の無い者が、金持ちの子供を誘拐するのならば、話が単純だが、
そこは「世界の黒澤」であって、別の切り口で描く。
詳しくはネタバレになるので、書かない。
完全にサスペンス作品で、映画を見終わった時に、心に「ズンッ!」
とした重みのある物を残す。
後に、人間群像のサスペンスより、犯人捜しの
2時間ミステリー・テレビドラマが流行ったのは、心に重荷を置いて
終わるサスペンスより、犯人が逮捕されたのでハッピーエンドな
ミステリーの方が、大衆に受け入れられ、日本人が重さより軽さを
持って終わる作品を求めたから。
格差が、より広がる現代こそ、こういったサスペンス作品が必要だと
思われるが…
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