「興味深い」ゼイリブ CBさんの映画レビュー(感想・評価)
興味深い
この映画が、当時人気があったということが興味深い。
この頃、全米が二極化し、下の側の人間には「どうして?」という思いが渦巻いていたのだろうか。「自分達には仕事がないのにTVや広告は消費を煽るばかり。いったいどうなっているんだ!」と思っているところへこの映画だったのだろうか?
前半の、何かはわからないのだが、何か起きている感じと、主人公を取り囲む時代の感じの描き方は上手だなあと思う。特に音楽は、背景音のように「こういう感じだよ」とリードし続ける。現代でこれを観ると、リードし過ぎという感じが強いが、当時は受けたんだろうな。
そしてストーリーとしては破天荒な、ひとりだけで侵入者(らしき者)を撃ちまくる展開。
アンダーグラウンドに仲間はいたものの、出会ったその日に体制側(?)の襲撃を受けて崩壊というスピード感というか、短絡的というか、無力感というか。「それでも俺はやる」という男気で結末まで突っ走るという、たとえは悪いが、安っぽいマンガのようなストーリーがたまらなかったのでしょうか。
自分が見終わった時の最初の思いは「金をしっかりかけて撮った、小学校の学芸会みたいだ」
でした。
それでも、金損した感じがないところが、カルトたるところなのかな。
学んできました
ゼイリブのエイリアン(及び彼らと結託して貧乏人から搾取する富裕層)は、80年代当時第三世界から搾取をし、資源が枯渇すると次の開発途上国 へ移動していった先進国の象徴である、とする説がありました。なるほど。
レーガン大統領夫妻は高価な品の消費も好み、「彼らの高級品への嗜好はこの 10年の派手な散財を正当化し、80年代文化の貧者への冷淡な態度を正当化」した。国の借金は増え、貧富の差が広がり、多くの家族がレーガン着任時よりも 貧しくなっていった。
財務相長官を務めた ドナルド・リーガンは、レーガンのことを「幻想と妄想の達人」と評していたそ うだ。このレーガン評は、『ゼイリブ』においてエイリアンによる催眠術にかか り消費社会にどっぷりつかった人間を思い起こさせる。との説も。
そしてサングラスをかけると見えてくる広告に書かれていたことは、TVのサブリミナル効果を暗示するものという説もありました。
(サブリミナル効果自体は、報告者自身が実験結果がねつ造だったことを報告した(1962)にもかかわらず、先進国各国では、大衆の恐怖感に対応すべく、サブリミナル広告が禁じられているというもの)
見た皆様へ
同作のメッセージを、ユダヤによるメディア操作や秘密の権力に関するものだと解釈しているネオナチの考え方に、同感しないように。監督は、そんなことは言っていません。
ドクタードリトルへもありがとうございます〜。
バンブルビー、未視聴ですがいずれ改めてトランスフォーマー、一気見しますね。
AKIRAもご覧になられてますね。そうそう、あれが88年。明らかにゼイリブの方が時代的に色々とおかしいでしょ(笑)
フォローさせて頂きますね。
また宜しくお願い致します。
コメント&お褒めの言葉ありがとうございます〜。
この作品の空気は80年代も決して「当時はウケた」というわけではないんです。
だって同時期に「バットマン」(ティム・バートン、マイケル・キートン、ジャック・ニコルソンのやつ)「バックトゥザフューチャー2」「インディジョーンズ最後の聖戦」「ブラック・レイン」「アンタッチャブル」「リーサル・ウェポン3」「ロボコップ」「ゴジラ対ビオランテ」などやっていた時代です。
ね?そんなに古くもないでしょ?
ターミネーターなんて更に数年前ですから。
CBさんの仰る、破天荒で短絡的で男気で突っ走るのは1950〜1960年代の西部劇テイストでありまして(ジョン・ウェインの「捜索者」とか)80年代の若者にとっても違和感バリバリ、なんとなく話には聞くけど観たことのない古臭さに満ちていたわけです。
だから、50年代の空気を80年代の舞台に持ち込んだアンバランスさは、奇妙にズレた非日常感の魅力を生み出したのかもしれませんね。
でも、含まれている社会派メッセージはこれまた仰る通り、80年代のアメリカ政治経済事情にドンピシャです。
現在の日本にもまさに当てはまる構図。このタイミングでのデジタル化には不思議な巡り合わせを感じますね^ ^