劇場公開日 2008年8月2日

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「永遠に変わらない苦しみを描いた本作の本質ははっきり言って地獄です!」スカイ・クロラ The Sky Crawlers 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

1.5永遠に変わらない苦しみを描いた本作の本質ははっきり言って地獄です!

2008年7月30日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 隣に座っていた試写会の観客から、終了時にマジきつかったと言わしめた本作は、完全に脚本が破綻した問題作です。
 まぁ見どころとしては、CGによる実写と見まごう空中戦シーンぐらい。むしろ飛行機ゲームマニアが嵩じて映画作ったらこうなったと言うべきおたっきーな作品といえます。 それだけ地上の人間ドラマは。ドラマとして成立していないと断言します。
 一部台詞の棒読みシーンが指摘されていますが、それは菊地凛子のせいではなく、脚本が悪いからだと思います。
 なぜ戦争をするのか、なぜ年をとらないかという重要な設定を凛子が担当する草薙に3分間も長々と淡々と語られば、どんな声優だってそりゃあ棒読みに聞こえてきますよ。だいたい重要な設定を台詞一発で片付けてしまうところが、もう駄目ですね。

 主人公函南たちが闘っている戦争は、函南たちキルドレを支配する人間たちが、自分たちの平和である証を実感するためだけに作られた「ショーとしての戦争」なんだということを台詞でなく、ドラマの展開で見せなければ、何を言っているのか全く感情移入できなくなります。だいたい会場で配られた公式ガイドブックを見てやっとどんなスジだったのか納得するようでは、プロ失格ではありませんか。

 まだまだ突っ込みどころはあります。
 時代設定として、プロペラ機というのは第二次大戦の頃のはずですが、作品の描かれる文明レベルでは、液晶テレビがあり、高性能なLRTが路面を走る現代と変わらない水準です。なのに戦闘機だけどうしてプロペラ機のままなのでしょうか。

 また舞台設定は、欧州のドーバー海峡間が仮想されているようですが、登場する戦闘員はなぜか日本人ばかり。そして基地で読まれている新聞は製作した日本テレビの親会社である読売新聞なのです。さては渡辺会長にごまをすったのでしょうか。
 無国籍でバーチャルな世界での出来事であれば納得しますが、変に日本もどきなのが気にかかりました。

 そしてストーリーにもも文句を言っておきます。
 ネタバレに関わることですが、永遠に変わらない苦しみを描いた本作の本質ははっきり言って地獄です。
 人間によって、同じ個性を持った人物として復活しても、またまた戦闘ロボットとして「消費」される人生。またそれを必然とさせる絶対に倒せない敵としてのティーチャーの存在。それはどこか成仏できずに地獄に堕ちた魂がたどる軌跡に酷似しています。特に自殺した魂は、何度も本作のような体験を飽きるまで味わうことになります。
 その点、永遠の愛と安らぎを描いた『西の魔女が死んだ』と好対照でしょう。

 公式ガイドブックで、宮崎吾郎監督は興味深いコメントを残しています。

 永遠に繰り返される戦闘の場で、
 永遠に殺し合いを繰り返し、
 死んでは生きることを繰り返している。
 空と地表の境で、生きているふりをしながら。
 永遠の生命を生きることは、すでに死んでいることに
 他ならないでしょうか?
 そんな考えが頭をよぎった。
 もし彼らが繰り返される状況に
 終止符を打とうとするならば、
 それは本当の死を迎えることを意味している。

 宮崎監督が、本作を作り直したらきっとキルドレの魂にも、
苦しみ(四苦八苦)を乗り越える安楽な死(=生)が与えられることでしょう。

追伸
 この作品は映画としてみるのでなく、ゲームとして見るのが正解だと思います。ただプレーヤーたちは自分の頭のなかでシナリオを独自に構成していく想像力が求められるので、映画を期待する人にとっては苦痛でしょう。
 スカイクロラの世界では、すべてのことにおいて現実感がセーブされています。
 鮮やかだけれどどこか彩度を抑えられた色調。仏頂面のキャラたち、笑いもしません。抑揚された台詞回し。それらの演出が意味するものは、すべてキルドレたちの感覚ではないでしょうか。
 殺しあうことがゲーム化されたなかで、殺されるためだけに再生されるキルドレたち。その刹那な転生を繰り返させられるなかで、台詞の棒読みのように語るキャラになっていったのかも知れません。

流山の小地蔵
かせさんさんのコメント
2024年8月7日

劇場で、菊地凛子の声が聞こえないシーン多かったんで、余計にストーリーが分かりにくくなりました。

かせさん