ボーイズ・ドント・クライのレビュー・感想・評価
全5件を表示
一見の価値あり
今、マイノリティが不幸な目にあい、
挙げ句の果てには死んでしまう
そんな映画に対する反対活動がある
この映画は、そんな映画の大元なのでは、
というほど、主人公は不幸な目にあう。
しかし、実話だ。
当時は、これが現実にあったのだ。
その負の遺産が残り続け、
そして今、それに対する反論がある。
時代は変わっているのかもしれない。
この映画も大きな影響力があったろうと思う。
というか、今という時代になるまで、
悲しいことに、ハッピーエンドのマイノリティの
物語があまりにも想像しずらい世の中だったのかもしれない。
とにかく、もう本作のような物語が
異常すぎる世界として見えていることが全てだと思う。
異常すぎる偏見にまみれた世界だった。
本作はそんな酷すぎる現実を生きる人の
救いになっただろうか。
背中を押しただろうか。
ラナが主人公に対して投げかける言葉の
一言一言が刺さってしまって、
愛の尊さを想った。
性同一性障害をめぐる実話
1993年米国ネブラスカ州で実際に起こった事件の映画化作品。最近やっと一般的になった性同一性障害の主人公への激しい偏見と嫉妬が主な原因だった。
主演の二人の演技が熱い。相手を愛するのに性別など関係ないのだなと納得させられ、いやらしく感じなかった。主人公も相手役のキャラクターも、当時は犯罪である同性愛に生きる際の心の揺らぎも表現されていて、それだけに、好きでそう生まれたわけではないのに、どうしてそんな目に遭わなければいけないのだろう、と悲しくて泣いてしまった。
性差別など全く描かれてない。過大評価されてる作品。
性同一性障害に対する差別が描かれてない!とは言わないけど、「付き合う相手を選ぼうぜ」という教訓的な部分と、「自分らしく生きるという普遍的なテーマ」が軸。
特に犯人の二人の男は、妹のように可愛がっている&愛人の娘を奪われたことへの怒りがまずあって(俺の家族、家族と連呼)、更に「相手は女」だったという理由がその感情を増長させる。マイノリティ差別がベースじゃないですよ。
ヒラリー演じるブランドンにした仕打ちも、「何が一番ダメージを与えられるか?」ということだったように思う。
また最終的に殺害した理由は、自分達のしたことを警察に通報したことへの報復。これまた、マイノリティへの差別やないよ。
かくまった関係ない女性も殺してるし。この男達はそもそも自分の気に入らない人間を殺す卑劣で道徳心の欠片のない人間であって、そこには「性同一性障害への差別」なんて意識すらない。性同一性障害に対する無知とか差別意識とか以前に、自分達の気に入らない奴らを排除しようという元々の性質がある(ように描かれてる)。ようは誰だって殺すんだよ。今回はたまたま、相手が性同一性障害の人だったって感じ。
こんな描かれ方では、性同一性障害への差別が伝わらない。「性同一性障害」の人が殺された=差別!って、映画の内容を理解せず観ている人が多くてビックリする。
ヒラリースワンクの演技だけの評価。
あと一番の悲劇は、悲しいことは、主人公が殺されたということよりも、自分の存在自体が間違い。生まれて来たことが間違い。と思い続けて生きて来た、主人公の気持ちじゃないでしょうか。
幸せ
女の子に夢中な男の子、がリアルに出来てるなと思った。
ブランドンは女の子がすき。
普通の男の子と何もわからないのに。
皆からの偏見とかすごい時代で
なのにまっすぐに素直な性格になったことはほんとにすごい。
それだからこそ、ブランドンという素敵な人が出来上がったんだろうけど。
レイプされた時、
俺が悪かった、ごめん。というセリフは
本心だとは思う。
相手を攻めたくない、というのもあるが
友達だし
性同一性障害が他人にはどう見えているのかも考えていると思う。
そういうブランドンが弱くもあり強いところでもあると思う。
ブランドンはそういう生き方をする男の子なんだなと感じた。
私の好きなシーンは
ラナとブランドンのセックスシーンで
ブランドンの胸が見えてしまったとき、ラナは、ブランドンを寝かせ
あたしにまかせて、というところ。
胸が苦しくなるというか熱くなった。
びっくりしただろうに。ラナの理解力はすごい。
家族に嫌気が差していた年頃のラナにとって
ブランドンを拒否する必要性が無かったんだろうと思う。
でも、そのあと、どうしたんだろう。
その後のセックスシーンで自分の体は触らせないから、ちょっとまってとラナにいうシーンがあるから、よくわからない。話が繋がらない。
もう一つはラストらへんのセックスシーン
ラナが、どうしたらいいかわからない、のようなことを言うんだが
ブランドンが流れに任せて、(違うけど)このようなことを言う。
あたしにはこんな言葉に聞こえた。
ブランドンが求めていた女像が、ラナ全てだったんだなとその時感じた。
だがそのシーンはあたしにとって最低な気分にもなった。
ブランドンは性同一性障害で、自分の体すら見たくないと思う。
自分は男だと思ってるのに体は女で
レズビアンだと認めてない時点で自分の体すら受け入れてないはず。
なのにブランドンは服を脱いだ。
初めに服を脱ぐことを拒んだのは、バレたくないだけだったんだと思った。
もうまるでレズビアンのセックス。
性同一性障害のセックスはレズビアンとは違う。少なくともブランドンはレズビアンだと言われるのすら嫌がるんだから
自分の理想とするセックスではないはず。
なにをやってるんだ、というしかない。
この監督は、性同一性障害の何を知っているんだろう。
きちんと理解してないはず。
レズビアンと性同一性障害の区別をきちんとしてないはず。
きちんと理解していたらもっと難しくもっといい映画になったのに、と思う。
というか、これは単にあたしが理解できないだけだろうけど。
どうしてあの子持ちの女の子も殺してしまったの?
全5件を表示