タッチ : 映画評論・批評
2005年9月6日更新
2005年9月10日よりシャンテシネほかにてロードショー
視線劇という戦略はいいのだが
20年以上前に描かれた原作は、静かな三角関係から始まる普遍的な青春学園マンガであり、あの時代特有の明るさとやるせなさがないまぜになった空気に、犬童演出は最適だと期待させた。
時代背景は、てっきり80年代ないしは不特定だと思いきや、カメラ付きケータイや日テレのワイドショーが画面に現われ、まず現代である必然性に首を傾げる。原作の心の漂白を表す独特の間を活かそうとする意図はわかるが、主人公3人以外はセリフを言うために登場するとしか思えない“書き割り人物”となり、アンリアルな感覚が漂い始める。甲子園出場に懸けた弟の死後、画面から生気が失せる。
視線劇という戦略はいい。だが、希薄すぎる人物造形から、残された者のトラウマや遺志を継ぐ者の逡巡は伝わらず、長澤まさみ以外の被写体に愛情が及ばない。犬童印ともいえるキス・シーンが、吸い合うような濃厚な接吻でないのは、物語上当然だが、それが唇や額に触れる程度の接触にすぎないことが象徴するように男女の視線を行き交うエロスは表面的。甘酸っぱい青春の記憶に欠けるのは、何とも惜しい。作家性を押し出して波に乗る監督が、得意なはずの分野で職人仕事をやっていてはいけない。
(清水節)