「エドガー・ライト作品の本当の姿とは?」ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン! tさんの映画レビュー(感想・評価)
エドガー・ライト作品の本当の姿とは?
音楽や映像がカッコイイ、ということだけでは、(僕は音楽の知識が乏しいので)彼の映画を何度も観る理由にはならない。
昨日「ホットファズ」を観て思った。僕がエドガー・ライト映画をヘビロテしてる理由は、彼の映画が「はぐれもの」賛歌だからかな?多分そうだと思う。
エドガー・ライトが監督・脚本している映画の主要キャラは決まって、既成社会には居場所のない「はぐれもの」。映画の中では、エグい嫌がらせを受け、既成社会に溶け込めない。キャラ設定が上手い・・・というか、エドガー・ライト自身の作家性なのかもしれない(?)。しかし毎回はぐれものの話を描く理由は全くもって謎。彼の経歴はどう見てもリア充そのもの。はぐれものに対する共感はどこから来るんだろう?
ショーン・オブ・ザ・デッド
ニート役のニックフロストは友達に嫌味を言われ、電気屋の冴えない店員役のサイモンペグは10代の電気屋のバイトに舐められている。
ホットファズ
職場で(ある意味世間でも)浮きまくってる、孤独な勘違い警官(サイモンペグ)。勿論同僚からいじめられている。
スコットピルグリム
ヲタクでいじめられている、という設定だっけ?学校の中でマイノリティなことは間違いない。
ワールズエンド
主演のサイモンペグはアルコール依存症患者。旧友から引かれる。ニックフロストも一見成功者のようでありながら実は、、、
ベイビー・ドライバー
過去のトラウマから抜け出せず、犯罪に加担する、友達のいない孤独な青年。犯罪組織のおっさん連中からいじめられている。
はぐれものにとって、現実世界は辛いものであり、苦悩もちゃんと描かれる。(最も過激に描写されているのはベイビー・ドライバーの主人公。彼は現実世界を完全に拒否している。)
映画の結末はいつも決まってる。主人公は最後まではぐれもの。しかしそのはぐれものが自分の居場所を見つけ、ハッピーエンドで終わる。
(僕の見方では)これは、生きて帰りし物語、ではなくて、生きて帰らなくていい(既成社会など捨てちまえ)物語なんだよね。
彼の映画のヤバイメッセージ性もっと具体的に言えば「既成社会に居場所が無ければ、そんな既成社会は捨てちまえよ。何なら壊しても良いんじゃね?」ということだ。
エドガー・ライト監督のギャグとカッコいい音楽によってこの過激なメッセージ性が隠蔽されるので、多くの観客は、このような見方はしない。もちろん、世の中からはぐれたことのない人には絶対にこの見方はできない。
まぁしかし、ヘビロテ映画を見る理由なんてどうでも良いか。観たいから、という理由だけで十分だ。