「予告編にはこうあります「新しい日本映画の開花」と つまり日本映画の革新です」それから(1985) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
予告編にはこうあります「新しい日本映画の開花」と つまり日本映画の革新です
前半は起伏が少なく、松田優作始め登場人物全員が大変抑制された演技であるので、つまらない、退屈だと思われる向きもあるでしょう
しかし、そこにも本当に微かな起伏があり、それが伏線であったことに次第に気がついていくと思います
そうすると、それがだんだんと熱をもって圧力がたかまって出口を求めていることにも気づくはずです
その時あなたはもう本作の虜になっています
後半は身じろぎもせず、本作の劇中に没入していると思います
白い百合の花言葉は「純潔」
純愛と言い換えてよいと思います
愛の告白シーンから先はもう圧巻でした
森田芳光監督は、本作まで現代劇しか撮っていませんでした
本作で初めて過去の時代に題材を取ったのです
それも文豪夏目漱石の誰もが知る作品を取り上げたのです
森田監督は音楽で言えば、歌謡曲に対するニューミュージックの作り手のような存在であったと思います
娯楽作品というものは、大衆の欲するものですでから極めてドメスティックであるものです
それは映画でも歌謡曲でも変わりありません
しかしドメスティックな目線だけではやがてガラパゴス化して、世界的な潮流や現代性といったものから取り残されるのは自明のことです
森田監督は今までにない、新しい現代的な感覚をどの作品でも取り入れて来ました
その意味で本作は、60年代のヌーベルバーグに相当することを日本映画に於いて80年代にやろうとしたのだと思うのです
予告編にはこうあります「新しい日本映画の開花」と
つまり日本映画の革新です
それが監督が意図する本作の製作目的なのです
本作はその文脈の中で、自分の新しい感覚を現代劇ではなく、過去の時代を題材にしても通じるのか?自分の持ち味を持ち込んだ時どのような可能性が拓けるのか?それを確かめようとした野心作なのだと思います
森田監督の現代的な感覚の眼を通して、明治末期の世界のロマンを再現して見せたのです
その中で、松田優作は特に物凄い演技を見せています
秘められて水面下に様々にうごめく感情を、極めて抑制された演技、表情、話し方の中に巧みに表現しています
彼の短いキャリアの中でベストアクトであったのではないでしょうか
藤谷美和子の三千代は美しく、まるで明治大正期の美人画がそのまま実体化したかのようです
まるで鏑木清方や上村松園の美人画から抜けでてきた女性そのものです
そして着物は竹下夢二風の大正浪漫の色目と柄なのです
これだけでもううっとりとします
ただ台詞を話すと折角の幻想が崩れ去ってしまうのが残念でした
森尾由美もとてもキュートでした
着物やヘアアレンジも素敵です
セットもなかなかに凝っています
池に掛かる太鼓橋はモネの睡蓮の太鼓橋そのものです
しかし池には睡蓮の花はありません
そこは彼が理想を知り、そして諦める場所であるからです
ジヴェルニーのモネの庭の池ように理想の美をどこまでも追求する場所では無いからです
そして何よりも本作で忘れてはならないのは、夕焼けの中を走る小さな電車の車内のカットです!
三度登場します
エヴァンゲリオン、千と千尋の神隠しで、オマージュされたあのシーンです
主人公の心象風景を電車内の光景として映像としたのは本作が元ネタです
胸中のごとく揺れ動く電車、時に乗客から花火のように感情が吹き出ししたりしながら、押し黙って電車に揺られて、なすがままどこかに連れていかれていく自分・・・
夕闇にむかう運命という電車
原作のラストの電車のくだりをこのような形にアレンジした森田監督の発明なのです
音楽もまた、今までの日本映画のありきたりな劇伴からの脱却がはかられており、映像と渾然一体をなしていました
前半でつまらない退屈だと判断しないで、集中力を維持して後半まで我慢して観ていれば、必ず本作のすごさ、面白さを堪能できるはずです
大正浪漫は昨今一大ブームの鬼滅の刃の時代設定でもあります
松田優作ファンだけでなく、アニメファンにとっても、全ての映画ファンが観ていなければならない傑作、重要作品であると思います