「くねくね道がキアロスタミは大好き」風が吹くまま きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
くねくね道がキアロスタミは大好き
くねくね道がキアロスタミは大好きだ。
映画の冒頭映像は
TVクルーたちの乗ったRV車のくねくね道だ。
道案内のメモは・・
「十字路のあと木が1本」、
「そして高い木が1本」。
「おいおい、1本の木ばっかりじゃないか(笑声)」。
緩い感じで土煙の道を走る姿をカメラが追うのだが、そこからして旅の迷走が予言されていて、何だか可笑しいのだ。
そういえば、
アメリカの道案内ジョークで
この道を4時間まっすぐ行きなさい。
大きな岩が見えたらUターンをして1時間ほど戻ると最初の角を左折だ
というのがある。
岩は動かないから目標としてはイイね!だ。
しかし、僕は運送業なのだが、
「ラーメンの屋台の軽トラを見たら、その次の角を右折しなよ」と教えてくれた大先輩がいて、これは今でも社内で伝説になっている。
東北でも僕は迷って、通行人のおばちゃんに声を掛けたこともある。どんなに聞き返しても何をおっしゃっているのか聞き取れず、お礼を言って諦めた事件も有った。
キアロスタミの映画は、そうなのだ。みんな道しるべを失って、右往左往で無我夢中で走っている。
どれもこれもが行きつ戻りつの人生だ。この「道路のつづら折り」の形状でもって僕たちの迷子の人生をば象徴的に見せてくれる。主人公が大人でも子供でも同じだ。そして一生懸命道を歩むのは老若男女みんな関わりなくなのだ。
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中東イランの迷路の村。
帰る道がわからなくなった認知症の老人も、迷子になった子供も、この蟻の巣の迷路のような村ならば、必ず誰かが窓から顔を出し、ベランダから声を掛け、きっと同行者になって助けてくれるのだろうなぁ。
子供は無邪気にしゃべり、
でも大人は生臭い夫婦喧嘩やリストラや葬儀の因習などを話す。
しかし、それでも
何かの結末があるのかと思ったら、キアロスタミマジック。
やはり「村の中を歩くだけの映画」だったのだ。さすがだ。
でも道ばたには必ず人がいて、
疲れたらいつでも腰を下ろせるためのベンチや椅子や、玄関横の土壁の窪みがあった。
誰でも座って一息つけるように丸木の棒が転がしてあった。
それを見せてくれる映画だったのだ。
技師は死と葬儀を待っていたのに懸命に人の命を助け、
昔覚えた詩を村人と共に歌い、
テヘランに戻りたかったはずの彼が一本の骨を村のオアシスに投げる。
自分の骨をうずめるための天国を、技師べーザードは見つけてしまったようだ。
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これは、間もなく定年を迎える僕のために、一人暮らしの74歳の親友がこのDVDを送ってきてくれたのものだ。
「四十にして惑わず」などと、いったい何処のどいつが言ったんだよ?
親切な親友は、ちょうど暗中模索の僕の曲がり角を感じてくれて、キアロスタミを呉れたんだろう。優しいプレゼントだ。
・万事手探りで進むこと。
・気を取り直して振り出しに戻ること。
これが僕の人生だった。
だから映画が沁みる。
願いが叶うタージュドラトのスープを僕も飲む。
少年ファザードのおばあちゃんならずとも、生き返って 生気が回復する映画だった。
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