「観ていて気持ちの良い映画ではない。」青春残酷物語 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

0.5観ていて気持ちの良い映画ではない。

2021年7月27日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

知的

寝られる

粗筋だけを追えば、はすっぱな若いカップルの顛末。
 『勝手にしやがれ』や『大人は判ってくれない』等に刺激されたとWiki(日本ヌーヴェルヴァーグ)で読んだが、『死刑台のエレベーター』の若いカップルにも通じるところがあり、途中、陽水氏の『飾りじゃないのよ涙は』が頭の中によぎってしまった。
 当時の松竹としては、革新的な題材・筋で、予告でも「日本のヌーベルヴァーグ」と煽っているが、今となってはありふれた物語。とはいえ、撮り方によっては面白くなるのだが…。

とにかく、サディスティック。
 木場の場面は、はっきりいってリンチ。これで関係が始まってしまうのって…。当時、ヴァージンを失ったら、商品価値を失ったように扱われた名残…。こんな男に”操(死語?)”を捧げ尽くさなければいけないと自分を追い込む真琴が哀れ。
 「お前は殴りたいだけなんだ」と喝破されるが、清は相手を傷つけたいだけのように見える。同級生が学費の工面ができたと知るや、足を引っ張る。「人は物のように扱われるしかないんだ」と偉そうに吐き捨てるが、そういう清自身が、夫人を財布としてしか思っていない。学歴が、頭の良さや精神発達の度合いと比例していない典型。自分のことしか見えていない。
 他にも、これでもかというほど、人の醜悪な面:エゴイズム・自己中心性だけを、突き付けてくる。登場人物の”良い”面はまったく描かれていない。
 自分の欲で、清を縛り付ける夫人。あのような扱いをされてもなお、ってなぜ?おもちゃを他の人に奪われるのは悔しいから?優位に立っているつもりの言動。奴隷を飼っているつもり?
 時代のせいにして、必要最低限の躾すらせずに逃げる父親。
 同じように、わかったふりをして、したたかに生きる知恵を授ける教師。こちらも責任を負わない。
 「社会を変えたかった」という姉は、結局自分の気持ち・利害しか考えていない。
 秋本についても、『赤ひげ』のような清濁併せ持つ人物として描くこともできただろうに、理想に挫折した”敗北者”としてしか描かない。社会に対して、若い世代に対して、責任があるようなセリフが続くが、彼にどんな責任が取れるというのだろう? というより、医療行為以外には責任を取っていない。リアルな中二病。自分たちがすべてを変えられると思っていた世代。
 何よりも「敗北」という言葉が何度も出てくるが、監督の人生には勝ち負けしかないのだろうか?そして、支配ー被支配の関係。それでいて、何もかも、全否定。相手のやることなすこと、否定しかない。だからどうするという代替案なしに(「布団にもぐって泣くんだよ」は唯一の代替案だけれど…)。
 DVと同じ関係性。胸糞悪くなってくる。
 それでも、守りたいものができたとき、人の内面は変わることができるのか。守りたいものを守るのにも力がないと嘆く清。真琴が求めているは”優しさ=人として大切に扱われること”なのに。すれ違う二人…。そして…。
 最終的に、若い二人の責任の取らされ方。自業自得とはいえ…。

 学生運動団体の委員長で左翼・新左翼系の活動家(by Wiki:日本ヌーヴェルヴァーグ)だった監督。自分のそれまでの活動を、総括した作品なのだろうか。俺たちがやってきたことは無意味だったと。
 DVDについていた大島監督のコメントを拝聴すると、「怒り」がキーワードらしい。
 何に対しての怒り?
 思い通りにならないことへの怒り?
 今観ると、登場人物の台詞は、羨望・ひがみにしか見えないのだけれど。怒りというよりもがきなのか?
 映画の中での怒りは、内に向かうよりも、外(社会)に向かっている。
 姉世代が絡むと、清たちの行動が清たちの責任ではなく、社会の責任になってしまう。責任転嫁。

巨匠・大島監督作品。
ダルデンヌ兄弟が選ぶ名作映画79本のうちの1本。
どんな作品なのだろうと鑑賞。良さがわからなくて、我慢して再鑑賞。

演出は凝りに凝っている。細やかな演出に、監督の想いを探ってしまう。
 棒読みのような語り。言い放つ言い方が多用される。人の気持ちがわからぬ清ならではの言い方?怒りの、あえての演出?
 桑野さんは『赤ひげ」で圧巻の演技を見せてくれた方。この映画でも、表情・間合いでいろいろな感情を語ってくれる。でも、語りは棒読み・言い放ち。虚勢ややりきれなさとかの表現?
 壁越しに聞こえてくる姉と杉本の言葉。姉のというより、社会の声として聞かせているのか?
 その後の、林檎齧り。ひたすら青林檎を齧っている数分のシーンなのに、なぜか清の内面の変化をイメージさせる。赤い林檎ではなくて、青林檎というのがまた示唆的。
 特に必要ないのに、幾度となく映される真琴の足元。何か意味があるのだろうか?

常に時代を先取りし、話題になった監督。
その先見の明が凝縮された映画のなのか。
自分の中の評価がまだ揺れている。

映画史的には重要なのだろうし、
演出も目を見張るものがあるのだが、
内容的に不愉快.
 社会を批判する、わかったようなことを言う観念ばかりで、実のない言葉がから回る。
 他人から上前(骨の髄までしゃぶる気だが)を奪い取ることしか考えていない登場人物ばかり。
 地に足つけて生きている人・何かを作り出す人が出てこない。
 唯一生み出されるはずの新しい命も…。
映画を”勉強”したい人とは語り合いたい気もするが、
”おもしろい”映画ではない。
なので、☆2つ。

(台詞はすべて思い出し引用)

とみいじょん