白いカラス : 映画評論・批評
2004年6月15日更新
2004年6月19日よりみゆき座ほか全国東宝系にてロードショー
不幸な映画では決してない
数年前のクリントン色呆け騒動の時代を背景に、性(さが)に血を滲ませることでしか生きていられない男女が出会う。2人は互いに心の奥底にある、永遠に治癒することのないカサブタを掻き毟り続けることを余儀なくされている。人間が勝手に決めたルールやモラルや風潮が、人間をいちばん苦しめる。時代が孕む哀しみに呑み込まれた、不可抗力の連鎖から逃れられない男女の物語に、液体になった鉛風呂にでも浸かった気分になる。確かに爽快感などとは無縁だが、不快で不幸な映画では決してない。ハッピー・エンドとは言わないが「楽(らく)になる」もしくは「解放される」までの物語だから。
自分を曝け出すのはしんどくて勇気がいる。けれど偽るのはもっとしんどい。そのしんどさとサヨナラするために、男は女への恋に懸ける。それが男にとって「初恋でもなく最高の恋でもないが、最後の恋」だから。そしてこれ以上傷付くのが恐ろしくて自分の魂を幽閉していた女も、男と生きることに懸ける。
静かだが心の深淵に迫る男女の寄り添い具合が胸に沁み、同時にアメリカという国が持つ染み(stain)が見えてくる。執拗なまでに丁寧に描かれる男:ホプキンスが恋に舞う♪チーク・トゥ・チーク♪場面が奇妙で悲しい。
(大林千茱萸)