フェリシアの旅 : 映画評論・批評
2000年3月15日更新
2000年3月18日よりシネマライズほかにてロードショー
“癒し”がテーマのエゴヤン流「美女と野獣」
このエゴヤン監督の新作は、娘と父親、少女と父親的存在の関係を基調にしているという意味では、「エキゾチカ」や「スウィート・ヒアアフター」に通 じているが、ひとつ決定的に違う要素がある。それは“歴史”だ。
現代のカナダの監督や作家たちは、物語の基盤となる歴史や伝統、宗教などが希薄な土壌のなかで、それぞれに独自のスタイルを創造し、物語が欠落した世界を生きる人間を描きだす。エゴヤンの前2作から浮かび上がる深い喪失感も、そうした土壌に源がある。しかしイギリスを舞台にしたこの新作では、錯綜する時間のなかでふたりの主人公が、まったく逆の意味で歴史に囚われていることが次第に明らかになる。アイルランド人の少女は、恋人を探すことで、何とか祖国の歴史から逃れようとし、裕福だが孤独なイギリス人の男は、合理化優先の社会のなかで温もりを求めるが、現実に裏切られ、母親の時代という歴史に逃避しようとしている。彼らは表面 的な必然によって親密になるが、水面下では歴史をめぐる想いがせめぎあい、それが最後に意外な心の変化を導く。男は子供の自分に立ち返り、過去を清算することで救われ、少女は自分の歴史を歩みだすのだ。
(大場正明)