「実話をもとに、人間の闇と光を描いた作品。」ホテル・ルワンダ とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
実話をもとに、人間の闇と光を描いた作品。
感動なんて言葉では言い表せない。胸に棘が刺さったような感覚。目を背けたい、でも背けちゃいけない、背けられない。
窮地に立たされた一般市民が何をするか、
世界が、この国で起こっていることに何をしたか、
私ならどうするのだろうと考えるととても重い。
「自衛権?」実はこれほど怖いものはないと思う。
「やらなければやられる」その煽られた恐怖感で一気に加速したジェノサイド。
それを煽ったラジオ放送。
徐々にそれが日常化して、正義化して、英雄化されていく様。
簡単に手に入る鉈。どこから来るのか?
軍は本当に救うのか。
個人の判断。国としての判断。世界としての判断。
一度制圧しても、力のバランスによって再び起こりかねない惨劇。
「ある日隣人が突然私を殺しに来る」なんて書くとホラーのようだけど、実話。
DVD特典の、監督とモデルとなったルセサバギナ氏の対談で、終始ルセサバギナ氏は「実際は映画よりひどかった」というメッセージを発していたように、事実を追いながらも、監督のメッセージを明確に出した作品になっている。「皆に観てもらいたかった」から、あえてエンターテイメント的に演出したそうな。
スプラッター的な直接描写はない。その様子を見た側、その場にいる恐怖の演技他でそれを想像させる。
そんな中に挟み込まれる子どもたちの歌と踊り。
ポール氏達の物腰の柔らかさ。
テュベ氏のほっとさせる雰囲気(コメディアンだそうですね)
緊張感続く展開に、ちょっと息抜きができる。
だからこそ、余計に、このジェノサイドが虚しく、やるせなく心に響く。
監督の意図のもとに切り取られた印象的なエピソードが丁寧に要領よく構成されている。
事実をすべて描き込むのではなく、ポール氏に起こることを中心に。だから、ポール氏目線の様々な感情ー絶望感・焦り、それでもの足掻きに共感しやすくなっている。
ニュース制作者。
国連軍の不公平性…。
現場で右往左往するNGO・国連軍の人々のやりきれなさ。
民族紛争の原因・背景…。
外資系のこの”ホテル”に宿泊できるだけの、この国での有力者でありながらも、何もできずに助けを待っている人々。ポール氏目線で描かれているからであろうが。
そんな物語の中で、胸に突き刺さる珠玉の言葉が散りばめられている。
職務に誇りを持ち、家族を愛しているごく普通の男が巻き込まれた出来事。
初めから信念に基づいて多くの人々を匿ったわけではない。迷い、恐怖、絶望…。妻の、隣人の、避難してくる人々の、信頼・懇願。あんな目を向けられて、あんな極限状態で、私はその期待に応えられるのだろうか…。
そして、あのジャーナリストだったら?
国連軍の将校だったら?
NGO職員なら?
ニュースの視聴者として?
オープニングのリズム感溢れる音楽が耳を離れない。子どものお遊戯も印象的。もともとルワンダはこんな豊かな文化を持った国。なのに、何故…。
フツ族とツチ族の争い。単純なものではない。虐げて、虐げられて…その繰り返し。それも、元々あった争いではない。植民地支配者の思惑により根付けられたものがこじれて…。
何かのひょっとした拍子に立場が簡単に入れ替わる。同じ大地に住む同じ顔した民族の争い。アフリカだけではない。アジア以外の国の人からすれば、日本人と周辺の国の人は「同じ顔した民族」。海外を旅行・住んで、何度チャーニーズやコリアンに間違えられたことか。ヨーロッパの地域紛争だって、私からすれば「同じ顔した人々の争い」他人にはわからぬ確執がマグマのように横たわりメンメンと続いている。
何故ジェノサイド?子どもまで?NGO職員が言う。「だって残しておいたら、その子が大きくなって殺しに来るかもしれない」やらねばやられる。やらねば、周りから異端者扱いされて自分が仲間からやられる。そんな恐怖感から正常に判断なんかできない。何が善で何が悪なのか。ルワンダだけじゃない。『硫黄島からの手紙』にあったようにヒステリー状態での自決・アカ狩…日本にだってあった。ヨーロッパやアメリカだって魔女狩りとか…。いや、いじめだって同じ構図。コロナの恐怖にあおりを受けた自粛ポリスも…。
こんな事態に何かせねば。
「国連軍が助けに来る」確かにね。一時的な生命確保・暴走抑止にはとても力強い味方。映画の中で国連軍将校が「何もできない」とおっしゃっていたけど、駐留しているだけでも抑止力になる。
でも、力でだけで解決したいじめは、時間が経つと必ず再燃する。そんな紛争は世界中でたくさん例がある。国連軍送れば解決という問題ではない。
何が紛争を長引かせているのか、この後この国はどうなっていくのか、この映画を見て皆で語り合う。自問自答する。歴史を学ぶ、情報を集める。それが第1歩。
1992年ノーベル平和賞受賞のグァテマラ女性リゴベルタ・メンチュウさんが経験したのと同じような虐殺から逃れて、グァテマラに留まって生活改善に尽力されていた女性が言っていた。「自分達のことは自分達で決める。もう、他の国の人々に翻弄されるのは嫌。でも、この国で何が起こっているか、全世界の人に知ってほしい。そうすれば軍(虐殺者)達は好き勝手なことはできない」
うん、それならできる。ニュースだって全てを載せることはできない。でも皆が関心持てば取り上げざるを負えない。政治家だって動かざるを負えない。それが世界を動かす。世界は、未来は私達が作る。(フェアトレードだって今は当たり前になってきた。)
1人の力は小さい。でも何もできないわけではない。
この映画のポール氏しかり。
この映画の日本での配給がかなった経過しかり。1人1人の声が事態を動かす。
いじめは、加害者と被害者と傍観者の三層構造になっていると良く言われる。傍観者が無関心だったり、黙殺したり、煽る方向に動くといじめはエスカレートする。けれど、雨降って地固まる程度の喧嘩が、いじめにエスカレートしないように見守り、ガス抜きし、解決策探るように動くならヒートアップしないと思うのは楽観的?
きな臭い話が勃発している今だからこそ、そんな意味合いも込めて、多くの人に観て、考えてほしい映画です。
☆ ☆ ☆
と、昔書いたレビューを引っ張り出して書き直したけれど…
改めて、『ホテルルワンダ』をチェックしたら、
ルセサバギナ氏が2020年に逮捕され、2021年9月に、テロ容疑で有罪判決を受けたというニュースを読んだ。
ベルギー政府とUSAが声明出したそうだけれど、日本では…。この映画comにもニュースになっていないし…。
日本の人権に対する意識の低さを改めて認識させられたし、
知らなかった自分も情けない…。
身近に起こるいじめ問題とかに忙殺されていたというのは言い訳…。
ルセサバギナ氏みたいにまずは足元の問題からというのも言い訳か?
でも、とりあえず、できることからやろうと、改めて誓うことにした。全部はできないもの…。
☆ ☆ ☆
《おまけ》
ルセサバギナ氏の片腕のような役やっていらしたテュベさん、他の映画にも出ないかなあ。見ているとほっとするの。いつまでも観ていたい。
恩赦を受けて出たようにも聞きましたが、個性的な人だと、敵も多いのでしょうね。
映画では素晴らしいスーパーマンのような人でしたが、それでも葛藤の場面とかありました。でも、実際には、そんな葛藤などして躊躇することもないような凄い人だったらしく、映画化のために、人間らしく見せるするためにそんな場面を入れたと聞いて、ビックリした記憶があります。