旅立ちの時のレビュー・感想・評価
全32件中、1~20件目を表示
【89.4】旅立ちの時 映画レビュー
🎖️作品の完成度
本作の完成度は、一貫して保たれたトーンと、監督シドニー・ルメットの持ち味である人間心理の鋭い洞察、そして脚本家ナオミ・フォナーの抑制の効いた物語構成が見事に融合した点にある。テーマは重い。1960年代の理想に生き、テロリストとして追われる身となった両親と、普通の生活を希求する息子との間に生じる断裂と愛情の縺れは、一歩間違えればメロドラマに陥りかねない題材である。しかし、ルメット監督は、過剰な感傷を排し、常に人物の行動原理と感情の機微を冷静に見つめ続ける。
逃亡生活の緊張感と、束の間の普通の生活(高校での音楽への情熱や少女との恋)における解放感との対比が、ダニーの内面的な葛藤を浮き彫りにする。家族の愛を疑わないがゆえに、その愛がもたらす束縛から逃れようとする少年の「旅立ち」は、単なる物理的な移動ではなく、精神的な自立への痛みを伴うプロセスとして描かれる。ラストシーンにおける彼らの「別れ」は、家族の終焉ではなく、それぞれの人生の選択を尊重し合った上での新たな始まりを予感させ、観客に深い感動と余韻を残す。社会派の視点を持ちながらも、本質的には普遍的な家族愛と成長の物語として昇華させた手腕は、まさに巨匠ルメットの真骨頂であり、本作を傑作の地位に押し上げている。アカデミー賞において、助演男優賞(リヴァー・フェニックス)と脚本賞(ナオミ・フォナー)にノミネートされた事実は、その芸術的完成度の高さを裏付けていると言える。
🎬監督・演出・編集
シドニー・ルメット監督は、そのキャリアを通じて培ってきた社会的なテーマへの関心と、俳優の演技を最大限に引き出す演出力を本作でも遺憾なく発揮している。演出は、登場人物たちの感情の揺れを、時に長回しやクローズアップを効果的に用いながら、静謐かつ緊密に捉える。例えば、ダニーと母アニーが、ダニーの自立について語り合うシーンでの、互いの視線の交錯と沈黙の使い方は、言葉以上に彼らの複雑な感情を雄弁に物語る。
編集は、逃亡生活による連続的な移動の描写と、ダニーがローナや音楽教師と過ごす学校生活の場面を巧みに織り交ぜることで、物語にリズムと切迫感を与えている。特に、ダニーが初めてローナの自宅で「普通」の家族との夕食を体験するシーンは、逃亡者である家族の「異常な日常」との対比が際立ち、彼の内面で何が起こっているかを明確に提示する。全体として、演出と編集は、物語の核心であるダニーの心理的リアリティを損なうことなく、観客を深く引き込むことに成功している。
🎭キャスティング・役者の演技
キャスティングは、主要な役どころにおいて完璧と言える。特に若き日のリヴァー・フェニックスの起用は、その後の彼のキャリアを予見させるほどの輝きを放っている。
• リヴァー・フェニックス(ダニー)
主演として、逃亡者という過酷な運命を背負いながらも、音楽への才能と恋への憧れを持つ17歳の少年ダニーの、複雑で繊細な内面を驚くほどの深みをもって表現している。彼は、偽名で生きる日々の緊張感と、初めて掴みかけた「普通の生活」への希求との間で揺れ動く少年の「不安と希望」を、その澄んだ瞳とわずかな表情の変化だけで体現してみせた。彼の演技は、抑圧された環境下での鬱屈と、自立への強い意志を内に秘めた、静かなる激情に満ちている。家族への深い愛情と、自分自身の人生を生きることへの渇望という、相反する感情の葛藤をこれほどまでに自然に演じきったことは、彼が若くしてすでに偉大な俳優であったことの証明である。本作における彼の演技は、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされるという高い評価を得た。
• クリスティーン・ラーティ(アニー)
ダニーの母親であるアニー役のクリスティーン・ラーティは、強い理想に生きる反戦活動家としての信念と、息子を愛する母親としての本能の間で引き裂かれる女性の苦悩を見事に演じきっている。逃亡生活を支える強い意志を持ちながらも、息子が自分たちの理想から離れていくことへの寂しさ、そして息子を解き放つべきか否かの葛藤を、深い愛情と複雑な感情の機微を伴って表現している。その抑制の効いた演技は、物語に厚みと人間的なリアリティを与え、ゴールデン・グローブ賞の最優秀主演女優賞(ドラマ部門)にノミネートされた。
• ジャド・ハーシュ(アーサー)
ダニーの父親、アーサーを演じたジャド・ハーシュは、妻アニーと共に逃亡生活を続ける理想主義者であり、同時に息子たちに優しい父親であるという、二面性を持つキャラクターを説得力をもって演じている。彼の演技は、若い頃の理想を捨てきれない男の悲哀と、家族を深く愛しつつも、その愛が結果的に息子を縛っているというジレンマに苦しむ姿を、温かさと脆さをもって表現している。彼の存在感は、一家の基盤でありながら、彼らの逃亡生活という特異な状況の「重さ」を観客に感じさせる重要な役割を果たしている。
• マーサ・プリンプトン(ローナ)
ダニーの初めての恋の相手となるローナを演じたマーサ・プリンプトンは、思春期の少女らしい瑞々しさと、ダニーの抱える秘密にも動じない強い感受性を持つキャラクターを好演している。彼女の存在は、ダニーにとって初めて触れる「普通の生活」と「未来」の象徴であり、ダニーの選択に決定的な影響を与える。彼女の素朴で真っ直ぐな演技は、物語の緊張感の中で一服の清涼剤のような役割を果たしつつ、ダニーの感情的な支えとして重要な位置を占めている。
• スティーヴン・ヒル(パターソン)
クレジットの最後に出てくる役者ではないが、アニーの父親、つまりダニーの母方の祖父であるパターソン役を演じたスティーヴン・ヒルの存在も特筆に値する。彼は、かつて娘の理想主義的な行動を拒絶した父であり、現在は孫であるダニーに手を差し伸べようとする老紳士を、静かな威厳と深い後悔の念をもって体現している。彼とダニーの交流は、世代を超えた和解と、ダニーの自立への道筋を具体的に示す重要な鍵となっている。
📝脚本・ストーリー
ナオミ・フォナーによる脚本は、1960年代の政治的理想の残滓が、1980年代の個人に与える影響という、骨太なテーマを扱いつつも、焦点はあくまで少年ダニーの個人的な成長の物語に絞られている。ストーリーは、逃亡生活の描写から、ダニーの音楽への情熱とローナとの出会い、そして家族からの自立を決意するまでを、極めて論理的かつ感情的に破綻なく構築している。
「Running on Empty(空っぽで走っている)」という原題が象徴するように、いつ終わるとも知れない逃亡生活の中で、彼らが抱える精神的な消耗と、それでも前に進もうとする意志が、巧みな対話と構成によって描かれる。特に、ダニーが両親の過去の行為を理解しようと努めながらも、自分の未来を優先しようとする苦渋の決断に至るまでのプロセスは、深く共感を呼ぶ。脚本は、政治的な主張に偏ることなく、家族という普遍的な単位における「愛と自由」の相克を、高いレベルで描き切っている。この脚本は、アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。
🖼️映像・美術衣装
映像は、逃亡生活の舞台となるアメリカ各地の風景を捉えつつも、過度に観光地的になることを避け、生活感のあるリアリティを追求している。美術と衣装は、登場人物たちが常に移動しているという状況を反映し、彼らが生活する安モーテルや賃貸の家々の内装、そして着古されたような衣装が、一家の質素で不安定な生活ぶりを暗示する。特別な華やかさはないが、それがかえって物語の真実味を増す効果を生んでいる。特に、ダニーが高校生活を送る場面と、逃亡生活に戻る場面での視覚的なトーンの違いは、彼の二重生活の精神的な隔たりを象徴的に示している。
🎶音楽
本作の音楽は、物語のムードを形作る上で極めて重要な役割を果たしている。音楽監督を務めたのはトニー・ディ・ゼロである。劇中では、ダニーが持つクラシックピアノの才能と、彼が学ぶ音楽学校の存在が、彼の「普通の人生」への希望を象徴している。ダニーが弾くピアノの旋律は、彼の内面の感情を表現する手段として機能している。
劇中には、ジャクソン・ブラウンの「Running on Empty」という曲名と同じタイトルのヒット曲が存在するが、この曲が直接的に主題歌として使用されているわけではない。しかし、当時のアメリカのポピュラー音楽が、ダニーやローナといった若者の日常の背景として効果的に使用され、時代の空気感を醸成している。特に、ダニーがピアノに打ち込むシーンや、ローナとのデートの場面で流れる音楽は、彼の青春の輝きと、そこから引き離されることの悲劇性を際立たせている。
この『旅立ちの時』は、単なる青春の通過儀礼を描いた作品ではなく、イデオロギーと現実、親の夢と子の自立という、普遍的かつ重層的なテーマを、最高の俳優陣とシドニー・ルメット監督の円熟した手腕によって描き切った、1988年を代表する珠玉の傑作である。その完成度は、今日の観客にも深く響くものであり、未だにその輝きを失っていない。
最終表記
作品[Running on Empty]
主演
評価対象: リヴァー・フェニックス
適用評価点: S10
助演
評価対象: クリスティーン・ラーティ、ジャド・ハーシュ、マーサ・プリンプトン、スティーヴン・ヒル
適用評価点: B8
脚本・ストーリー
評価対象: ナオミ・フォナー
適用評価点: A9
撮影・映像
評価対象: ジェリー・フィッシャー
適用評価点: B8
美術・衣装
評価対象: (美術)
適用評価点: B8
音楽
評価対象: トニー・モットーラ
適用評価点: B8
編集(減点)
評価対象: アンドリュー・モンドシェイン
適用評価点: -0
監督(最終評価)
評価対象: シドニー・ルメット
総合スコア:[89.4]
改めてリヴァー・フェニックスのすばらしさを堪能
ワンバトルアフターアナザーの参照作品として見たのだが、期待以上の良作だった。
爆弾犯として指名手配される夫婦の長男を演じる
リヴァー・フェニックスの繊細な演技がとにかくすばらしい。
両親のことを愛してはいるが、ガールフレンドができ、音楽への才能に目覚め、
自分のこれからの人生を自由に生きたいというジレンマで悩む姿に胸を打たれる。
半年ごと(!)に拠点を変え、アメリカ中を逃亡する両親の元で
よくこんなに素直な人間に育ったなとは思うのだが。笑
当時、実際に付き合っていたというマーサ・プリンプトンとのシーンも瑞々しく、
親に隠れてこっそり会う二人はロミオとジュリエットのようだ。
爆弾犯の親だろうが、どんな親でも子どもを自分たちの人生に巻き込み
彼らの人生をスポイルしてはいけない。
特殊なシチュエーションに見えて、実に普遍的な爽やかな人間讃歌の作品だ。
とてもよかった
『爆弾犯の娘』という自伝本で、著者の梶原阿貴さんが中学生の時に友達と見に行くとまさに自分と同じ状況の主人公が描かれていると驚いたというので、気になって見る。確かに親が爆弾犯で逃亡生活をしている。梶原さんはFBIに追われていなかったが、度々引っ越しをして交番の前は通らないなどの生活をしていたし、ピアノの特殊な才能はない。親戚が金持ちなのは同じだし、誕生日プレゼントが手作りなのも一緒だという。
お父さんがガールフレンドについて「あの子はいい子だ、抱いたのか?」とリバー・フェニックスに聞くので驚いた。すると「抱いた」と答えるのでまたまたびっくりした。ラストシーンでお父さんが子離れを選択するところがとても泣ける。
お母さんが久しぶりに実のお父さんと会う場面もすごくいい。
【今作は反戦活動家の両親の下、全米を転々として暮らす17歳の青年が初めて恋をし、自らが生きる道を見つけ、両親の理解の元で独り立ちし、新たな人生が開ける様を描いたヒューマンドラマである。】
■1960年代のベトナム戦争をきっかけとした反戦運動で爆発事件の犯人としてFBIに指名手配された用心深い父アーサー・ポープ(ジャド・ハーシュ)と、アニー(クリスティーン・ラーチ)と共にヤンチャナ弟ハリーと、名を変え全米各地を名を変えながら逃亡生活を送る17歳の少年ダニー(リヴァー・フェニックス)。
彼がニュージャージーにやって来た時、入学した高校で音楽教師フィリップスに母譲りのピアノの才能を認められ、その娘ローナ(マーサ・プリンプトン:近年秀作「対峙」で、見事に母親役を演じる姿を拝見したものである。)と恋に落ちたが、彼は自分の境遇を考え、恋も音楽も諦めようとしていた・・。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作で、17歳の少年ダニーを演じたリヴァー・フェニックスは18歳であった。驚きの演技力である。邦画でも高校生を若き俳優さん達(アイドルさん含む)が演じているが、ほぼ20代である。(貶しているわけではないよ)改めて、天才俳優だった事を思い知る。彼が本当の名を語れずに、偽りの名で暮らす事に諦観を感じながら暮らす姿からの、初めての恋を経験し、更に音楽教師フィリップスにピアノの才能を見出され、初めてハイティーンの青年として、喜びを覚える姿の抑制した演技は凄いのである。
・特に、ダニーがローナとお互いに惹かれ合い、林の中でキスをした後に、ローナから”抱いても良いのよ。”と言われながらも、自らの状況と彼女の事を考え躊躇し、彼女に去られそうになった翌日の夜に彼女の部屋に忍び込み、自分の靴を彼女に履かせ、再び森の中で真実を告げる必死で切ない表情と台詞回しは、彼の美貌もあり絶品シーンである。
あれでは、ローナは何も言えなくなるよなあ・・。
・今作では、彼の父を演じたジャド・ハーシュと、特に母、アニーを演じたクリスティーン・ラーチもとても良いのである。
アニーが、息子ダニーの気持ちを知り長年連絡を取っていなかった、且つて”資本主義の豚”と罵った父との10数年ぶりに街中のレストランで会い、ダニーを預かって欲しいと頼むシーンは可なり沁みる。
この映画は、ダニーの旅立ちでもあるが、彼の両親の子離れと生き方を変える旅立ちの映画でもあるのである。
・ダニーがジュリアード音楽院への進学を音楽教師フィリップスに勧められ、実地試験を受けるシーンで、審査員の女性から”貴方、才能があるわよ。”と言われた時の、思わず服を落としてしまい、取りに戻る仕草などは名匠シドニー・ルメットの演出なのだろうか。
ダニーは、ピザの配達員を装って、長年会っていない祖母に会いに行くシーンも良いのである。
■そして、アーサーとアニーは、且つての仲間であるガスが銀行強盗をして、逃げる時に射殺された事を知り、急遽ニュージャージーを去るシーン。
いつものように、車の荷台に自転車を乗せたダニーに父が言った言葉。
”お前は乗らなくていい。お爺さんに全て任せてある。”驚くダニーを見つめながら弟と三人で走り去る両親の姿・・。
彼の未来は、逃亡の人生から脱却し、この瞬間に開けたのである。可なり沁みるシーンである。
<今作は反戦活動家の両親の下、全米を転々として暮らす17歳の青年が初めて恋をし、自らが生きる道を見つけ、両親の理解の元独り立ちするハイティーン映画の逸品なのである。>
98%と2%。
親の犠牲となる子が選択するだけでなく「させてもらえる」将来に託された奥深い親の愛
この作品を一言で表現するとまさに「優愁」だろう。
作品を貫くシドニー・ルメットの眼差しは優しさに溢れている。
ルメットの膨大な傑作群(「十二人の怒れる男」「セルピコ」「狼たちの午後」「ネットワーク」「プリンス・オブ・シティ」「評決」「DANIEL」「その土曜日、7時58分」など)に感じられる徹底したリアリズムや完全に無駄を削ぎ落とした描写とは、やや異質なようでいて、その本質は心情描写において肩を並べるほど遜色がない。
ルメットは終始キャラクターを優しく捉える。見つめる。愛する。特に、主人公とも呼べるリヴァー・フェニックスが担うダニーに対して最も深奥に迫る。この家族の長男役にはフェニックス以外にはいないと覚えるほどの説得力がある。
ここに本作の主題が垣間見える。主題とは作品中にセリフとしても現れる「親の犠牲となる子の生きざま」である。ルメットは優しく「子」に選択を迫る。そして物語の最後に「子」は選択『させてもらえる』。どうして『させてもらえる』のか。それは「子」が」下す選択には「親」の愛が添えられるからだ。
フェニックスは全編を通して、家族のため、親のために自身を犠牲とする。そこには「憂愁」や「悲哀」それに「優雅」が漂うが、それらを凌駕するのが「美麗」だ。それはフェニックスの内面から発揮されて外見に発露される。フェニックスの感受性は群を抜いており、その繊細さは観る者の心を揺さぶる。まさに「切ない」。
ルメットの視点とフェニックスの感性を最大限に活かす脚本とその世界を柔和な光で満たす撮影それにそっと添えられる情緒豊かな音楽も特筆すべきだと感じる。
ダニーの言動が主体性に欠けているように感じた
反体制派の両親に振り回され続け、自分の意思よりも両親の意思を優先させ続ける人生を送ってきた青年ダニー。そんな彼が、転校先で恋人と進学先という、自分の意思で選択したい物事が登場する。自分の道は自分で決めるという、大人になっていくダニーの自己の確立が、今作のテーマなのだろう。
だが、その割にはダニーの言動は主体性に欠け中途半端な印象を受けた。音楽を学ぶ進学先についても、ただ先生が才能あると勧めるから選んだ感じだ。なぜ音楽を学ぶのか、なぜこの進学先なのか、彼自身の熱意や明確な意思を感じない。
愛する恋人よりも自分の人生を振り回し続ける両親と過ごすのを選んだ点にしても、同様に主体性に欠けているように感じる。現実問題として自立するにしても生活資金が必要で、それで両親に従うことを選択したとも思える。だが彼は「家族の絆はそれだけ固いから」と家族の関係性を両親に従う理由として上げていた。そのため生活資金については問題では無く、単に意思が弱いように映る。結局最後には両親と離れることになったが、それも彼自身による決断ではない。
恋愛パートとか特殊な家族の関係性について悩む点とか、部分的には良いところもあるのに、全体的には中途半端な映画だった。シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』は良いのに、今作と『狼たちの午後』はいまいちだな。
リバー・フェニックスだ!
両親がジミヘン好きと言うことで、彼らの世代と時代背景が想像できる。ウッドストック等の野外ロックフェスティバルに参加したり、ベトナム戦争反対のデモ等に参加した人たちではないでしょうか。生粋のテロリストのような凶悪な人間ではなかったと思う。両親役の俳優がそれほど有名ではなく、ストーリーも地味な内容だったが、リバー・フェニックスが出ていると言うだけでこの映画を印象深いものにしている。「スタンド・バイ・ミー」では普通の少年だったリバー・フェニックスであるが、この映画ではかなりのイケメン青年に成長した。ただその後、早逝してしまったのは悔やまれる。なお、弟は「ジョーカー」のホアキン・フェニックスだ。
負債からの解放?
この映画、旅立ちの時という題だが主人公ダニーが自分で決断するシーンは少ない。音楽学校への進学も自分から強くは主張せず、肝となる旅立ちも自分から言い出さずに家族に背を押される形で果たされる。彼が最も自分を主張するシーンはガールフレンドに自分の複雑な環境を自ら打ち明けるところだろうか。
彼の家族も過激な反戦活動を行っていたとのことだが、作中では政治的な主張や行動をすることはなく逃亡生活を営んでいる。母親は銀行強盗を行おうとするかつての仲間に、大人になるようにと忠告する。かつて青臭い理想のために行動したのは自分が子供だったからと言わんばかりである。
対照的なのがダニーのガールフレンドであり、彼女は自分の両親について、善人ぶっている、他人に関心がない、と辛らつな評価をしている。反面、過激な行動に走ることはなく、数年もすれば自分の仕事や家庭に関心が退行していくのだろうと思わせる。
母親はダニーの進学話を機に、連絡を取っていなかったダニーの祖父に世話を頼むなどこれまでの負債と向き合っていくことになる。個人的にはこのあたりが映画のハイライトではないかと感じた。
総じてこの映画からはイデオロギー的な活動に対する冷めた目線が感じられ、最も印象に残ったのは活動により要らぬ負債を抱え込んだ夫婦が子供を解放しようとする姿であった。
もし・・・だったら・・・
今まで一体どんな作品でどんな役を演じていただろう、今の映画界でどんな立ち位置で活躍してただろう・・・・
故Rフェニックスの美しくも影のある表情一つ一つを見るにつけいろいろなことに思いをはせてしまう。この作品は社会派の巨匠Sルメット監督の代表作の一つ。やるせない親子の在り方。そのやりとりにRフェニックスの生い立ちが垣間見れるような気がして切ない。原題のRunning on Emptyも彼の心を反映していたかのように思えてしまう。私生活で最期に至るまでの詳しい経緯は知らないし、また直接の原因が麻薬ということなので過度に美化してもいけないのでしょうが、それにしてもこの人のオーラが今いるどの俳優をも寄せ付けないほどの魅力を放っていて、その無限大の可能性が惜しまれます。
遠い昔に亡くなってしまった人を今更嘆いても仕方がないことはわかってるけど、少し感傷的な思いにふけってしまった秋の夜長でした。
フリーダム
リバー三部作の一つ
ラスト30分必見の必見
中盤まであまり裕福ではないが、普通の4人家族。
高圧的な父親が、お金にうるさい。
普通の親なら子供の為に惜しまないところにまでケチる。お金が無いなら無いで色々と援助なりお金の出所を探して子供の為になるように努力すると思うが。
知人が12年ぶりに訪ねて来て、銀行強盗?のお誘い?
父親は知人のトランクから銃を探し出し、息子二人を呼んで、
「何事も銃で解決してはいけない。」と
まともに忠告する。
長男のダニーは、音楽の才能があるらしく認めた音楽教師がジュリアードに行くよう勧めるが、本人行きたそうだが、煮え切らない返事。
ダニー一人でジュリアードの試験を受けに行ったが、前の学校の成績を提出しないと合格できないと試験官に告げられ返事を濁し立ち去る。
実は、この家族には秘密があった。
それゆえ各地を転々とする生活が、14年続いているという。
名前もコロコロ変わる、いや、変える。
ダニーに音楽の才能があり実技試験に優秀な力で合格しても、先に進めない。
業を煮やしてて音楽教師が内密に母親に会い、
ダニーの才能がもったいないと告げる。
意を決したかのような母親。
自身の父親に久しぶりに会う。
そして、ダニーを引き取って欲しいと頼む。
ダニーの両親は、爆破事件の犯人で捕まるのが嫌でずーっと14年間子供を連れてFBIから逃げ回っていたのだ。
やはり、子供がいい迷惑。罪は無いのに。
感情が盛り上がるシネマでした!
「Running on empty」「旅たちの時」 リヴァー・フェ...
「Running on empty」「旅たちの時」
リヴァー・フェニックス、存命だったら53歳かぁ・・。
どんな俳優になって、どんな作品で演じていたのだろう・・。
あの「スタンド・バイ・ミー」での クリスは忘れられない。
劇中の名言「I never had any friends later on like the ones I had when I was twelve」
だけど、twenty、thirty、fifty でも I never had any friends later on like the ones はあるとは思う♪
で この映画、このオヤジ、ただのモラハラ、DV じゃねーの??なんて思ったり・・。
もしかして、ダニーは実の子じゃなかったんじゃね?とか・・
才能、可能性を見出してくれる人との出会いは大事だよなぁ・・それが人生の全てじゃなかろか?
才能だけではなく、その人の隠れている本質というか・・長所というか・・そういうものを共有できる出会いが、人と幸せにするのだろうなぁ・・♪
親子の愛が素敵でした。
RUNNING ON EMPTY
リバーフェニックスのピアノの才。初めて知った。
このタイトルでは、多分見なかったはずなのだが、原題が[RUNNING ON EMPTY]という興味深いタイトルだったのと、シドニールメット監督作品というのでBSで見る。
内容は非常に興味深いものだった。原作はあるようだが、原作脚本製作総指揮まで、一緒の人だった。作品内のどの人なのだろう。まったく部外者なのか。
ラスト、ダニーがジュリーアード音楽院に行ったのかどうが気になる。もちろんこの展開まで見せられて、やはり行けませんでしたでは、悲しすぎる。
紙で作った鍵盤でピアノの練習をしたということ、母親が教師だったというのも、重要。
大学に提出する学校の成績をでっちあげできるのかも。
FBIに追われた家族が引っ越しを重ねながら逃亡生活をえんえんに続けて行くというのは、現代ではもっと難しくなっているだろうけど、映画製作当時はぎりぎり可能だったのだろう。
ダニー
リヴァーがかっこよすぎる。
だにー(リヴァー)の両親が指名手配中なため、小さい頃から引っ越しばっかりだった家族だが、家族はとても仲良く、ダニーもその弟も良い性格に育った。今回引っ越した場所では、ダニーの音楽の才能も認められ、恋人もでき青春していた。音楽の才能を認められ、音楽の大学を行くことを進められたが、ちゃんとした戸籍?などがないため行くことができない。しかし、両親はダニーの想いを感じとり最後はダニーを置いていった。最後のシーンはとっても泣ける。リヴァーの泣く演技もキスシーンもピアノを弾いてるシーンも見れる。また見たい!
ボブ・マリーもブラームスも同じ芸術だと思う。
『才能』の対岸に『反戦活動』があると言うのか?
この親達の活動は『テロ活動』であり、『反戦運動』とは言えない。同じ流れを組むテロリストが銀行強盗する訳だから『反社会的な集団』と判断する。
それは兎も角、弟の運命はどうなるのか?それが気になった。だから『社会活動なんかにのめりこまずに、自分の人生を大事にしてね』とこの映画は言っている様に聞こえる。
ボブ・マリーもブラームスも同じ芸術だと思う。
この映画はあり得ない話で、親子の別れをデフォルメして描いていると判断した。だから、共感できる部分もある。
アメリカは『ベトナム反戦、原発反対運動、性的マイノリティー、人種差別、アナーキスト、組合活動』を『反共』と一つの価値観で括ってきた歴史がある。そして、実質『共和党と民主党』のみ。つまり、ニ党の政策で紡いで来た国である。果たして、それが自由と民主主義の国と胸を張って言えるのか?と僕は感じる。勿論、暴力的な行動は駄目だし、コミュニズムが達成出来ない事は歴史が証明してくれた。
全32件中、1~20件目を表示














