ゾディアック : 映画評論・批評
2007年6月12日更新
2007年6月16日より丸の内プラゼールほか全国松竹・東急系にてロードショー
“結末”ではなく“過程”を丹念に描いたフィンチャー監督の意欲作
1969年、ベトナム戦争を中心として世代及び人種間対立を含め、国がふたつに切り裂かれるかのような状態にあったアメリカで謎の連続殺人事件が世間を震撼させる。自らソディアックと名乗る犯人の特異さは、その犯行手口の残虐さにとどまらず、マスコミらを相手に暗号文を送りつけるなどの“演劇性”にもあったが、必死の捜査にもかかわらず犯人はとうとう逮捕されずに終わる……。
D・フィンチャー監督の新作は、実在の“ゾデイアック事件”を題材にし、事件に翻弄され人生を踏み外すことになる刑事とマスコミ関係者を軸に展開される。彼の出世作「セブン」と対比させてみると面白い。両作とも連続殺人を扱い、殺人犯はなんらかのヒントを現場に残し、捜査陣はその読解のため図書館通いを余儀なくされる。だけど、「セブン」があくまでも殺人の結果(死体)の描写に終始し、鮮やかすぎるほどの結末を物語に準備するのに対し、今回の最新作では殺人の過程がリアルに再現され、事件が未解決に終わった以上、物語も不気味な宙吊り感とともに終わりを告げざるをえない。物語中、同事件を念頭に撮られた「ダーティハリー」が巧みに引用されるが、物語がすっきりと終わるのは映画のなかだけのことだ……との批判的なコメントがそこに加えられる。終わらないこと、忘却しようにもそれを許さずに心と身体に刻まれるトラウマを描くこと……。そんな主題を選ぶことで、フィンチャーは完全主義的な映像派の監督としてのこれまでのキャリアを自ら果敢に覆そうとしている。
(北小路隆志)