「アメリカ文学の問題作に挑戦したロイ・ヒル監督の作家証明の野心作」スローターハウス5 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
アメリカ文学の問題作に挑戦したロイ・ヒル監督の作家証明の野心作
この映画は、ジョージ・ロイ・ヒル監督の才覚を証明していると思う。「スティング」のような広く大衆に受け入れられる映画作りの才能だけではない、映画監督としての野心と挑戦する勇気を持っている。原作は複雑な構成を特徴とするカート・ボネガット・ジュニアの、SF小説と哲学的論説の要素を兼ね備えた問題作という。ロイ・ヒル監督自身は、現代アメリカの焦燥を如実に、強烈に描いたものと語っていた。アメリカ人の今置かれている社会状況へ対する批判と夢想を主題にした原作に共鳴した、ロイ・ヒル監督の野心作と言えるだろう。
映画表現として、過去のドレスデン爆撃に象徴される第二次世界大戦への批判的な描写と、トアルファマド星で若い女性と共同生活する描写を比較すれば、断然前者の描写が巧く面白い。文学と違って、どうしても未来の想像はイメージの狭義的な限定になってしまう。ドイツ軍の捕虜となりドレスデンの収容所に移送され、そこで大空襲に遭う展開は、同僚のアメリカ軍人の様々な姿を捉えて特に優れている。足に大怪我を負い輸送列車の中で亡くなるウォーリー、主人公ビリーを目の敵の様に扱うラザロ、そしてラザロに殴られそうになったビリーを助けるダビーと、それぞれのキャラクター表現がいい。この過去と未来の間にビリーの家庭と仕事がカットバックされるが、これがまたシニカルなユーモアを帯びて描かれている。痩せた身体のビリーに比べて妻バレンシアの豊満な肢体。アメリカの理想とする庭のある白い家。そして子供たちに囲まれた幸福感。眼科医としてある程度の地位を得た成功も端的に説明されているが、ある会議に出席するため飛行機で移動中に悪い予感が的中して墜落する。何故か幸運にもビリーひとりが助かるも、事故を知った妻が車で急行する途中で事故死を遂げる。存在の不確かな脆い幸せ。生と死が隣り合わせにあるのは、戦争が無くても変わらない現在への警告なのか。
淀川長治氏は、この作品を文学と映像の格闘と称した。文学少年とは程遠い人生を送って来た拙者には、この文芸映画の本質に届かない限界がある。あくまで映像表現の面白さ、編集の巧さに感心した表層的な感想になってしまった。唯一言えることは、このような映画化にある監督の独りよがりや独善的な思い上がりを全く感じなかった。粋なモンタージュだけは理解できたのが救いである。
1978年 4月22日 大塚名画座
ロイ・ヒル監督のアメリカ文学の映画化では、後年ジョン・アーヴィング原作の「ガープの世界」があり、こちらの方は正当に高く評価されている。アーヴィングの方が映画化しやすい利点と分かり易さをもっている理由もあると思う。演出の巧さでは、この「スローターハウス5」の方が上なのではないかと二つを比較して印象に持った。映画としては地味で難解だが、ロイ・ヒル監督の作家証明になる知られざる映画には違いない。