「「清く貧しく」などというのはブルジョワジーに都合のいい幻想に過ぎず...」ロゼッタ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
「清く貧しく」などというのはブルジョワジーに都合のいい幻想に過ぎず...
「清く貧しく」などというのはブルジョワジーに都合のいい幻想に過ぎず、実際の貧乏人は頑固で狡猾で非人道的だ。それもそのはず、その日晩飯が食えるかどうかさえわからないような生活を送りながら他者や倫理を慮ることは難しい。まずはこの世界の中に確固たる自分の領分を得ること。貧乏人は普通の人々が当然のように持っているものを渇望するところから始まる。住所、仕事、尊厳。ロゼッタが売春や生活保護を拒むのは、彼女がただ単に生存することではなく、一個の人間として生きることに意味を見出しているがゆえだ。
とはいえここには逆説がある。ロゼッタが人間でありたいと強く思えば思うほど、彼女は頑固で狡猾で非人道的な手段を取らざるを得なくなるのだ。自分をクビにした社長に恥も外聞もなく直談判したり、はたから見れば彼女の行動は不愉快きわまりないが、そうする以外に彼女が人間の仲間入りを果たす術はない。友人を密告して従業員のポストを奪ったり。終始対象を寄せで映し続けるカメラはそんな彼女のなりふり構っていられない窮状を表している。
友人から従業員のポストを奪ったロゼッタはしばらく満足げに仕事に励むものの、良心の呵責から最終的に自ら仕事を辞めてしまう。すると踵を接するように疎遠になっていた友人が再び自分のもとに戻ってくる。彼女はそれを喜ぶが、彼女が友情の代償にまたもや貧苦のどん底に落ち込んでしまったことは言うまでもない。貧困が与える二律背反は、どちらを選んでも何かを失うことになる。
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