チャンスのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
ピーター・セーラーズ主演のチャンス、ミスタービーンを思わせる役柄に心が痛くなるかなと思ったけどそうでもなかった。博士の異常な愛情で1人で3役演じていたのにこの映画ではほぼ”庭””テレビ””お腹すいた”の全肯定マン、だけど周りが勝手に解釈しこちらの心配もよそに良い方へ向かって行き、ラストの水の上を歩くシーンは神的な何かかと思った。欲のまみれた情勢に意見するように見えるチャンシーはテレビが好きだと記者たちに切りつけるが、深い意味はなく単純にテレビが好きなだけだし子ども向け番組しか見ない。そんなチャンシーが何万人もの視聴者の心を動かしてしまう。流石にそんなにうまくいくか??と言うところもあるが、それはコメディーだから目を瞑ろう。最近の何でもかんでもセクシーに比喩で例え、はっきりしない政治も考えものだなと考えさせられた。笑
チャンス
シャーリー・マクレーン見たさに
哲学的な寓話と観るべき作品
住み込みで働く庭師のチャンスは、主人の死により家も仕事も失う。
家を出たチャンスが町を彷徨うシーンに流れるのは「ツァラトゥストラはかく語りき」。つい昨年、「2001年宇宙の旅」を観たばかりだったので、関連があるのかと調べてみたら思わぬ発見があった。
この映画自体がニーチェの著作「ツァラトゥストラはかく語りき」を土台にしているのだ。
ニーチェの著作は、山に籠っていたツァラトゥストラが、神の死を知って山から下りて、人々に教えを施すというものだ。
日本の作品紹介を読むと、「善人が無垢な心で周囲の人々を魅了し、成功していく物語」といったものが多いが、実際に観た印象は相当異なる。邦題も、そういうミスリードを誘ってはいないか。
本作は、非常に哲学的で暗喩に満ちた寓話と観るべきだろう。原題はBeing There、ハイデッガーの「存在と時間」から取られたとのことである。
チャンスは何らかの知的障害があるようだ(情緒障害もあるようにも見える)。
冒頭、主人の死を、同じ使用人仲間のルイーズから教えられるシーン。しかしチャンスは理解が出来ない。ルイーズはチャンスの反応に腹を立てて彼を叱るが、すぐに我に返り「大きな声を出して悪かった」と詫びるのだ。つまり、ルイーズは、「チャンスは主人の死を理解出来ない人」と捉えていることになる。
それから、チャンスが自分のことを語る場面で、「物心ついた時から庭師をしていて、家から外に出してもらえなかった」と言うセリフがある。何らかの事情でチャンスは引き取られ、外に出さないように育てられた、ということだろう。
そして、彼は読み書きが出来ない。チャンスが育った家はそこそこ裕福な家だが、学校には通わず、教育を受けてこなかった、ということである。
チャンスはテレビを観ることに強いこだわりを持っている。自閉症スペクトラムを思わせる。
チャンスは庭仕事のことしかわからない。しかし、周囲の人には彼の言葉が予言めいたもののように聞こえる。最後にはチャンスは次期大統領とも目されるようになる。
物語の舞台はワシントン。アメリカの政治の中心地である。
チャンスの言葉に踊らされるマスコミ。マスコミに踊らされる人たち。ところが、そのマスコミの権威すら、もはやなくなっていることも示唆される。FBIやCIAは情報操作をやっている。出世欲にとらわれた弁護士。理性や秩序を喪ったワシントンの様子は、まさしくニーチェが考えた神の死んだ世界であろう。
そこに表れたチャンスの存在は果たして何なのか?
ラスト、浅い池を歩くチャンスは水上を歩くようである。まるで神のように。
当時40代半ばのシャーリー・マクレーンが気品と可愛らしさの同居する女性を演じていて魅力的だ。
タイトルは主題の逆説
午前十時の映画祭にて、初見。
'79のアメリカ映画。シャーリー・マクレーンは当時44歳。いやー、大女優の年齢を追い越しちゃったよ、ってのが最初の感慨としてある訳で。「年下」のシャーリー・マクレーン、めちゃくちゃ可愛い。ちょっとシワあるけど全く気にならないです。
映画の方は、「庭の事しか判らない」男の言葉を、奇妙に拡大解釈した周囲の勘違いから、男が大統領のフィクサー的存在になってしまう物語。当時の政界に対する皮肉と風刺、と言う要素もあるにはあるが、純粋にコメディとして見るべきで、声を上げて笑ってしまう場面がいくつかあった。なんせ主演はピーター・セラーズだし。
最後の場面、チャンスは水没することなく池の水面上を歩きます。これが、現在の状況を象徴するものなのか、未来の事までを含めた示唆なのかは不明ですが、まぁ、あまり問題では無いと思われ。何がどちらにどう転ぼうが、チャンスにとっては大した話では無いと考えられるからです。テレビがあって、食べられれば幸福なんだから。
周囲のほぼ全員が理解しているチャンシーなど、何処にも存在しない。これが主題だと思う。being there の逆。世の中のあれやこれやは勘違いと幻想かも知れないけれど世界は回り続ける、って言う映画。
読み書きができないチャンスの脳は、テレビに依存しています。放送されるテレビ番組は、当時の世相を伝えてくれるものなんだと思いますが、「セサミストリート」、条件付き確率の議論を巻き起こした「モンティ・ホール」、「ゲーターレードのCM」くらいは判った。Deotatoの「ツァラトゥストラはかく語りき」の乗って家を出、ワシントンのダウンタウンに繰り出すシーンも印象的。この曲を聴くと、「あーーー、'70年代だぁ!」って思う。
やすらぎ
重要なこと程、シンプルなのかも
チャンスをみているとそんなことにたどり着きました。
良いように良いように勘違いの連鎖は、主人公チャンスを始点にみなもの輪が広がっていくように、彼と接した周りの人が幸せな心持になっていく。無欲で微笑みを浮かべ、背筋を伸ばしてゆったり歩けば、運は自分の方へやって来て、神様が粋な計らいをしてくれる。そんなことを思わせてくれた作品でした。
淡々と流れていくストーリーであって、二つの側面をもつ魅力。社会風刺を効かせたようなコメディ色を存分に利かせているのかと思いきや、最期のシーンを観た途端、彼の存在自体がどこか高尚に感じられ、もっと奥深い哲学的な意味を見出したくもなったりした。
大変面白い作品でした。名シーンも多く、映像も綺麗。音楽も良い。何よりもピーター・セラーズの醸し出す庭師チャンスの人物像が良い。さらに特典映像のもう一つのエンディングも必見です。
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