1900年のレビュー・感想・評価
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1900年の夏、同じ日にふたりの男児が誕生した。 ひとりはベルリン...
1900年の夏、同じ日にふたりの男児が誕生した。
ひとりはベルリンギエリ大農園の地主の孫アルフレード。
ひとりは小作人頭の孫オルモ。
少年時代をともに過ごし、第一次大戦終結後に再会。
イタリアは、ファシズムの時代、第二次大戦を経て、農地解放が行われる。
これは、イタリアの二十世紀の物語。
と原題「Novecent」は1900年代という意味で、イタリアの二十世紀前半を振り返る映画。
少年時代を描いた前半がすこぶる良い出来で、地主の孫・小作人の孫と立場は違えど、その立場の違いがいやらしくは描かれていない。
地主の大旦那さま役のバート・ランカスターは、ヴィスコンティの『山猫』を思い出させる演技で、時代の終焉を象徴している。
また、老小作人頭役のスターリング・ヘイドンも渋い演技で、人間的な深みを見せてくれます。
アルフレードとオルモは第一次大戦終結後に成長して再会。
アルフレードをロバート・デ・ニーロが、オルモをジェラール・ドパルデューが演じている。
時期的に十代後半、二十歳前なのだが、若々しさに乏しく、アルフレードの享楽的な生き方が「若さゆえ」という感じがしないので、少々退屈、中だるみといったところ。
この段になって、地主と小作人の間で小作人たちの管理人役として、ドナルド・サザーランド演じるアッチラが登場。
のちにこの地のファシストたちの頭目として頭角を現すが、『イナゴの日』と同様なエキセントリックでねちっこい演技を見せている。
で、土地を持っているだけで耕さず労働しない階級の「地主」vs土地を持たず耕し労働する階級「小作人」という世界から、土地は持たずとも地主のために働くが耕さない階級「管理人」が間に入る世界へと突入することになる。
管理人をホワイトカラー、小作人をブルーカラーと呼び変えるとわかりやすいかもしれない。
後半は、ホワイトカラーのファシストたちに地主たちは利用され、小作人たちは搾取され続け、資本を持たないホワイトカラーが暗躍するおぞましい話へと展開。
アッチラと恋人の恋人レジーナ(ラウラ・ベッティ)のおぞましい非人間的な行為も描かれ、少々邪劇的な面白さが出てくる。
なお、レジーナはアルフレードの母の妹の娘なので地主側の階級にいるのだけれど、レジーナの母が土地を持っていないがゆえにアッチラと同階級ということになる。
この間、オルモは一貫して小作人側の立場で、亡き妻(ステファニア・サンドレッリ)の影響もありコミュニズムの立場をとってわかりやすい人物として描かれるが、父から土地を受け継いだアルフレードはつかみどころのない弱腰の人物として描かれ、アッチラにいいように利用されてしまう。
そこには、進歩的な女性アダ(ドミニク・サンダ)を妻にめとったこともあるのだけれど、インテリのアダもなすすべなくアルコールに溺れてしまう。
このあたりは『天国の門』でジョン・ハートが演じた主要人物のひとりでありながら、影の薄い、なすすべのないインテリ男を思い出せます。
最終的に、第二次大戦終結とともにファシストは倒され、農地は解放される。
エピローグとして70代になったアルフレードとオルモの姿が描かれるが、余計のような気もするが、いろいろあった二十世紀だが生き残っていった我々はそれなりに幸せなのかもしれない、という気になります。
歴史を辿るというよりも、友情が時代や立場を超えても成り立つであろうかという検証物語だったかも…
イタリア推しの友人との再会を控え、 40年以上も前のロードショー以来の鑑賞。 若い頃は、8時間近い「戦争と平和」や この作品など、長時間映画も 数多く劇場鑑賞したことを思い出すが、 この作品のことは、地主と小作人の 友情を通してのイタリア近代史映画だった ことを記憶していた位で、 デ・ニーロとドパルデューのどちらが 地主の子だったか等、 全く忘却の彼方だった。 再鑑賞では、長い割には地主と小作人の 対立の経緯に説明不足が甚だしく感じ、 例えば、小作人高齢者の放火殺害への経緯や 地主側と対立関係になった小作人側が どう生活を立てていたのかへの説明もなく 戸惑ってしまった。 また、地主をはじめとする 権利者側はファシスト支援、 小作人などは共産主義信望と、 単純化と象徴化が行き過ぎたきらいがあって 時代描写への深みを感じなかった。 多分にムッソリーニのファシズム化による 敗戦のトラウマからなのだろうが、 戦後のイタリアは共産主義国家化しなかった 訳なので、余りにも共産主義が戦後を 支配したかのような描写には 違和感があった。 かつての鑑賞では壮大なイタリア近代史の 映画に堪能したように記憶していたが、 実は、歴史を辿るというよりも、友情が 時代や立場を超えても成り立つであろうか という検証物語だったのかも知れない。 この作品は、公開の年のキネマ旬報で「E・T」 と僅差の第2位に選出された作品だが、 その評価には疑問符の付く鑑賞と なってしまった。
巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が弱冠35歳で撮ったイタリア近代史を背景にした壮大な大河ドラマ
ハッキリ言って人に薦め難い作品です、とにかく尋常じゃない長尺なのと最後に連ねる理由により、”普通に考えると”ダメな人も多いかと思います 5時間16分と恐らく私の映画鑑賞人生で最も長い長尺作品でしたが、50年近く前の作品ということもあってか、ぶっ飛びの衝撃シーンなど驚愕の演出も随所に登場し退屈しないため、飽きること無く、最後まで完走できる作品です とは言っても決して軽いノリなわけでもなければ、明るい話でもなくガッツリ来る文芸色の強い話なので、鑑賞には相当なる覚悟が必要かと思います ただ、ちょうど半々の2時間半づつで2部構成になっているため、昔 映画館でもちょくちょくあったインターミッションの気分でトイレ休憩できました 20世紀初頭から中盤のイタリアが舞台 左翼とファシズムの抗争、農民と地主の階級闘争を背景に同じ年に生まれた地主と小作人という立場が真逆の2人の男の友情と確執を描く壮大なるイタリア叙事詩 主役の2人、地主の家系に生まれたアルフレードをロバート・デ・ニーロさん(当時31歳)、小作人家系に生まれたオルモをジェラルド・ドパルデューさん(当時26歳)が熱演 デ・ニーロさんは舞台がイタリアだし、何となく持った表情と雰囲気が危険な匂いプンプンのマフィアっぽく、所々「ゴッドファーザー PART2」を観ている様な感覚になりました そして”ぶっ飛び”や”驚愕”のシーンを軽く紹介 ・全編まんべんなく、性的描写が多い 通常の男女のSEXだけでなく、3Pもあり 女性のヘア丸出しヌード多々 デ・ニーロさんもドパルデューさんも幼少時代のシーン含め性器モロ出し ・老人が少女に性器を触らせる ・猫を頭突きで殺したり、豚を屠殺し本当にさばく ・ドラッグでハイになる ・牛馬の糞尿ちょくちょく という文芸パートを凌駕するほどのなかなかの変態っぷりなので、自身が大丈夫かだけでなく、人と観るならその辺をお互い理解の上で観るようにした方がよいかと思います とにかく35歳でこんなの撮ってしまうベルトリッチ監督のぶっ飛びぶりに圧倒された5時間でした
流石はベルトルッチ!
映画タイトルは誤訳で正しくは1900年代だそうです 5時間にも及ぶ超大作ながら、少しもダレ無い お話はワンスアポンアタイムインイタリアというところか 同じイタリアの名作木靴の樹の時代直後 土地も同じく北イタリアのミラノ近くの田舎 木靴の樹の直線上にストーリーが展開していきます 映画の製作年度は本作が76年、木靴の樹は78年なので本作の方が先に作くられています この地方出身の木靴の樹のオルミ監督が本作を見て、本当の当時の北イタリアの貧農の生活はこうだと製作意欲を掻き立てたのではないかと感じます 戦前の日本の農村よりも小作人の収奪構造が苛烈な様、資本家=地主とファシズムとの結合をじっくりと描き、故に社会主義革命が正義であると主張します 終盤では主人公のひとりオルミがカメラに向かって、つまり観客に向けて演説します 傍観していたからファシズムを育てたのだ また傍観していると同じ事が起こるぞと しかし、それは立派な主張だと思いますが、社会主義に幻滅し、堕落した左翼運動の末路、共産主義国家の苛烈な人権抑圧のファシズム化、帝国主義的軍事国家に成り下がった有り様を目撃してきた我々2000年代のものからみればなんと社会主義に夢を見れるとはナィーブな幸せな時代だったのかと、呆れる他ない なにしろ我々は共産主義国家が民主化を求める人民の群衆を戦車で数千人もひき殺す瞬間を目撃しているのだ この映画ですら地主=資本家の手先に動員された官憲の騎馬隊も路上に寝そべった農婦の集団の前には撤退したというのに とはいえあの時代その活動があったからこそ今があるだとも感慨がよぎります かといって政治的メッセージだけの映画かと言うとそうではない 十分に映画として楽しめる作品です デニーロの役作りも物凄いものがあります ラストシーンは映画の製作当時の現代になります 老人になった主人公二人が少年の時と同じ様に変わらず喧嘩をしながら登場し、アルフレードは当時と同じ様に線路に横たわります。今度はレールを枕にして ワンスアポンアタイムインアメリカは更に8年後に同じイタリアのレオーネ監督が製作するのですが、物語の基本構造、特にラストシーンは本作と相似形を描いて明らかな影響を与えていると思います
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